第3部 第1章 再構築の理論 ―祈りを数える者―
夜。祈り学院の研究棟。
機械のうなりと魔導式の光が交錯する中、ユリウスは手元の装置を見つめていた。
「感情値:安定。共鳴率:九十二パーセント……。よし、これで“祈り”の再現は可能だ」
机の上の結晶が淡く光り、空間に数式が浮かぶ。
祈りを数値化し、再構築する――彼が研究していた「ルミナコード」の核心だった。
「もう“奇跡”はいらない。
人間の意思を、完璧に制御できる世界……それこそが神の理だ」
その声には静かな狂気が滲んでいた。
翌朝。
カイは講義を終えた後、学院長室でリオナと向き合っていた。
「先生、最近学院内で“祈りのデータ”を盗み出そうとする動きがあるみたいです」
「また?……誰がそんなことを」
「正確には分かりません。でも……“祈りを測る”とか、“神を再現する”とか、そういう噂が」
リオナの表情が一瞬で硬くなった。
かつての教団――黒の契約者たち。彼らの“祈りを実験に変える思想”が頭をよぎる。
「……カイ。もしそれが本当なら、止めなさい。
祈りは数えるものじゃない。感じるものよ」
「分かっています。でも、どうしても気になります。
もし本当に“再構築”が可能なら――今度こそ、誰も傷つかない祈りができるかもしれない」
「……あなたもそう思うのね」
リオナの目が寂しげに揺れる。
「私も昔、そう信じてた。
けれど、“奇跡を操ろう”とした時、世界は必ず歪むのよ」
その夜。
カイは研究棟を訪れた。
扉の隙間から、青白い光が漏れている。
そっと覗くと、ユリウスが装置の前に立っていた。
「……やっぱり。君だったのか」
ユリウスが振り返る。
「先生、こんな夜にどうしたんです?」
「君の装置……“祈りの再構築”をしてるんだろう?」
「そうですよ。これが完成すれば、誰も苦しまなくて済む。
祈りを数値にすれば、争いも差別もなくなる」
「それは祈りじゃない!
“誰かのために願う心”を、数で測れると思うのか!?」
ユリウスは微かに笑う。
「理想論です。
――あなたたちの“祈り”が世界を救えなかったから、今があるんですよ」
「……何?」
「僕は孤児でした。
“神がいれば救われる”と教えられたけど、誰も助けに来なかった。
だから僕が作る。“本物の神”を」
その目は、かつてのサフィールに酷似していた。
狂気ではなく、純粋な絶望が形を変えた光。
カイは拳を握る。
「……君の気持ちは分かる。
でも“神”を作ることは、人の祈りを殺すことになる」
ユリウスが手を掲げた。
装置が輝き、部屋の空気が震える。
「だったら証明してみせましょう。
――どちらの祈りが“真実”か」
閃光が走り、二人の祈りがぶつかった。
爆音と共に光が弾け、研究棟が揺れる。
リオナとレオンが駆け込む。
「カイ!」
煙の中で、カイは膝をつき、胸を押さえていた。
ユリウスは倒れている――しかし、装置はまだ輝きを放っていた。
「止まらない……。装置が祈りを吸ってる……!」
リオナが走り寄り、装置に手を伸ばした。
光が彼女の腕を焼く。
「リオナ先生!」
カイが叫び、彼女を引き離す。
「ダメです! これは……もう、人の祈りじゃない!」
機械が低い音を立て、空間が歪む。
光が渦を巻き、幻のような声が響いた。
「――願いを統合する。
感情の均一化、開始……」
「祈りが……“消えていく”!?」
リオナが息を呑む。
レオンが剣を構える。
「ユリウスを連れて逃げろ!」
「でも――!」
「いいから行け!」
カイがリオナの腕を取り、倒れたユリウスを抱えながら外へ走る。
背後で、爆光が弾けた。
学院の外。
夜風が吹き荒れ、空が赤く染まる。
カイはユリウスを地面に横たえ、彼の手を握った。
「……どうして、ここまで……」
ユリウスはかすかに笑い、血の混じった息を吐く。
「あなたたちは“祈り”を信じた。
でも僕は、“祈りに裏切られた”。
だから……作りたかったんだ。もう、誰も絶望しない神を」
カイは首を振った。
「君は間違ってない。
ただ、“神”じゃなく“人”を信じてほしかった……」
ユリウスの目が薄く開き、静かに微笑んだ。
「……人、か。
それなら――頼んだよ、“継承者”」
その瞬間、彼の胸の光がカイの中に流れ込んだ。
夜明け。
学院の屋根の上で、リオナとレオンが崩壊した研究棟を見つめていた。
「……また、祈りを“測ろうとした”人間が出たのね」
「だが今度は、止められた」
その背後から、カイの声がした。
「いいえ、止められてません」
彼の胸に、蒼と紅が混じった新しい紋章が輝いていた。
「彼の祈りが、僕の中に残ってる。
“再構築の理論”はまだ終わってない」
リオナが目を見開いた。
風が吹く。
そして――新しい時代の鐘が鳴った。




