第二話「寝室、そして浴室にて」
メインストーリー内では、レスターの家庭環境への言及はほとんどなかったように思う。なんせ、彼はどのルートでも主人公へ嫌がらせをする存在として描かれていたのだ。断罪のパートでのプレイヤーの快感を増やすためか、情なんか入れる隙を与えないように悪行ばかりを取り上げられていた。私自身もその運営の努力に騙された人間の一人なんだけど……。
これまでのレスターの人生を知らなければ、一生彼のことをただの悪人としか見れなかっただろう。そうだとしても私の人生は何一つ困らなかったように思う。人格の歪みは幼少期の経験と本人の素質によるものなのだと、彼の記憶と感情を辿りながら実感し続けている。
二人の兄からの絶え間ない暴力と、両親の期待に応えられなかったことによる待遇の変化。きっとレスターは、感情表現の方法をそこから学んでしまったのだ。ただ寂しいのだというだけの事を、誰にも教えてもらえなかったのである。
「いてぇー……治癒魔法さえあればなぁ」
ヴィクターから解放されてようやく自室に戻ると、すでに太陽は沈んでいた。メイドに用意させた包帯や薬草を使い、今日一日で増えた擦り傷や痣に応急処置をする。傷口に染みて痛い。
治癒魔法は基本的に光属性や草属性に由来するものばかりで、闇属性の治癒魔法はまだ発見されていない。光属性は希少な上、基本的に高性能だ。どう頑張ったって、全ての属性が光属性の劣化版になってしまうほど。
包帯を巻くのに苦戦していると、厚い扉の向こうからノックが聞こえてきた。レスターはすでに横暴の限りを尽くしていて、使用人からも疎まれているはずなので生活の補助以外で向こうから声をかけてくることは滅多にない。
今夜はヴィクターの差金で夕食が出ることはないだろうし、あるとしたら入浴や着替えの手伝いか。貴族は自分の手を使わないことで、己の高尚な身分を表すのだ。着替えついでに応急処置も手伝ってもらおうか……。
「入れ」
俺の返答から数秒の間を置いて、ゆっくりと扉が開いた。
「……レス、ター様」
すっかり傷の治ったエイドリアンが静かに近づいてくる。エイドリアンは元孤児でありながら騎士団の総長に聡明さを買われ、七歳の春にレスターに側近兼護衛として仕える事が決まったのだ。今のエイドリアンはおそらく十歳……記憶が正しければ、十六歳で魔法や剣技の才能が開花して、今よりも更にレスターのはらわたを煮えくり返させるのだ。
それにしても、何か様子が変だ。いや、何も今までと変わらないが。変わらないからこそのおかしさがある。この頃のエイドリアンは、レスターからの暴力や暴言に怯えて、今のような澄ました表情なんてできやしないはずだ。
「レスター様、ご入浴の準備が済んでおりますが」
「……ふん、ご苦労」
これまでかなり上手く悪役キャラをやってきた自負があるが、最近はゲームのシナリオとのズレが目立ち始めている。なんというか、エイドリアンの様子がおかしい。この時期にレスターに対してトラウマ的な恐怖心を抱いていないと、このままではヒロイン無しで断罪ルートまで行ってしまうかもしれない。
正直なところ、私は死にたいわけではない。というか死にたくない。なんたって、こんなにも健康で丈夫な身体をそんなに早くに手放してしまっては惜しい。せっかく神様がくれた舞台なんだ。いつかは断罪される悪役だけど、それでも役者としてこの物語を綺麗に終わらせたい。
「ほら、早く脱がせ」
浴室へ入ると、普段通りの横暴さを全開に腕を前に突き出す。すると、エイドリアンはその腕を引っ張り上げた。まだ剥き出しの痣に触れられ、強い痛みが走る。
「この怪我、どうした?」
深海のような瞳と目が合う。エイドリアンの声は穏やかだった。ただ腕を掴む手だけが強く、後ずさることもできない。自分とほとんど歳も変わらないのに、すでに圧倒的な力の差を感じる。レスターが貧弱なのもあるが、これが将来の騎士様の御力か……まったく末恐ろしい。
「……おい、離せ! 命令だ!」
いくら言っても聞く気はないようで、より掴む力を強めるだけだった。流石に痣を圧迫されるのは激痛で、意に反して涙が滲む。しかしここで泣いたらキャラ崩壊だ。エイドリアンにどう捉えられるかわからないので、絶対に耐えなければならない。
そういえば、兄の来訪日に彼を招き上げたのは初めてのことだ。異性――といっても、今は同性だけど。――に肌を見せることへの折り合いもやっとついたばかりで、身体を洗うことまで任せるようになったのはつい先月からのことだった。
だから、エイドリアンがレスターの身体にある傷を見るのはこれが初めてなのだ。
「うっ」
とうとう耐えきれず漏れ出た声に、彼は一瞬固まると、腕を掴む力を弱めた。その隙をついて、無防備な腹に蹴りを入れる。
「ぐ……レス……?」
かなり本気を出して蹴ったのだが、少しよろけたくらいでそこまで効いていなさそうだ。こんな力差で、本当にレスターはエイドリアンをいじめることが出来ていたのか? 朝はもっと簡単に蹴り飛ばせたのに。
そこまで考えて、さらなる疑問が浮かぶ。そもそも、騎士として修行していたエイドリアンが、レスターのような体格に恵まれていない一般人に易々と負けるのだろうか。
まさか……今までずっと、やられたフリでもしていたのか?
「くそ、ふざけやがって……」
額に伝う汗を拭い、なんとか平常心を取り戻そうと必死に頭を回す。こんな早くに断罪……というか、仕返しをされては今後のシナリオに影響が出る。なんたって、このゲームは傷ついた攻略対象の心をヒロインが癒していくストーリーなのだ。
なぜこんな展開になったのかは分からないが、エイドリアンからだけは舐められちゃいけない。私が彼の心をぐちゃぐちゃに傷つけてやらないといけないのだ。
「もういい、この役立たず! 別のやつを呼んでこい!」
怒鳴り、そばにあったタオルを手探りに掴み取り投げつける。エイドリアンはそれを避けようともせず、タオルを被ったまま再び距離を縮めた。
「俺がや……ります」
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