第三章・愛と悪の相乗効果〜1〜
第三章・愛と悪の相乗効果〜1〜
その夜を瑛人は結局寝ることができずに過ごした。家にいても考えたくないことに頭が冴えるので朝六時から開いている第一管理局の食堂で朝食を食べることにした。
瑛人が食堂についたのは朝の六時半。モーニングを利用するのは徹夜で仕事をしたときぐらいなもので、久しぶりだった。
シリアルを主食としたモーニングセット、飲み物はホットミルクティー。早朝ということもあって広い食堂のテーブルのほとんどが空いていた。多くの人の代わりに、静けさと若干の寂しさが食堂にあるように思えた。
窓際の席に座り、ミルクティーを飲んでからタブレットにニュース番組を映した。
昨日、瑛人と楓の二人が捕らえた連続殺人犯のことが取り上げられていた。どうやら斎藤蓮人は容疑を認めていることは変わりなく、今日にでも監禁型更生施設に行くみたいだ。
「次のニュースです」
アナウンサーの女性が言うと巨大兵器の画像が表示された。ニュースの内容は「クリムが活発化、警戒が必要」というものだった。昨日、新宿で赤木と天音が暴動を鎮圧したにも関わらず、早速新しい暴動だ。全体的なクリムの犯罪は増加している。一つの火を消しても、火種はあちこちにあるものだ。
ニュース番組が取り上げていた場所は杉並区と中野区の境目あたり、確認されている巨大兵器は四体、小型は多数。電磁結界と動作阻害パルスで被害範囲を抑えているが、長引けば被害は広がるとして警戒を呼びかけていた。
管理局への当てつけだ。いつも頭を高くして管理などしているのだから、これくらい早く対処しろと言いたいのだ。
「よう。昨日ぶりだな」
聞きなれた声だった。声をかけてすぐに瑛人の対面に座ったのは赤木哲正だった。朝からモーニングメニューではなくてラーメンを食べるつもりらしい。
「瑛人がこの時間に食堂にいるのは珍しいじゃないか」
「寝れなかったからね。赤木こそ早いじゃないか」
「俺はだいたい、ここのモーニングを食べている」
赤木は元気よくラーメンをすすり始めた。背丈に似合って豪快な食べっぷりだった。
「それ、またクリムか?」
瑛人のタブレットを見ながら赤木は言った。
「昨日鎮圧したばかりだろう。今回は誰が行くんだろうな」
赤木の食べっぷりに触発されて、瑛人もいつもより食が進んでいた。デザートのヨーグルトを食べ始める。
「さあね。副支部長が出るかもな」
「いや、副支部長は足立区と葛飾区の方だ」
徐々に朝もいい時間になってきて、食堂に人がちらほらと見え始めた。
ラーメンを食べ終えると、赤木が瑛人に「今日やることは決まっている?」と聞いた。
「何もないけど。どうして?」
「よし、なら訓練室に行こう」
「おいおい、朝からやるのか?」
赤木は問答無用といった様子でラーメンの大きな器の乗ったトレーを持って立ち上がった。二人の付き合いは長い。赤木は『こうすれば』瑛人がついてきてくれると知っている。
そうして二人は早めの朝食を終えて訓練棟に入った。
三十階建て。縦には大きくないが奥行きが長い。一つのフロアに百メートル四方を超える広さの訓練室が五個並べられている。
瑛人はただの訓練のために連れてこられたのではないと直ぐに悟った。朝ということもあって一階の部屋も開いていたのにも関わらず、赤木はエレベータに乗ったのだ。
「わざわざ上の階に行く理由は?」
「まあまあ、すぐにわかるから」
降りたのは五階だった。赤木の言ったように、降りてすぐに、目的がわかった。
防音設備の整った訓練室でも、微かに金属音が聞こえてしまうほどの激しい戦闘音がする。エネルギースーツを高出力で扱える者同士が訓練しているということがわかる。
赤木がわざわざ瑛人に見させようとしたその訓練室には、楓がいた。朝から息を切らし、汗を激しく流す姿がそこにはあった。楓の相手をしている人物もよく覚えのある人物だ。天音だ。
「彼女はほとんど毎日、朝早くからここにいるよ。俺は見かけていただけだけど、天音はよく彼女の訓練に付き合ってあげているらしい」
赤木はそう言うと瑛人の背中を押して訓練室と廊下の間にある控室に入った。
「あ! 瀬戸さん!」
瑛人を見つけると楓は訓練を中断して挨拶をした。疲れていてもさすがに礼儀正しい。
「あら瑛人、来ていたのね。楓ちゃん、休憩にしましょう」
天音の指示に楓は大人しく従った。持参のタオルで汗を拭きあげて、水分補給をして一息つく。すると楓が瑛人に話しかけた。
「こんな朝早くに、珍しいですね」
瑛人から見て楓は心配になるほどに疲れていた。肩で息をしている。汗を拭いたのに、もう次の汗が出てきている。
(それに、昨日だって何時に帰ったのか知らないけど……)
楓が座ったベンチに瑛人も座った。
「楓ちゃんは毎日朝からここに来ているの?」
「毎日、というわけではないですけど……」
答えにくそうな言い方だった。直属の上司である瑛人に気を使ってほしくない。そんな配慮に感じる。しかし今回は、楓の代わりに天音が答えた。
「楓ちゃんはすごいわよ。今日なんて新記録、解放能力45を記録したんだから!」
自慢げなのは天音の方だった。楓は逆に恥ずかしそうに「まだまだです」とこれも小さな声で言った。
解放能力はスーツをどれだけ扱えているかの数値。数値を上げるにはそれぞれの才能だけでなくやはり訓練は欠かせない。しかし、エネルギースーツは身体のエネルギーを使って動く。
(だから疲れ具合も普通の運動とはわけが違う)
それを毎日、任務前の朝にやっていれば、疲れた顔になっても仕方がないだろうに……。
瑛人が心配していることはお構いなしに天音が一つ提案をした。
「あんた、実戦訓練に付き合ってあげなさい」と。
「実戦訓練って、もう十分だろ。楓ちゃんの疲れ具合を見ればどれほどの訓練をしたのかはわかるよ」
瑛人がそうは言っても、天音はやるべきだと引き下がらなかった。
さらにちょうど瑛人が楓を見たとき、目が合ってしまった。
「ぜひ、よろしくお願いします」
「ぜひって……」
楓の目は本気だった。
「わかったよ。でも、一回だけな」
「ありがとうございます!」
楓はベンチから立つと急いで準備をした。疲れているはずなのに、テキパキと、颯爽と訓練室へと向かった。
瑛人も渋々立ち上がり、訓練室に入ろうとしたときだった。天音が、瑛人にだけ聞こえるように耳打ちをした。
「あの子はあんたの足を引っ張りたくなくて頑張っているのよ。45もあるのにね。しっかり相手してあげなさいよ」
「……わかってるよ」
訓練室は真っ白な部屋だ。平坦で、平常時は何もない。
「ステージはどうする?」
控室にいる赤木の声が訓練室に響いた。赤木の言うステージというのが、真っ白な訓練室の最大の特徴だ。様々な場面に適応するため、管理局の技術部員が総出で作り上げたのが、「変幻環境システム」。ボタン一つで訓練室は都市にも森にも砂漠にもなる。
「機械都市・標準で頼む」
瑛人が言うとたちまち訓練室の床が、壁が、天井が生き物のように動き始めた。瑛人が選んだのはその名に標準とつくほどであって、訓練では最も人気のあるステージだ。
しばらくして訓練室内にアナウンスがあった。「環境設定完了」と。
「改めて、よろしくお願いします」
楓は深々と頭を下げてからスーツを起動させた。
【解放能力・45、戦闘を許可します】
そしていつも通り手首の辺りから小さなボックスが射出され、楓の手のひらでそれは武器となった。現れた武器はいつも彼女が持っているものではなかった。
「楓ちゃん、それって」
瑛人の質問には、控室にいる天音が答えた。
「武装開発部の新作よ。種類は銃剣。びっくりすることに、楓ちゃんと相性ぴったり。油断すると足をすくわれるわよ」
刀身の反りがほとんどなく、峰の部分に銃口が見える。柄の部分にあるもの、それはまぎれもなく銃の引き金だった。
(ライフルだけでなくて、銃剣まで……すごいな)
楓はつま先をトントンと叩いて靴の調子を確かめると、軽く跳びはね始めた。楓の戦闘態勢だ。脱力がよく効いている。
「それじゃあ……行きますよ」
瞬間的に強く踏込み、一瞬の間に瑛人の背後に回り込みコンパクトに銃剣を振り下ろす。瑛人も刀を出して応戦した。
「こうやって刀を打ち合うのなんて! 久しぶりだね!」
「そうですね! 思い切りいきます!」
銃剣を振った勢いを乗せて、左脚の蹴りが瑛人の右のこめかみに飛んできた。瑛人はそれを腕一本で防いだ。
(いい蹴りだ……)
左脚をつかみ、そのまま投げ飛ばした。楓の体勢が直る前に、瑛人は流れるように刀を右手に持ち替えて「飛空刀牙」の準備に入った。
しかし、技を放つ寸前に、瑛人は気がついた。銃口が、こちらを向いているのだと。
「なるほど、空中でも関係ないか」
「ええ、そうです!」
楓はトリガーを絞り、数発放った。瑛人は攻撃を中断し、銃弾の回避に専念した。銃弾はすべて瑛人に当たることはなく、背後の壁に衝突し、大きなクレーターを残して塵となった。
(さすがに、高い火力だな。訓練でも食らいたくない)
瑛人は刀を構え、スーツの最高出力を出した。
【解放能力・80】
楓は瑛人に準備の隙を与えまいと銃弾を放った。そして剣でも攻撃をしかける。銃弾が瑛人に到達するのとほとんどタイムラグなく、斬りかかった。
「いい動きだ」
瑛人は冷静に、その場で姿勢を変えるだけで銃弾を躱し、楓の剣を防いだ。
「これならどうだ?」
銃剣を押し返し、楓が後ずさりしたところに間髪入れずに瑛人が距離を詰めた。すると楓は慌ててさらに後方へと飛んだ。
(さすがに瀬戸さんだ。速い)
瑛人は楓の動きを先読みしていた。予め遠距離技の飛空刀牙の準備をしていたのだ。瑛人は刀を振って飛空刀牙を発動。
楓がまともに銃剣を構える暇もなく、瑛人の刀が楓の銃剣を弾き飛ばしていた。
(……しまった)
次の瞬間、楓の首元に瑛人の刀が軽く当てられて訓練終了となった。
訓練室にブザーが鳴り、機械都市に設定された環境が元の真っ白な空間へと戻っていく。
訓練室と控室の扉が開閉可能になると天音が飛び込んできて楓をほめたたえた。
「すごかったよ楓ちゃん! 訓練でこいつに飛空刀牙を使わせるなんて!」
「負けちゃいましたけどね」
楓はその場に座り込んだ。天音も膝をついて、執拗に楓の頭を撫でている。
「特に最後の一人で挟み撃ちしちゃう攻撃、あれは凄かったよ」
天音がいくら褒めても、納得した様子ではなかった。むしろ楓の表情は本当に悔しそうだった。
「瀬戸さん。最後の飛空刀牙、私の動きを予想していましたよね」
どうして予測できたのかと、そう目で訴えかけてきた。
「楓ちゃんは銃剣を使う前はガンナーだった。無意識に、最初は敵と距離を取るという癖があるんだと思う」
赤木も遅れて入って来て、二人に飲み物を渡した。
「楓ちゃんの銃の威力なら、鎮圧任務も楽勝だよ」
赤木は嬉しそうに弾痕を見ながら言った。これで大変な鎮圧任務に出向かなくて済む。そんな甘い考えが顔に出ている赤木に、天音が言った。
「さっき連絡があってね。今日も私たちは合同で鎮圧任務よ」
場所は朝食中に見た場所で、大型が四体確認されている杉並区と中野区の方の暴動だ。
「まぁ、そんな気がしていましたよ」
「瀬戸さん、私たちは十時に支部長室に来るように伝えられたので、後ほどよろしくお願いします」
支部長室、つまり山吹律の部屋だ。一般の局員が入ることはほとんどない。瑛人は入隊時に五分ほどしか入ったことがない。
ただ、良い話ではないだろうなと、誰もが予想はできた。
「あらあら。何かしでかしたの?」
天音がからかうように瑛人に言うので、瑛人は首を振った。
「何も、心当たりないよ」
「ほんとかしらね。昨日のおとり捜査がまずかったんじゃない?」
「冗談はやめてくれよ」
唯一気になることは連続殺人犯の斎藤蓮人がどこからスーツを手に入れたかだ。報告書が山吹律の目に留まり、彼もまたスーツの出所が気になった。ということは考えられる。むしろそれ以外は……天音の言う通りおとり捜査のことくらいか。
(とは言っても、俺もどうしてあいつがスーツを持っていたのかは、これから調べるところなのに)
楓が起き上がり、後片付けを始めた。十時までは自由行動にして、支部長室前で集合する約束をした。
「私、瀬戸さんに負けないくらい強くなりますから」
守られるのではなくて、助けることができるくらい、強くなります。
「また、お相手お願いします」
楓の眼差しは真剣そのものだった。今ですら十分強い。現在訓練室にいる楓以外の三人とも認めている。
ただ、なぜこうもひた向きなのかを瑛人は知らない。何か理由がなくてはここまで努力できないだろう。
(体はエンジン。心というエネルギーがないと動かない)
それは思い出か、目標か。いずれにしても、彼女をつぶすものではないことを祈るばかりだ。
「ああ、いつでも相手になってあげる」
楓は瑛人と天音にもう一度お礼を言ってから訓練室を後にした。
「ほんといい後輩よね。あんたにはもったいない」
「そうだね。すごくいい子だよ……ちょっと危険だけど」
独り言のようにボソリと言ったので、天音が聞き返した。
「危険って、どういうこと?」
「なんでもないよ」
瑛人は瞬時に否定してから話を逸らすために付け加えた。
「それより、お前たちの任務。鎮圧任務だろう。無茶はするなよ」
「お互い様よ。支部長が直接呼ぶんだから、重要な話か危険な話に決まっているでしょう」
「まぁ、そうだけど」
中途半端な会話になり、三人の間では珍しく沈黙が流れ始めた。居心地が悪いと感じたのか、聞きに徹していた赤木が話し始めた。
「瑛人、今度暇な時間ができたら三人でバスケでもしないか?」
「バスケか……」
「俺たちが一緒にスポーツをするならバスケだろう。リフレッシュには適度な運動が一番だ」
エネルギースーツを使った疲れる運動ではなく、適度な運動をしよう。高校の頃のように、三人で何も考えずにボールをダムダムと鳴らして遊ぶのだ。
「それいいね。また三人で時間合わせしないとな」
「お、乗り気だな。忘れるなよ?」
「わかってるよ。じゃあ、俺は先に部屋に戻るけど、二人は?」
赤木は手首からボックスを射出し、大剣を手に持った。瑛人の刀よりはるかに重量のある大剣を軽々と操り肩に乗せてから赤木は言った。
「俺たちはこのまま、鎮圧任務前のウォーミングアップをしていくよ」
「そうか、頑張って」
瑛人が立ち去ろうとしたとき、天音が半歩前に出た。彼女の右手が微かに上がりかけたのを瑛人は見逃さない。
(心配されている……か)
「一緒に訓練していこ?」と言われることを直感したので瑛人は先に言った。
「俺は戻るよ。二人とも気をつけてね」
「……あんたこそ」
瑛人は訓練室を後にした。いつもよりも、気づかれない程度に早歩きで。
楓に対して思ったことは、そのまま自分に当てはまると瑛人はわかっていた。
(俺が、管理局員として戦い続ける心のエネルギーは、なんだろうな)
動機のないプログラムのように生きる人間に、果たして意味はあるのだろうか。機械都市に生きていればありがたいマザー回路の神託があるから、目標も夢も何も必要ない。与えられることをやればいいのだ。
(渡が死んでからしばらく、俺が空っぽであったように)
重たい選択肢なんて必要ない。流れに任せて、惰性でも生きていける。
ため息をつくと、瑛人の脳内で聞いたことのある声が言った。
「それはどこに行きつく流れなのかしらね」
……
「さぁな、選んでないからわからないや」
支部長室前
約束の時間通りに、支部長室前で瑛人と楓は合流した。通常の部屋の扉と色も形も変わりないため、初見で支部長室だと判別するのは難しい。扉の上についている小さな表札をよく見ないとわからない。
「ほんと、久しぶりに入ります」
「俺もだよ」
滅多に用事のない、校長室のような部屋だ。
ノックをしてから、二人は支部長室に入った。
「失礼します」
扉を開けた正面、奥に山吹律がいた。男性にしては長い黒髪で、瑛人と背丈は同じくらいだが、少し細く感じる。
強い男、には見えない。しかし実際は管理局の誰よりも強い。否、戦闘において日本で一番強い。
「そうかしこまらなくていい。とりあえず座って話そう」
山吹に来客用のソファーに座るように勧められて、瑛人と楓は行儀よく座った。秘書係の女性がお茶を出してくれた。
お茶を飲みながら部屋の中を見渡してみたが、何も目立つものがない。唯一目に留まったのは管理局のエンブレムである天秤の像だけだった。トロフィーや表彰状があるものだと、勝手にイメージしていた。
「殺風景か?」
山吹はホログラムの資料を見ながら言った。
「いいえ、整頓されているなと」
「上手いこと言うじゃないか」ホログラムを片付けて、回転イスを調整して正面を向いた。
「よく各省のお偉いさんたちに威厳のある部屋にしろとか言われるんだ」
「そうなんですね」
「だが、どうも部屋や服といったものを使って力を誇示するのは虚勢を張っている情けない人間と思ってしまうんだ……それよりも、報告書は読んだよ。昨日は見事だった」
話は急に始まった。瑛人と楓の目の前にホログラムが現れた。昨日、楓の作った報告書だ。
「二人も同じ疑問を持っていることだろうが、なぜ斎藤蓮人はエネルギースーツを持っていたのか。何か意見はあるか?」
二人は目を合わせた後、瑛人が代表して話した。
「正直、スーツの出所はまったくわかりません。まず最近で紛失したスーツがないか等、今日からその調査をする予定です」
秘書の女性もまったく音を立てないので、支部長室は奇妙なほどに静かだった。話すのなら、食堂くらいの騒がしさがちょうどいいのに。
山吹は髪をくるくると指で遊んでいた。
「そうだな、エネルギースーツがなぜ斎藤蓮人の元にあったのか、これは解明しないとな。だが、今回二人には別の任務を与える」
ホログラムが動き、今度は倒れたアンドロイドが映し出された。よく見る女性タイプの家庭用アンドロイドだ。家事全般、子どものお世話、老人介護、セキュリティ。なんでも担当してしまう有能アンドロイド。
「このアンドロイドがどうしましたか?」
「大型兵器の暴動の影になって知らないかもしれないが、このタイプのアンドロイドがすべて昨夜のうちに行動不能になった」
シントモデルというアンドロイド。ブロンドの髪に、端正な顔立ち。誰が見ても不快に思わず、むしろきれいということで人気のあるモデル。家庭用アンドロイドで人気ランキングを作るなら、一位と言わなくても三位までには入るモデルだ。
「アンドロイドの故障の調査ですか? でもそれって技術部に任せた方が良いのでは」
「そうだな。だがそうじゃない。これはただの故障ではなく、クラッキングなんだ」
機械の部品が壊れたなどの不良ではなく、悪意のあるハッカーが攻撃したのだ。考えてみれば一斉に故障というのは、人の意思がなければ引き起こせないか。
「そのハッカーを捕まえろと?」
「さすが、話が早い。だが今回は厄介だぞ。詳しくは技術部の奴らに確認してほしいが、軽く説明すると……」
シントモデルの管理をする中央コンソールがハッキングされた。三種の異種防壁をわずか一時間で突破し、すべての機体に影響が出るように細工をする。
「俺にはそれがどれくらいすごいことなのか、いまいち想像はできない。しかし特級のハッカーであることは間違いないようだ。お前たちの捜査の実力を見込んで、頼むぞ」
瑛人は話を聞いてすぐに考え始めていた。特級のハッカー。その手口、動機。どこから調べればいいのだろう。まずは……。
瑛人に代わって楓が山吹に返事をしていた。「はい、頑張ります」と。
山吹は瑛人の様子を気にしてから言った。
「エネルギースーツの方は調べさせるが、今後は敵もスーツを持っている可能性があることは頭に入れておけよ。以上、質問がなければ下がれ」
山吹の号令で支部長室を後にした二人は、一直線に技術部の元へと向かった。
「ああ、シントモデルのハッカーね。あれはとんでもないよ」
瑛人の知り合いである、技術部・兵器課の局員と話していた。
「専門でもないけど、あの防壁を破るのはとんでもない。それにそれをネット喫茶のパソコンからやったんだぜ? 信じられない」
この情報で、瑛人が初めに思い浮かべた、操作端末から所有者を辿る線が消えた。ハッカーは様々なプロキシを経由していたらしく、可能な限り追跡したのだが、結局、目黒区のネット喫茶止まり。
(端末で特定できればそもそも俺たちが出てくる必要はないか)
楓がタブレットにメモを取りながら技術局員にいくつか質問をした。
「プロキシというものをつなげるのは大変ですか?」
「そもそもセキュリティがあるものもあるからね。ハッカーはそれも突破している」
「ネット喫茶ということでしたが、犯人は追跡可能ですか?」
「さぁね。防犯カメラに映っているかもね。でもそれはそちらの仕事だろ?」
「それもそうですね。では、どうしてシントモデルを狙った犯行がされたと思いますか?」
技術局員は首を横に振った。犯罪者の考えることなんてわかりませんよ、と言った。
研究が忙しいという理由で二人は研究棟から追い出された。彼らは基本的に邪魔されることを嫌う。最近はエネルギースーツに取り付ける新しい武器が完成するかもしれないということで、研究に熱が入っているからなおさらだ。
「なんですかあいつら。都合がいい時だけ呼び寄せるくせに」
「まぁそう悪く言うな。俺たちの仕事は彼らがいないとできない」
武器の調整、スーツのメンテナンス。すべて技術部の畑だ。
(だけど、ヒントになるものはなかったな)
わかったことは、技術部の人間からしても今回の犯人のハッキングの腕は特級であり、異常なレベルとも言えるということ。ネット喫茶の防犯カメラに映っていればそれで解決なのだが、これも先ほどの理由同様、映っていれば瑛人たちの出番はない。
管理局の敷地にある中央広間。大型車両や荷物の搬入に使われるスペースにて、瑛人と楓は煙に隠された空をベンチに座り見上げていた。
「まだ支部長と技術部からしか話は聞いていませんけど、なかなかヒントがありませんよね。どうしますか? 該当のネット喫茶にでも行きます?」
「うーん。そうだなぁ」
寝不足なのも相まって瑛人はなかなか動く気になれなかった。楓が捜査方針を考えている横で、瑛人は眠りかけていた。
楓は成長している。少しくらい眠っても……そもそも今の段階では……。
『ピロロン』
聞きなれた呼出音が瑛人の腕時計から鳴った。通話のリクエストが来ている。相手は天音だ。瑛人は腕時計から浮かび上がるホログラムを操って通話に応じた。
「あ、瑛人。そっちの調子はどう?」
ホログラム映像が天音の全体像に変化した。隣に赤木もいる。
「こっちは特に問題なし。そっちはどうだ? 鎮圧任務は上手くいきそうか?」
瑛人の質問には赤木が答えた。
「ああ、上手くいってくれないと困るからな。今移動中だ。もうすぐ着く。任務の内容は?」
「ハッカーの捜索だ。名前も顔も影すらつかめていない相手の捜索だよ」
「それは時間かかりそうね。楓ちゃんに無理させないでよ?」
「大丈夫ですよ天音さん。それはこちらのセリフです」
「あら楓ちゃん。ありがとね」
通話の声が急に聞き取りづらくなった。風とヘリコプターの音?
「おい、まさか今からまさに任務開始ってか?」
「ええそうよ。それじゃ、お互い頑張りましょ」
天音の言葉で通話が切れて、二人がヘリコプターから飛び降りる瞬間にホログラムも消えた。
「ほんと、天音さんたちかっこいい」
「まったく……こういうところは真似しなくていいからな」
「はーい」
短い通話だったが、眠りかけていた瑛人の目を覚ますには十分だった。瑛人は顔を叩いて背伸びをした。
「そうだなぁ、まずはあいつかな」
「誰か、心当たりがいるのですか?」
瑛人と楓は管理局の敷地を出た。しばらく二人で肩を並べて歩き、モノレールの駅へと向かった。行先は目黒区。ネット喫茶に行くにしても目黒区なのだからちょうどいい。
「心当たりというよりも、こういう話に詳しい知り合いだ」
「へぇ」
モノレールは空いている時間だったので二人とも座ることができた。
「管理局で捜査をしていると、何かと変な知り合いができてしまうものなんだよ」
「そういう、ものなんですかね」楓は疑心暗鬼の様子だった。
「でも、アポイントは取らなくても?」
「いいのいいの。暇している変人だから」
瑛人と楓はモノレールの窓から経過していく街並みを見ていた。どこに行ってもほとんど変わらない世界なのに、モノレールに窓があるのはなぜだろうか。そんなことを自問自答してみた。
(昔の名残だ。閉鎖空間でなく広がった外を見るとリラックスできる)
頭の片隅で思いながら、腕を組んで目を閉じた。
楓はそんな瑛人の横顔をチラチラと確認していた。
(この人は、時々何を考えているのか本当にわからない)
私はこの人の足を引っ張っていないだろうか。そんなことを頻繫に楓は思う。瑛人に対して特別な感情がないと言えば噓になることは自覚していた。だがそれは、けっして特別すぎるものでもない。ただの仕事の先輩というわけではなくて、憧れの先輩。その程度の感情だ。
(そのはず)
ただの承認欲求。この人に自分の成長をしっかり見てほしい。それだけのことだと、楓は認識していた。
楓は瑛人の真似をして目を閉じた。心を落ち着け、冷静に、今は任務中。
……