3−1 新バグ爆誕
「すごいことが分かったんだ……ッ!」
シスがそう言いながらバロンのマントを引っ掴んで裏庭園にやって来て、先ほどバロンが持って来てくれた朝食を食べている途中だったエラルドは嫌な予感がした。
この場合の『すごい』の内容が良いことなのか悪いことなのかにもよるけれど、第六感とでも言うのだろうか、後者の気がしてならないのだ。
「先ほど会ってからずっと興奮状態なんだ。一旦落ち着いてくれ、シス。何が分かったんだ?」
「それが、その!エラルドくんのデータを徹底的に調べ尽くして三日三晩!すごいことが分かった!」
「突然変異以上にすごいことってあります……?考えたくないんですけど……」
「あるある、あったんだよ!エラルドくん、君、今回召喚された聖者なんだ!!!!」
「………は?」
待て待て、話の理解ができない。
エラルドは持っていたパンをスープの皿に落としてしまうくらいには、激しく動揺していた。それはシスの隣にいたバロンも同じ気持ちなのか、目を見開いたまま固まっている。そんな二人の反応を知ってか知らずか、シスだけが高揚して話を続けた。
「聖者召喚の儀は失敗したと聞いた」
「そう、そう思ってたんだよ、僕も!でも儀式は失敗したんじゃない、成功してたんだ!」
「いや、ちょ、待ってください。でも俺、異世界人じゃないですよ……?」
「そこが不思議なんだけど、でも君が浄化の力を授かっているのが分かった。これは聖者にしかない力で、我々グラン=フェルシアの国民には備わっていない。君が突然オメガに変異したのはもしかしたら、召喚されたであろう異世界からの聖者が君の中に"入ったから"かも」
前世の記憶は蘇ったけれど、異世界人ではない。元々この世界に存在するモブ中のモブ、男爵令息のエラルド・レーラココなのだ。
「あの、聖者召喚の儀式っていつあったんですか?」
「君が追われていた日だよ。僕たちと森の中で会った日」
シスの言葉に、雷に打たれたような衝撃がエラルドの体に走った。確かに『前世』の記憶が蘇ったのも、オメガに体が変化して異常なフェロモンを垂れ流すようになったのも、あの日からだ。
エラルドの中では『前世』だけれど、シスにしてみれば『聖者が入った希少な男爵令息』という認識になっているのだろう。
「(聖者イベが俺にすり替わってるってことは……二重バグが起きてるってこと!?)」
前世、バグ、これらの言葉を出してバロンたちに説明をしてみようとしても、口が動かない。喉が麻痺したように言葉が出てこなくて、呼吸をするので精一杯だった。
この際、国を救うための『聖者』に仕立て上げられるのは、グラン=フェルシアの国民である自分の安全も考慮して、目を瞑る。だが問題なのはそこではなく、このゲームの『主人公』がエラルドになってしまったことが問題なのだ。
つまり、バロンやシスはただの『恩人』ではなく『攻略対象者』になってしまったのである。そしてすなわち、複数の攻略対象者から囲まれる『ハーレム状態』になるわけで――
「(BL展開待ったなし〜〜〜〜〜ッ!)」
生まれて19年、恋愛対象は女性だった。平凡なベータなので、同じく普通のベータの子と結婚をして、家は兄に任せて郊外で静かに暮らしていくものだと思っていた。
それがたった一日の出来事で、状況が一変してしまったのだ。
「(いや、いやいや、落ち着け。絶対に攻略対象者と結婚しきゃいけないわけじゃない……だろ?)」
誰とも結ばれない恋愛シミュレーションゲームって、どんな内容?
『オメガの祈り』は主人公を女性か男性か選べて始められるゲームだが、男性を選んでBL展開になっても最終的にハッピーエンドのルートはどのキャラクターを選んでも結婚だったはず。
誰とも結ばれず全員と親友エンドなんてシナリオは記憶になく、エラルドはぎゅっと唇を噛み締めた。オメガになり異常フェロモンを撒き散らすバグだけでも厄介なのに、それに加えて聖者の主人公になるなんて、あまりにも過酷な状況すぎる。
これから先の未来が真っ暗に見えて、視界が滲んできた。
「……エラルドがシスの言うように聖者であれば、神官の加護を受けにいこう」
「加護……?」
「召喚された聖者に施されるもので、ある程度の障害から守ってくれる。その異常なフェロモンにも多少は効くかもしれない」
「それに聖者だと分かった以上、ずっとここに隠しておくわけにもいかないからね」
「そうだな。とりあえず……シス、神官に話してきてくれないか」
「分かった、行ってくるよ」
シスが部屋を出て行ったあと、呆然としているエラルドの隣にバロンが腰掛けた。放心状態で小さく震えている手が握られて顔を上げると、バロンが真剣な顔をして見つめていた。
「頭が追いつかないのは私も同じだ。聖者という役目が重荷なのもよく分かる」
「殿下……」
「ただ、君が聖者であるのなら、どうかこの国を救ってほしい」
エラルドの手を両手で握ったままバロンは頭を下げ、握った手を額に押し当てて懇願した。第二王子が頭を下げる光景なんてこれから先見ることはないだろうな……なんて呑気に考えていたのも束の間、エラルドはそんなバロンの姿に慌てた。
「や、や、やめてください!殿下が頭を下げることはありません!聖者としての役目が本当に自分に務まるか分かりませんが、俺もこの国の民です。そこはしっかり仕事をしたいと思ってます」
「そうか、その言葉が聞けて安心した……」
「ただ、不安です。オメガとしての異常なフェロモンを持つ俺が、この部屋の外に出ることになるのが……」
またあの時のように、理性を失った人たちから追いかけられるかもしれない。体に馬乗りになられて抵抗も何もできず、乱暴されるかもしれない。
そう思うとまた体が震えてきて、エラルドは俯いた。
「君のことは、必ず私が守る」
「え……」
頭を下げられたことにも驚いたのに、あろうことか彼はソファから降りて片膝を床につく。そしてエラルドの片手を取り、手の甲に口付けた。
「私はいつも、君の側に。信じてくれ」
氷の王子なんて最初に言い出したのは、誰だったのだろう。
こんなにも熱い瞳を持つ人なのに。
バロンの視線、言葉、息遣い、体温、それら全てを鮮明に感じたエラルドの心臓は、早鐘のように脈打った。