2−1 裏庭園の秘密
「抑制剤を飲んでもほぼ効き目がないとは、なかなか手強いオメガだね……」
「す、すみません」
「怒ってるわけじゃないよ。とりあえず、フェロモン抑制の魔法をかけるからじっとしてて」
自分でフェロモンが出ているのか出ていないのか分からないのが難点だが、ずっと心臓はバクバクと暴れ狂ったように脈打っている。バロンとシス以外の騎士たちはエラルドを追っていた人間たちを街に運ぶためにせっせと働いていて、バロンから王宮に連れて帰ると言われたエラルドは抑制剤が効かずシスから魔法をかけられる羽目になった。
「ふぅ、これでなんとか……」
「あの……」
「うん?」
「お、お手数をおかけして、本当にすみません……」
常に周りを警戒しながらエラルドの近くにいるバロンも、抑制剤と同じような効き目のある抑制魔法をかけてくれるシスも、二人ともフェロモンに反応してキツそうなのはエラルドにも分かった。
バロンにいたってはエラルドを視界に入れないようにしているようで、ぎゅっと握り拳を作って耐えているのが分かる。前世の記憶と自分がバグオメガだというのが分かってエラルド自身も混乱していたけれど、たった一人のオメガのせいで色んな人を巻き込んでしまったと自覚すると、またじわりと涙が溢れてきた。
「国民を助けるのが騎士や王宮に従事している者の務めだ。何をそんなに責任を感じているか知らないが、こういう時は甘えておけばいい」
ふう、と熱のこもった息を吐き出したバロンはぽんぽんっと優しく肩を撫でてくれた。
この人はなぜ『氷の王子』と呼ばれているのだろう?
きっとそんな噂くらいどこかで聞いているだろうけれど、今はオメガの自覚と前世の記憶が頭の中でごちゃごちゃに混ざり合っているので思い出せない。
無愛想とか鉄仮面とか喜怒哀楽がないとか、そんなことはないように思えた。
「僕の抑制魔法でもなかなか落ち着かないな……このまま連れて行くと王宮内も混乱になる。どうするんだ、バロン」
「シスの強い抑制魔法も効かないか……裏庭園を使うしかないかもな」
「裏庭園?」
この世界のことは大体知っていると思っていたけれど、バロンの言う『裏庭園』が何のことなのか分からなかった。
「あまり知られていないが、昔の国王の中には隠れてオメガを囲っていた王もいたそうだ。身分違いの恋、というやつでな」
「へぇ……」
「なんとなく、君を私やシス以外の人目に触れさせてはいけない気がする。私のマントを頭から被っていなさい」
バロンが自分の着ていた黒いマントをバサリと頭から被せ、ぐいっと引き寄せられた。厚いマント越しに肩に触れられる熱にエラルドの体が震えた。
「おお、バロンが積極的……」
「少しでもアルファの匂いでかき消さないと、また襲われる」
「す、すみません……ありがとうございます」
「馬に乗って王宮まで戻る。振り落とされないようしっかり捕まっていなさい」
「………馬?」
「馬だ」
「のののの乗ったことないんですけど……!?」
「だから、しっかり捕まってなさいと言ったんだ」
真っ黒で艶のある毛並みの大きい馬に乗せられたが、慣れていないので馬の首にぎゅっとしがみつく情けない姿になってしまう。そんなエラルドを気にも留めず、バロンが颯爽と後ろに跨ると馬が駆け出した。
「姿勢が保てないならそれでいい。ただ落ちないように体勢を低くして、ヴィクターにしがみついておくんだ」
「は、はいぃぃ……っ!」
初めて馬に乗った感想は、明日は絶対に筋肉痛になるだろうな、だ。
馬で闇の森を駆け抜けて王宮に戻り、誰にも会わないように素早く三人で移動した。エラルドはバロンのマントを頭の上から被ったまま、彼に抱き寄せられながら歩みを進める。正確には抱き寄せられるというより、小脇に抱えられていた。
「シス、誰も来ないか周りを見ていてくれ」
こそこそと庭園に忍び込み、迷路のように入り組んだ庭園の一番奥にたどり着くとレンガの壁があった。その壁にバロンが手をかざし、よく分からない呪文をぶつぶつ唱えるとレンガの壁にドアが出現して、エラルドは驚きに目を見開いた。
「うわぁ……」
ドアを開けると、その中には綺麗な部屋が広がっていた。王族が世間には言えない恋人を囲うための部屋なので、この空間だけでなんでも完結できるような部屋が作られたのだろう。
裏庭園と呼ばれる呪文を唱えないと出現しないドアの中に広がる部屋なので、きっと高度な魔法で作られたものに違いない。どのくらい使われていなかったのか、はたまた最近まで使われていたのか全く分からないけれど、部屋が古びているとは感じなかった。
「当分の間はここで過ごしてくれ。私とシスが突然変異のオメガ性を調べ、周りに悪影響や危険がないと判断したら国王へ報告し、家族の元へ帰そう」
「もしも判断がつかなかったらどうするんですか……?」
「"判断がつくまで"ここにいてもらうことになるな」
「なるほど……」
手に負えないからと街に放り出され、異常なフェロモンに興奮した人たちから追いかけられるよりマシだ。見たところバロンはほとんどフェロモンが効いていないように見えるし、宮廷医師のシスは自身にも強い抑制魔法をかけているのだろう。
身の危険を感じる街中に帰されるより、今はこの二人を信じて大人しくしていたほうが身のためだ。保護してくれたのがたとえ『氷の王子』だとしても、裏庭園に招いたくらいなので悪いことはしてこないはず。今はそう信じるしかないのだ。
「シスはここのドアを出現させられないから、食事は私が持ってくる。それと都合上、侍女や侍従をつけられるか分からない。身の回りのことは自分で出来るか?」
「だ、大丈夫です。こちらに匿ってもらえるだけ有難いので……バロン殿下やシス様のご迷惑にならないように過ごします」
「そうか。必要なものがあれば言うように」
「はい、分かりました」
「とりあえず、早速検査を始める?」
「……いや、明日でいいだろう。私たちも討伐帰りだし、エラルドも疲れている。詳しいことは明日にしよう。あとで食事を持ってくる」
拍子抜けした。てっきり体の隅々まで調べ尽くされるのだろうと思っていたので、明日でいいと言うバロンに驚いてしまったのはエラルドとシスのほうだった。
そしてさっさと部屋を出て行こうと身を翻すバロンの袖を思わず掴むと、氷のような冷たい色をした瞳がじっとエラルドを見下ろした。
「あの、マントをお返ししないとって思いまして……」
「……いや、いい。フェロモンがついているから、持ち帰るのはやめておく」
「そっか、そうですよね……すみません」
くんっと匂いを嗅いでみたけれど、自分のフェロモンの匂いは分からない。でも返すのを拒否されたということは、相当な匂いがついているのだろう。
「バグ、か……」
思いもよらないバグに見舞われ、シナリオにはない方向に進んでいる。この世界とキャラクターたちについて自分の知っていることを書き出して整理しないと――
そう思いながら、ふかふかのベッドに倒れ込んだエラルドは気絶するように眠りについた。