2−2 バグ状態把握
王宮の裏庭園に匿われた翌日、太陽が空の真上に昇った頃にバロンとシスが二人揃ってやって来た。
この部屋は不思議なことに窓から王宮の『庭園』の様子が見えるようになっていて、太陽の位置で時間や日の入りや日の出を確認することができる。ただ、あちらからは中の様子が見えないみたいなので、巧妙な魔法を使われているのだろう。今朝、試しに通路を歩いていたバロンに声をかけてみたが反応がなかったので、ここはやはり別空間なのだなと実感した。
「陛下には生態不明のオメガがいるのでこの部屋に匿っていると報告をした。ないとは思うが、陛下が来たら失礼な態度は取らないように」
「生態不明のオメガって珍獣扱いですか……」
「分からないのだから仕方ないだろう。今日はシスから色々と調べてもらうから、そのつもりで」
「そういえば、お二人はその…大丈夫なんですか?」
「?」
「フェロモン量がバグってる俺と一緒にいて……他のアルファとかベータでもおかしくなってたのに……」
「僕もバロンも強めの抑制魔法と薬まで服用しているからね。フェロモンを感じはするしキツいことはキツいけど、理性を失うほどではないかな」
「へぇ、そうなんですね……」
エラルドはベッドに座らされ、バロンはソファに座って足と腕を組んだままエラルドをじっと見つめていた。座ったエラルドの前にはシスが立っていて、つま先から頭の上まで観察されると何だか体がむずむずしてくる。自分のことを観察されるのがこんなに恥ずかしいなんて思っていなかったので、エラルドは足を擦り合わせて視線に耐えた。
「見た目で変化してる部分はなさそうだね。うなじを噛まれているとか、そういうこともないし」
「あっ、そうだ、うなじ……オメガはうなじを隠さないといけないんですよね?」
「そうそう。うっかりうなじを噛まれて"番契約"されたら、苦しむのはオメガのほうだから」
「もしうっかり噛まれたらどうなっちゃうんですか……?」
「一生そのアルファの番でいるか、アルファから強制解除してもらうことはできるが、一生他のアルファと番になれず一人で生きていくか、だな」
バロンが教えてくれた言葉にゾッとした。オメガでいること、うなじを無防備に晒すこと、フェロモンでアルファを誘うこと、番になる相手は慎重に選ばないといけないこと――エラルドはやっと、自分の立場が危ういことを自覚した。
自分が思っているよりもこのバグは深刻で、命さえも左右されてしまうのではないのだろうか?
「……怖がらせるつもりはなかった。強制的に番契約をされないためのチョーカーを持ってきたからつけておきなさい」
「え?あ、ありがとうございます……!」
ソファに座ってじっとこちらを見つめていたバロンが立ち上がり、エラルドの首にチョーカーを巻き付ける。それだけで少し息苦しく感じて、はぁ、と重く息を吐いた。
「このチョーカーに魔法をかけた」
「魔法、ですか?」
「ああ。君の意思でしかチョーカーが外れない魔法だ。この先、もしも番になりたいと思う人が現れたら、その時はこのチョーカーが自然と外れるだろう。それまでは外れないから、そんな顔をしないで安心しなさい」
いつの間にかエラルドが不安そうな顔をしていたからか、バロンがくしゃりと頭を撫でて少し微笑んだ。噂に聞いていた『無愛想な鉄仮面の氷の王子』という、ありとあらゆる彼への暴言がエラルドの頭の中に浮かんできたけれど、それとは程遠い微笑みに胸がぎゅっと締め付けられた。
「さて、落ち着いたところで……今度は全体を調べていくよ。魔法を使うから動かないでね」
シスが手をかざした途端、エラルドの体は金色の光に包まれた。驚いて目を瞑ったけれど特に痛みもなく、太陽が差し込む温かい部屋で眠っている時のような、そんな感覚だった。
「――うん、やっぱりフェロモンの数値が異常に高い…通常のオメガの何百倍もある。そりゃ、ただ立ってるだけで他のアルファやベータ、それに魔獣まで反応するはずだ」
「でも、発情期中というわけでもないだろう、こいつは。平気そうに見える」
「エラルド、いま自分の体が火照っていたり、おかしいところはない?」
「別に変わったところはない…ですね。昨日の人たちみたいに興奮する気持ちとか、そういうのもないです。あ、でも、昨日は心臓がバクバクしてたかも…怖かったからですかね」
「うーん、確かに、フェロモン以外は発情期中っていう感じではないな……体温も受け応えも普通だし…」
「つまり、通常時でもフェロモンだけが異常だということか?」
「そうなるね」
シスが説明してくれた診断結果は、オメガ特有の発情期ではない状態でも常に発情期以上のフェロモンを垂れ流している、ということ。つまり、今まで出来ていた日常生活に支障が出て、一人で街を歩くものなら昨日のように理性を失ったアルファたちに追いかけられる、ということだ。
エラルド自身にその気はなくても強いフェロモンに誘われたアルファやベータを相手に『そんなつもりはなかった』は通じない。レーラココの家に帰れば自分とは違い優秀なアルファの兄がいるので、屋敷に帰っても大惨事になるのが想像できる。
シスの見立てだと、今のところエラルドは抑制剤も効かなければ、シスの強い抑制魔法も効かないらしい。端的に言えば、手の施しようがないという話だ。
「こんなにオメガとしての力が強い人間がいたという事例は医学書を遡ってみたけど見つからなかった」
「オメガとしての力って……」
「繁殖能力が高いってことだね」
「はんしょくのうりょく……」
「フェロモンとか発情期って相手を探している、という話で……」
「つまりどういうことですか?」
「……大昔、オメガは繁殖だけが仕事だと言われていた時代がある。フェロモンや発情期は言い切ってしまえば単なる繁殖行動だ。つまり、お前は常に"子供を身籠る準備ができているから相手をしてください"と言っているようなもの。妊娠したいのだと、自らアピールしているようなものだ」
バロンが言い切った言葉にシスは苦笑していたけれど、彼の言葉を否定しないということは事実を言っているのだろう。
ただ、変にアルファやベータを引き寄せるだけだと思っていた『フェロモン』。自分には関係ないのだとどこか楽観視していた過去と、オメガバースという世界をきちんと理解できていなかった前世の自分。
「(………っこのバグやばいやつじゃん!!)」
どうせなら主人公である聖者に転生して、浄化の能力が限界突破している、みたいなバグだったらよかったのに――!
一歩間違えば死亡フラグになり得る診断結果に、エラルドはぼふりとベッドに身を投げ捨てた。