第3部 序章 祈りを学ぶ場所
アルステラ暦四四二年。
戦も、神も、奇跡も――もう過去のものとなっていた。
それでも人は祈る。
それは誰かに捧げる言葉ではなく、自分の心を繋ぐ術として。
丘の上に、白い建物が立っていた。
「祈り学院」。
十年前、リオナとレオン、そして青年となったカイが設立した学校だ。
学び舎の中庭には、かつて“祈りの花”と呼ばれた蒼い花が咲き乱れている。
生徒たちは笑い声をあげ、光の下で祈りを学んでいた。
「――“祈り”は魔法ではない。
でも、魔法より強い力になることがある。
それは人の“願い”を現実に変える力だ」
教壇の上、カイが黒板に文字を書きながら言った。
背は伸び、髪も肩にかかるほどになっている。
少年の頃のあどけなさは消え、
今は“リオナの後継者”として学院を導く立場にあった。
「先生、“願い”が誰かを傷つけたら、それも祈りなんですか?」
少女の質問に、カイは少し微笑んだ。
「……それでも祈りです。
でもね、“祈り方”を間違えると、願いは呪いになる。
だから僕たちは、それを学んでいる」
静かな拍手が起こった。
その中で、ひとりの少年が黙って座っている。
黒髪の、鋭い瞳。
名前はユリウス。
彼は最近転入してきた生徒で、どこか冷めた雰囲気を纏っていた。
授業後、カイが校舎の外に出ると、
リオナとレオンが並んで歩いてくるのが見えた。
「相変わらず人気ね、先生」
リオナが笑う。
「まるで昔のあなたを見てるみたい」
「やめてくださいよ。僕なんてまだ半人前です」
カイが苦笑する。
レオンが肩を叩く。
「半人前でも、祈りで国を支えてるんだ。大したもんだ」
「国を……?」
「そうだ。お前の学院の卒業生は、もう王都の議会にもいる。
“祈り”を“倫理”や“医療”に応用する学問として広めている。
お前の想いは、もう国を動かしてるんだ」
カイは少しだけ目を細め、遠くの空を見た。
その青の奥に、十年前の女神の記憶が一瞬、重なる。
(――僕は、本当に正しい道を歩けているのだろうか)
その夜。
学院の研究棟の奥で、ひとりの青年が光の石版を操作していた。
ユリウス。
彼は“祈りを可視化する実験”を行っていた。
「……なるほど。
感情波を収束させれば、“祈り”は数式で再現できる。
つまり――“神”は再構築できる」
その瞳が、冷たい光を宿す。
机の上の装置が淡く光り始めた。
――静かに、世界がまた“何か”を目覚めさせようとしていた。
翌朝。
リオナが学院の丘で花を摘んでいた。
空は晴れ、風は穏やかだった。
「十年経っても、花は咲き続けてくれるのね」
背後でカイが言った。
「あなたの祈りがまだ残ってるからですよ」
リオナは微笑み、空を見上げた。
「いいえ。
この花が咲くのは、あなたたちが祈りを繋いでくれてるから。
私の時代は、もう終わったの」
「そんなことないです。
先生の祈りがあったから、今がある」
リオナは少し照れたように笑い、
「じゃあ、あなたの時代を信じるわ」と言った。
――だが、そんな穏やかな朝の空の向こうで、
再び“祈りの異変”が生まれつつあった。




