1−3 攻略対象者たち
熱い手に腕を掴まれたまま騎士のような男に連れられ、どんどん森の奥へ進んでいる気がする。なすがままのエラルドの頭の中は『助けられた、安心安心』という気持ちより『こんな奥に行って、俺は人知れず死……?』と、男たちに追いかけられていた時と同じ思考が駆け巡ってぐちゃぐちゃだ。
「あの、あの……!」
「なんだ?」
「おれ、その…食べても美味しくないのれ、は、はなしてくらさいぃ…っ!」
「………は?」
「オメガとか、だって、さっき自覚したばっかりなのに、なんでこんな目に……ぐすっ。おれのことなんて放っておいてくらさいよぉぉ……」
「そういうわけにはいかない。私が手を離したらお前はすぐ死ぬぞ」
「死ぬとか怖いこと言わないでくらさいよぉぉぉっ!」
「泣くか喚くかどちらかにしてくれ……」
どうにかこうにか逃げてみようと思ったけれど、優しくも力強くエラルドの腕を握っている男の体温がなぜだか心地よく感じて、逃げられなかったと言い訳をしてみる。
「(でもなんか、この人見たことあるような……誰だっけ……)」
起き上がってから一瞬しか顔は見えなくて、今はずっと後頭部しか見ていない。けれど、あの声と鋭い瞳、そしてあの威圧的なオーラに何となく覚えがあった。
「――ハーシェル騎士団長!この辺りの興奮状態の人間と魔獣の制圧、完了いたしました」
「ご苦労」
ハーシェルって、もしかして――
「原因と思われるオメガが襲われそうになっていた。シス!強めの抑制剤をくれ。こいつは自ら抑えられないようだ」
「バロンは平気かい?君も反応してるようだ」
「ラット抑制剤は飲んだが、かなりキツイな……」
「君が言うなんて相当……珍しい」
「フェルリ先生、オメガ用の抑制剤はこちらしか……」
まるで軍の駐屯地のように騎士たちが集まっている場所に連れてこられたエラルドは、一人だけ真っ黒な団服を身に纏い、長い黒髪を風になびかせている『バロン・ハーシェル』について、思い出した。
彼はエラルドが思い出した前世で一生直らないバグを修正しながら毎日向き合っていた、リリース直後に謎のバグが発生した恋愛シミュレーションゲーム『オメガの祈り』に出てくるキャラクターの一人だ。
恋愛シミュレーションというから、もちろんキャラクターは複数人いる。いわゆる『攻略対象者』というやつで、主人公が誰と結ばれるのかはゲームシナリオの選択に応じて変わっていくのが普通だ。
王道のエンディングはこのグラン=フェルシアの第一王子であるロラン・ハーシェルと結ばれるルート。そして次に考えられる王道ルートは、第二王子であるバロン・ハーシェルのルート。バロンは魔獣討伐や国全体に広まっている瘴気の鎮圧を専門とする第四騎士団の騎士団長で、聖者という立ち位置の主人公と行動を共にすることも多いキャラクター。
ロランとバロンは実は双子で容姿も似ているけれど、中身は全く似ても似つかないと有名だ。
いつも笑顔で人徳があって国民からも支持され、太陽の化身だと言われ『炎の王子』と呼ばれている第一王子のロラン。それとは反対に、全ての表情筋が死んでいて喜怒哀楽がなく、いつも無表情の鉄仮面、口を開けば全てが凍りつくと言われ『氷の王子』と呼ばれている第二王子のバロン。
ただバロンは武術や体術に長けていて、22歳という異例の若さで第四騎士団の騎士団長になった国一番の天才。実は隠れファンが多いとか何とか…そういう設定だったような気がする。
「おい、大丈夫か?」
「あっ、は、はい!」
「とりあえずこの薬を飲め。話はそれからだ」
「アルファ性の騎士は大半帰還してたから良かったものの……君、そんな状態で森の中に逃げるなんて命取りでしかないよ」
「これ、なんの薬ですか……?」
「オメガのフェロモンを抑えるための薬だ。ここにいる者たちも同じような薬を飲んでいるが、元凶であるお前が落ち着かないとこちらも何をしでかすか分からない」
「訓練されていると言ってもこちらも人間。自分を守るためにも飲みなさい」
エラルドに白い錠剤を手渡す薄緑の綺麗な髪の毛を持つ男性は、シス・フェルリ。彼も攻略対象者の一人で、バロンと同じく異例の若さで宮廷医師となった医学と魔法に精通する天才。それに加え、バロンやロランと同い年の幼馴染というてんこもり設定。
シスと主人公の関係性でいえば、突然この世界に召喚され、頭も体も心も追いつかない主人公を優しく導いてくれるような立ち位置のキャラクターだ。
主人公は異世界から召喚された設定だが、この国に召喚されたということは聖者やオメガの隠れた素質があるということ。主人公のバース性はオメガになり周りのアルファたちから求婚される、いわゆるハーレム状態になる恋愛ゲームというわけだ。
「(……主人公が初めて発情期になった時に言うセリフと同じじゃないか…?)」
自分を守るためにも飲みなさい、という言葉は本来主人公と良い仲になってきた時にシスが言うセリフだ。オメガ特有の発情期に苦しむ主人公がシスに「楽にしてほしい」とねだる場面で、彼の理性と優しさが働く、グッとくるシーン。
『バグオメガ』という自分の存在のせいで、シナリオが変わっている――?
バロンが闇の森で男爵令息を助けるなんていうシナリオは、そもそも存在していないストーリーだ。バグの存在によって中身が変わってしまったというほうが正しいだろう。
「騎士団長!レーラココ男爵家に連絡が取れました。息子であるエラルド・レーラココがオメガだと知らなかったようです。今までのバース検査ではベータ診断だったと」
「突然変異、というやつか?シス。そういう可能性もあるのか」
「なきにしもあらず、かな。事例は見たことないけれど」
「本人は先ほど自分がオメガであると自覚したと言っていた。一体何があったんだ?」
「これほどまでのフェロモン量は尋常じゃない。アルファやベータの人間だけではなく魔獣まで彼のフェロモンに反応して興奮していた……君、一体何者なんだ」
そんなの俺が知りたいわ!これはゲームのバグ!俺が連日向き合っても直せなかったバグなの!!
と大声を出したつもりだったのだが、それは言葉にならずただパクパクと口を動かすだけだった。もしかすると、この世界が崩壊する可能性があるような前世の話ができないように言葉が制限されている――?
「た……」
「た?」
「助けてください……俺は一体、どうしたらいいんですか……」
こんな状況、もう泣くしかない。
ボロボロと涙をこぼしながら彼らを見上げると、喜怒哀楽がなく無愛想な『氷の王子』の目が見開くのが分かった。
「……一旦、王宮に連れ帰る。このことは他言無用。私とシスで原因を追求するので、他の者は気絶している人間を街まで運んでくれ」
周りにそう指示をしたバロンはエラルドの前にスッと手を差し出す。その手を取っていいのかどうか迷っていると、宝石のような青い瞳が『大丈夫だ』と言っているような気がした。