7−3 変化の疑惑
あの一件から、悪い方向に変わってしまったことがある。
「エラルド、冷えるだろうからもう少しこっちに……」
「ッ!」
「…すまない。一言声をかけるべきだった」
誰であろうと、アルファから触られるのを拒否してしまうようになったのだ。
婚約の話が進んでいるバロンはあの一件以来、前よりも過保護になった。エラルドと一緒に過ごす時間が増えたのだが、そんな彼にさえ今は『触れられたくない』と思ってしまう。
エラルドは頭の中ではバロンの体温を求めているけれど、体が言うことを聞かずに勝手に驚いてしまって、自分でもどうしたらいいのか悩んでいるのだ。このまま拒否し続けていたら嫌われるかもしれない――そんな恐怖と、あの時のアルファたちの目が忘れられない恐怖と相まって、感情がぐちゃぐちゃだった。
「殿下、あの……この状態で実家に帰るのは、とても複雑なんですが……」
「むしろ王宮がずっと引き留めていてすまなかった。君がいつ戻ってきてもいいように部屋を整えておくから、その間実家で羽を伸ばしてくると良い」
「でも、その……」
「エラルド、触れても良いか?」
「あ、は、はい!」
一度実家に戻ったほうがいいと言われていたのだが、この状況でバロンと離れることに漠然と不安を抱えていた。結局帰ることになったエラルドの複雑な心境を汲み取ったバロンは、エラルドの許可を得てそっと頬に触れる。
頬をするりと撫で、目元に触れ、唇に触れた。バロンが『怖くない』と言うように優しく触れてくれる指はエラルドの心を満たして、ほっと息を吐いた。
「私が君を嫌いになることはない」
「え……?」
「君が思っているよりもずっと、私は君のことが好きだ。こんな気持ちを抱いたのは初めてだから確証はないが、君に対する心は愛なのだと思う」
顔色をひとつ変えず『愛』という言葉を使うバロンにエラルドのほうが照れてしまった。先日シスも『歯の浮くようなセリフをサラッと言うからかっこいい』と言っていたのを思い出す。本当にサラッと言うから驚いてしまうけれど、裏表がない素直な人だなと安心できるのだ。
「だから、心配せずに行ってきなさい。帰ってくるのを待ってる」
「ありがとうございます、殿下……行ってきます」
王宮が馬車と護衛の騎士を手配してくれて、エラルドは久しぶりに王宮の外へ旅立った。
実家に帰る途中にパン屋に寄り、あの日渡せなかった兄への誕生日プレゼントを買い直す。そしていざ実家に戻ってきたのだが、なんとなく緊張してドアをノックできなかった。
あの日、このドアを出て街に出かけた『エラルド』とは何もかも違う。エラルドが聖者になったことやオメガに転換したことは王宮からの連絡で家族は知っているだろうけれど、変わった自分を受け入れてくれるのか不安で緊張した。
「……エラルド?」
ドアの前に突っ立っていると、後ろから声をかけられる。その声に反応して振り向くと、綺麗な女性が赤ちゃんを抱いていて、その隣にいる男性は両手に荷物を持ったまま目を見開いて固まっていた。
じわじわと男性の瞳が赤く染まり、両手に持っていた荷物が鈍い音を立てて地面に落下した。
「エラルド!」
「う、わ……っ!」
飛びつかれて体勢を崩したエラルドが尻餅をつくと、門の前にいた騎士が剣を抜こうとした。それを慌てて制止して「兄なので!兄だから大丈夫です!」と叫ぶと、エラルドの耳元でぐすっと鼻を啜る音が聞こえて苦笑した。
「兄さん、不審者として騎士から斬られそうになってたよ」
「うるさい!お前は、本当に……!便りの一つも寄越さないで!王宮のクソ真面目な手紙しか来なかった俺の気持ちが分かるか!?」
「分からないけど、分かるよ。ごめん、兄さん」
「ごめんで許すと思ったらっ、大まちがっ……許すよ馬鹿野郎!」
「あはははっ!」
大泣きしている兄、デリック・レーラココのぐしゃぐしゃになった顔を見ると、この状況になってから初めてエラルドは声を上げて大笑いした。デリックの泣き声とエラルドの大笑いの声に気がついた両親が家から出てきて、久しぶりに帰ってきたエラルドと家族の再会を果たした。
エラルドの不在中、デリックと妻の間には第一子である男の子が無事に生まれていた。周辺の村では続々と懐妊報告がされていると聞き、暗雲が立ち込めていたグラン=フェルシアにも希望の光が見えてきた。
「婚約の話まで全部書面で済ませちゃうんだから、本当の話なのか疑ったわよ!」
「す、すみません……」
「しかし第二王子のバロン殿下がお相手とは……」
「まさか王族に嫁ぐ弟が現れるなんてなぁ」
「俺だって自分の状況にまだ頭がついていかないよ」
久しぶりに家族水入らずでゆっくりと食事をしながら話をして、バロンとの婚約を家族も受け入れてくれているのが分かって安心した。
「エラルド!」
「なに?兄さん」
食事を終え、移動でも疲れたから眠ろうと自室へ向かっているとデリックから呼び止められる。食事の時は笑顔だったデリックが真面目な顔をしてエラルドを見つめていて、なんだか胸がざわついた。
「ベータだったお前がオメガになったって王宮からの報せで知った時は驚いたけど……」
「そうだよね。俺もそんなことがあるんだって驚いたから」
「でも、その……言いにくいんだけど」
「……なに??」
「お前、本当にオメガになったの、か?」
「え?」
デリックの言葉の意味が分からなくて何も答えられないでいると、兄はぐしゃぐしゃっと頭を掻き回してため息をついた。
「俺はこの家で突然生まれたアルファだと思うけど…実は、微かでもオメガのフェロモンが分かる体質なんだ。今でこそオメガってあんまりいないけど、すれ違っただけで分かる。オメガって発情期じゃなくても微量のフェロモンが出てるもんなんだよな。でも、お前は……」
「俺は、なに?」
「正直、何も感じない。今までと同じで、何も感じないんだ」
鈍器で頭を殴られたようだった。
フェロモンの量が激減しているとシスから診断され、今なら他のアルファを誘うことはないだろうと言われて実家に戻ることを許可されたのだ。
突然変異のバグオメガがやっと体に慣れてきたのだろう、と。
「もう一度ちゃんと診断してもらったほうがいいんじゃないか?」
「あ、うん……分かった。ありがと、兄さん」
バグが直ってベータに戻ったのであれば、そのほうがよかったのだろう。
でも今のエラルドにとってオメガからベータに戻ることは、愛する人を失うということだった。




