第3部 第2章 分岐する祈り ―人か、神か―
数週間後。
アルステラ王国全土を揺るがす噂が広がっていた。
――祈りを代行する“装置”が生まれた。
名は《ルミナコード》。
祈るたびに揺らぐ感情を数値化し、理想的な“祈りの形”を導き出すという。
その技術の元となったのは、かつてユリウスが残した研究データだった。
「……あの装置、もう市場に出回ってるの?」
学院の中庭で、リオナが新聞を畳みながら息を吐いた。
「ええ。王都の病院や裁判所、学校でも導入が始まっています。
“祈りの偏りをなくす”という名目で」
カイが答える。
隣でレオンが眉をひそめた。
「つまり、感情すら“管理”されるってことか」
リオナは空を見上げた。
雲ひとつないのに、どこか光が鈍く感じる。
「……やっぱり、始まってしまったのね。
ユリウスが望んだ、“祈りの再構築”が」
その日、学院の講堂では公開討論会が開かれていた。
議題は「祈りを人が行うべきか、装置に委ねるべきか」。
王国中から学者や神官が集まり、熱気と緊張が満ちていた。
司会者が声を張り上げる。
「では、第一討論――“祈りの倫理”について。
発言を、祈り学院の代表・カイ先生にお願いします」
カイはゆっくりと壇上に立つ。
その視線は真っすぐだった。
「祈りとは、人の心を映す鏡です。
それを機械が代わりに行うなら――
私たちは“自分の心”を手放すことになります」
静寂。
やがて、異論が飛ぶ。
「しかし、装置の祈りは感情の暴走を防ぎます!
人の祈りは憎しみに変わることもある!」
「ええ、それは事実です。
でも、憎しみや悲しみも祈りの一部です。
それを失えば、人はただの“数値”になります」
拍手と罵声が交錯する。
会場の熱が上がる。
リオナが観客席で見守る中、ふと背後から低い声がした。
「――ならば問おう。
人は本当に祈りを制御できるのか?」
その声の主は、黒い外套をまとった男だった。
顔の半分を覆う仮面。その瞳が蒼く光る。
「誰……?」
リオナが立ち上がる。
男は壇上へ歩み出た。
「私は“コード信仰連盟”の代表、オルフェ。
我々は“神を人の手で再構築する”ために生まれた組織だ」
ざわめきが走る。
オルフェの背後の部下たちが、腕に《ルミナコード》の装置を装着していた。
それはまるで祈りの義肢のように光っている。
「あなたたちは……ユリウスの理論を悪用しているのね」
カイが睨みつける。
オルフェは笑った。
「悪用? いいや、完成させただけだ。
彼が夢見た“神の再構築”――それを、私が継ぐ」
「ユリウスはそんなことを望んでいなかった!」
カイの叫びに、オルフェは冷ややかに答える。
「理想は美しい。
だが、世界を救うのは理想ではなく秩序だ」
その言葉と同時に、部下たちが装置を起動させた。
白い光が会場を包み、人々の表情から感情が薄れていく。
「な……にをした!?」
リオナが息を呑む。
「安心を与えただけだ。
“理想的な祈り”を人々に流し込んだ。
怒りも悲しみも消える。
――これこそ、真の平和だ」
カイは歯を食いしばる。
「違う……! それは祈りの“死”だ!」
彼の胸の紋章が光を放つ。
蒼い光が白い波に反発し、会場の空気が震える。
「僕たちは、祈りを手放さない!」
光がぶつかり合う。
装置の波動が砕け、会場中の人々が一斉に息を吹き返した。
オルフェは後退しながら、カイを見据える。
「なるほど……“継承者”の力、か。
ならば――次は世界そのものを試すまでだ」
そう言い残し、彼は消えた。
会場には倒れた装置と、祈りのざわめきだけが残った。
夜。
学院の屋上。
風が静かに吹く中、リオナとカイは並んで立っていた。
「カイ……あなた、また力を使ったのね」
「はい。でも、制御はできました」
「違うわ。
その力はあなた自身じゃない。
ユリウスの“再構築の残響”がまだあなたの中にある」
カイは拳を握る。
「……分かってます。
でも、もう一度だけ信じたいんです。
“祈り”が、人を壊さずに世界を変えられることを」
リオナは彼を見つめ、そして静かに微笑んだ。
「なら、その道を歩みなさい。
でも忘れないで。
神を否定することと、人を信じることは同じじゃないわ」
夜空に星が瞬いた。
その光はまるで、遠くの誰かがまだ祈っているようだった。




