5−3 闇の森vsバグΩ
「うわぁぁあんっ!俺のフェロモンがどんな魔獣にも効くなんて聞いてないれす〜〜〜〜っっっ!」
「エラルド、行くな!常に私の近くにいなさい!」
「おいテメェら、そのオメガ置いていけコラァ!」
「ひぃぃぃっ!もう誰も、俺に構わないでください!!!!」
本格的に闇の森へ入る前、体制を整えるためにも宿に一泊したのだが、その宿でも一悶着あったものだ。
宿泊客やレストランの従業員がこぞってエラルドのフェロモンに反応してしまい、部屋から一歩も出られない状況に陥った。それどころか宿の壁を伝ってエラルドの部屋に侵入してこようとする輩もいたので外にも警備を敷くことになり、てんやわんやだったのだ。
そしてなんとか闇の森に入ったと思ったら、後をつけてきたアルファたちやエラルドのフェロモンに反応して興奮状態の魔獣たちが群がってきたので、絶賛追いかけられ中である。
「人間は決して傷つけるな!魔獣は討伐、人間は気絶させる程度にやれ!追ってきている人間を魔獣から守ることを最優先しろ!」
「了解しました!」
「神官!エラルドに結界を張ってくれ!」
「任せてください!」
初めてバロンたちと会った時と同じように、人間と魔獣から追いかけられている最悪な状況。これでは瘴気の根源に辿り着く前に全滅してしまうか、何かしらの大事故が起きかねない。一定のポイントで敵を待ち構えて魔獣は討伐し、森の入り口ではエラルドを追ってきた人間を中に入れさせないように気絶させて運び出す。
こんなことをやっている内にまた日が暮れそうだが、ある程度一掃しない限り身動きは取れないだろう。
「エラルド、私から離れるな!」
「は、はいっ!」
パニックに陥り、一人で走り出そうとしたエラルドの腕を掴んだバロンは自分の背中に彼を隠し、剣ではなく魔法を使って魔獣を討伐することに集中していた。神官や医師団の中にも攻撃魔法を使える人はいるので全員でエラルドの盾になり、襲いかかってくる魔獣を殲滅した。
「――大丈夫か、エラルド」
「だ、大丈夫です……守ってくれてありがとうございます、殿下」
「それなら安心した。はぁ、それにしても……」
「まさかここまで大事になるとは思わなかったな、バロン」
「本当にな」
「フェロモンコントロール、ちゃんとできてると思ってたんですけど……」
「私たちが慣れてしまったのか、微量でも君のフェロモンが特別なのか……なんにしても、そろそろ次の服用時間だ。それも相まって寄ってきたんだろう」
「本当にお手数をおかけして申し訳ないです……」
「あまり気に病まないでくれ、エラルド。君が浄化している間に討伐すべき魔獣の数が減っただろうから」
身を挺して守ってくれたバロンは額に汗を浮かべ、小さく笑いながらエラルドの頭を撫でる。元々この闇の森に溢れている魔獣たちは瘴気の影響を受けて凶暴化していて、そこにエラルドのバグフェロモンが加わったことで更に活発化しているのだ。
特別訓練もされていない街の住人であるアルファたちは特殊なフェロモンに耐性もなく、脆い理性はすぐに壊れてしまうのだろう。全く想像していなかったわけではないけれど、まさかこんなにも襲われるとは思っていなかったので思わず頭を抱えてしまった。
「心配するな、瘴気の根源はもうすぐそこだ。イレギュラーな場面でこれだけ戦えたのだから大丈夫」
「エラルドの体力や気力次第だけど、一度で終わらせられたらそれに越したことはないな……」
「が、頑張ります……っ!」
森の入り口でアルファの対応をしてくれていた騎士たちと合流し、本来の目的である瘴気の浄化をするために森の奥へ歩みを進めた。奥に進むにつれて空気が淀んできたのを感じるし、木々の間からじっと様子を窺われているような、野生の『何か』から見られているような気配にずっと背中がぞわぞわして落ち着かない。
そんなエラルドに気がついたのか、後ろを歩いていたイーヴァルがそっと背中を撫でてくれてホッと息を吐けた。
「――ここが、瘴気の根源だ」
バロンを先頭に闇の森を進み、現れたのは真っ黒な大樹。木の根本から葉の先まで瘴気に侵されて真っ黒になっている大樹を見ると、より一層不安が募ってきた。
「準備はいいか、エラルド」
「……はい、やります!」
「安心してください。後ろから私が直接結界を張ります」
大樹の前に膝をつくエラルドの背中にイーヴァルが手を当てたまま呪文を呟き、二人と大樹を囲うように神官たちが結界を張り巡らせる。更にそれを守るようにバロンと騎士たちがぐるりと取り囲み、浄化の邪魔をするかもしれない魔獣の襲撃に備えた。
「練習の通りにやれば大丈夫です。あなたならできます、エラルド」
真っ黒に染まる大樹の根元に手をかざし、一度ゆっくり深呼吸をする。背中にはイーヴァルの体温がじんわりと伝わっているからか思ったよりも落ち着いているし、頭の中は今までの混乱を忘れてクリアになっていた。
『瘴気を浄化する時は、大樹を本来の色に戻すことをイメージしてください』
きっとこの大樹は暖かい季節になると鮮やかな若草色の葉を宿し、森を駆け抜ける爽やかな風に揺られることだろう。朝露に煌めいて、葉先から落ちる雫を小鳥が飲む姿が眼に浮かぶ。
「(本来の、綺麗な大樹に……)」
この大樹は国を滅ぼす瘴気の宿主になるために生まれたわけでなく、この森に住む全てのものたちの拠り所になるために生まれてきたのだから。
「――浄化、50%完了!」
「エラルド、あまり無理するな!」
結界の外から大声を出しているバロンの声は、浄化に集中しているエラルドの耳には届いていなかった。エラルドの意識は大樹の根元だけに集中していて、今はただ浄化のことしか頭になかった。
「浄化、90%……!」
「イーヴァル、本当に大丈夫なのか!?」
「今のところは、順調に見えます……っ」
魔獣たちだって好きで凶暴化しているわけではない。本来ならこの森に住まい守る役割を担っていただろうに、瘴気のせいで我を失っているだけなのだ。
瘴気が消失したらこの国はまた元通り、豊かになるはず――
『人類の平和』なんて願ったことはないけれど、今のエラルドの頭の中はその『祈り』ばかりが占めていた。
「浄化完了です、バロン殿下!」
イーヴァル声がバロンに向かってそう言ったかと思うと、エラルドは目の前がフッと真っ暗な闇に包まれて意識が遠のいた。
「――エラルドッ!」
意識が途切れる寸前に聞こえたバロンの声は温かい場所に連れて行ってくれるような、そんな夢を見せてくれるような、そんな声だった。




