第2部 序章 花の咲かない季節
アルステラ王国暦四百三十二年。
大戦の終結から五年が経ち、王都から遠く離れた辺境の村には、
“祈りの学校”と呼ばれる小さな学舎があった。
祈り――それはもはや神へ捧げるものではない。
人が人を想い、支え合うための言葉。
その教えを広めたのは、一人の元聖女と、一人の元将軍だった。
「先生、花が咲きません!」
少年の声が、朝の風を切る。
丘の上の畑で、黒髪の少年カイがしゃがみ込み、芽の出ない鉢を抱えていた。
土は乾き、種は沈黙したまま。
「ちゃんと祈ったの?」
背後から、優しい声がする。
白衣の女性――リオナが微笑みながら膝をついた。
その隣で、灰髪の男が腕を組んで見ている。
「……水をやる前に祈っても芽は出ねぇぞ」
「レオン先生、それ言い方が冷たいです」
「現実的と言え」
子どもたちの笑い声が弾けた。
リオナは頬を緩め、カイの手を取り、土に触れさせる。
「カイ。花は、祈りよりも“想い”で咲くの。
咲かせたい理由を、ちゃんと伝えてあげて」
少年は真剣な顔で頷く。
そして、目を閉じ、小さく呟いた。
「……この花が咲いたら、病気の妹に見せたいんだ。
だから、咲いて」
風が通り抜ける。
土の表面がわずかに揺れた。
そして――小さな芽が顔を出した。
子どもたちの歓声が上がる。
リオナは優しく微笑んだ。
レオンはため息をつき、肩をすくめる。
「まったく……相変わらず、奇跡みたいなことを平然とやる」
「奇跡じゃありませんよ。生きようとする力です」
風が頬を撫で、空は高く青かった。
戦の傷跡はまだ完全には癒えていない。
けれど、人々は少しずつ“自分たちの祈り”で世界を動かしていた。
その夜。
学舎の灯りが消え、村は静寂に包まれていた。
リオナは窓辺で月を見上げる。
――夜風が、あの日の女神の声を思い出させた。
“生きなさい、リオナ。神でなく、人として――愛する誰かのために。”
彼女は微笑む。
外では、レオンが夜警の見回りをしている。
その姿を見て、胸が温かくなった。
「……あなたのおかげで、みんな生きてる」
「何か言ったか?」
いつの間にか背後に立っていたレオンが聞く。
リオナは振り返り、少しだけ頬を赤らめた。
「いえ。――ありがとうって、言いました」
「なら俺も言う。生きててくれて、ありがとう」
二人はしばし見つめ合い、微笑み合う。
静かな夜風が、未来への道を撫でた。
だが――その平穏を遠くから見つめる影があった。
丘の向こう、森の闇の中。
黒い外套の人物が、一枚の羊皮紙を握っている。
『第二の残響 ―発現地、アルステラ辺境。対象:少年カイ』
その文を見た瞬間、人物は唇を歪めた。
「神の残響は、一つではなかったか……」
闇が、再び世界を包み始める。




