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第二章・管理局〜3〜

    〜3〜


 瀬戸瑛人と戸田琴音が三年生に無事に進級して四ヶ月が経過したころ。八月の日差しの強い日だった。こんな日でも機械都市が涼しいのは高温が機械の天敵だからだ。適温を保つために冷却機能がフル稼働するので都市は涼しくなる。

 都市は涼しくても、瑛人の友人である桧垣翔と矢島南はますます熱い関係になっていた。

「南のご両親に挨拶してきたんだよ」

 頼んでもいないのにウキウキと話すので、瑛人は付き合ってあげていた。

「そうか、気に入ってもらえたのか?」

「ああ! ほんと緊張したけど、気の合う人たちでさ! よかったよ」

 矢島がよくしていたという将来の話が、現実味を帯びてきたようだ。以前は困惑していた桧垣も、今では乗り気のようだ。

「そういえば、戸田さんとはどうなんだよ」

「どうって?」

 研究のための読書をしながら、頭半分で会話していた。

「察しろよ。お前戸田さんのこと……」

 当然察していた。話の流れから、なんとなく言いたいことはわかる。

「そういう関係じゃないよ」

 不思議と好きという感覚ではなかった。彼女と一緒にいるのは楽しいけど、好きとかそういうものではない。

(彼女の雰囲気が、そうするのだと思うけど)

 高嶺の花とも言えないけど、触れられない気がする。

「最近、あまり会っていないしね」

「ふーん。不思議なもんだね」

 カフェ・フォレストハートで出会ってから、一年が経過しようとしていた。瑛人の感想としては、「あっという間」というのが素直な感想だ。卒業のための単位取得とゼミの時間で終わってしまうだろうと思っていた大学生活が彼女のおかげで色濃いものになった。だから、あっという間に感じた。

「いいのか? 会わなくても」

「ちょうど今日、久しぶりに会うよ」

 お互いに忙しい日が続いたから会えなかったが、偶然にもこの日、フォレストハートで会う予定になっていた。

「なら、また話を聞かせてくれよ」

 瑛人は軽く笑ってみせた。

「お前たちのような面白い話にはならないよ」

 大学からフォレストハートに移動してから、瑛人はこの一年、何があったのか思い出しながら待っていた。

(琴音がいなかったから、知ることもなかったことがたくさんある)

 管理局の食堂に行ったのだって、九州に海を見に行ったのだって、北海道の雪を見に行ったのだって、すべて彼女の提案だ。彼女がいなければ経験できなかったことばかりだ。

 そんな甘い思い出に浸っていると、自然と笑みがこぼれてきたので、急いでひっこめた。

「お待たせ」

 十七時。予定通りの時間にタイミング良く琴音が来た。薄い鼠色のパーカーに白のシャツという簡単で涼しい服装だ。珍しく、ヘッドフォンも外している。

「ありがとね、来てくれて」

 琴音は席に着いてアイスコーヒーを注文した。

「久しぶり。今日はどうしたの?」

「ああ、うん。ちょっとね」

 歯切れの悪い言い方だ。いつもハキハキと話すのに、似合わない。

 アイスコーヒーが出されると、琴音はいつも通りブラックで飲み始めた。瑛人は琴音が黙ったら自分も黙ることにしていた。琴音から話すのを待つ。経験上、それが一番良かった。だから、瑛人もアイスミルクティーを飲んだ。

 琴音は瑛人を見ないで、店内を見渡していた。天井から吊り下がった大きなシャンデリア。これには植物のツタが絡んでいて、いい味を出しているとして琴音のお気に入りだった。店は機械都市では考えられない一面ガラス張りの壁があっていつでも庭に植えられた植物を観察できる。机も椅子も木製で自然と癒しを与えてくれる。そんなカフェだ。


「ここはいいところよね」

 琴音はようやく話し始めた。

「そうだね。お気に入りの場所さ」

 このカフェに瑛人が初めて来たのは、機械都市から離れた場所でリラックスしたい。ただそれだけの理由だった。モノレールでてきとうに移動しているうちに、窓からよさそうなカフェが見えたから入ってみたのだ。

 今から思えば、幸運だった。あのふとした感情のおかげで琴音と仲良くなれたのだから。

「もうすぐ一年よね、私たちが出会ってから」

 まさに先ほど考えていたことである。

「そうだね」

 中身のない会話は時間稼ぎ。本心を話すまで、瑛人は待つ。

 ようやく琴音は何かの決心がついたようで、瑛人に視線を送った。

「今日は、ついてきてほしい場所があるの」

 そう言った琴音は急に立ち上がった。「歩いて三十分くらいだから、その間に色々話すから、行きましょう」

 瑛人は琴音の勢いに連れられてカフェを出た。今までも急に、しかも強引に連れていかれたことはあったが、今回のはこれまでのどれとも違う雰囲気があった。

 カフェを出た時刻は十七時半。そろそろ太陽が隠れ始める時間だ。

 これからどこに行くのかと聞いてみたのだが、琴音は曖昧に答えて、違う会話を始めた。

「だいぶ前に、あなたの弟の話をしてくれたわよね」

 渡の話だと、瑛人はすぐに思い出した。積極的に話そうとすることではないから、どんな場面で話したのかさえ思い出せる。

「あの話で、弟さんの身に何が起きたのか、私はあなたの知らないことを知っている」

「え?」

 琴音は瑛人の顔を見ようとせず、ほとんど無心で前へと歩を進めていた。

「私の親友が、同じ目にあっているから」

 そう言う琴音の拳は強く握られていた。この辺りから、瑛人には嫌な予感があった。琴音が、何か恐ろしいことを考えているのではないか。そんなざっくりとした不安だ。

「機械都市にある牢獄、監禁型更生施設。これも知っているわよね?」

 監禁型更生施設。中央区にあり、犯罪者や犯罪予備軍を隔離する施設。危険な思考の除去を目標としている場所。

「もちろん。知っているけど、どうして?」

 日が暮れてきた。オレンジの光が眩しい。

「監禁型更生施設の現実はね、うたい文句のような施設ではない。私の親友……神崎桜も、あなたの弟も、そこに収監されていたことがあるのだから」

「まって、あそこは収容所のような場所のはず。犯罪者しか……それに渡は事故で死んだのに」

 瑛人の言う通りなのだが、だからこそ「現実」と違うのだ。

「罪というのは人ならざる行為のこと。哲学的、普遍的に考え得る良き生活のためにはあってならないこと」

 琴音はスタスタと歩き続けた。瑛人は後を追うしかない。

「だけどそれは理想で実態ではない。この世界では、罪というのは権力のある者にとって都合のいいように利用されているの」

 さらに続けて、琴音はボソッと言った。

……例えば、マザー回路のように。

 瑛人には琴音が何を言いたいのか、まだ理解できなかった。弟が監禁型更生施設にいた? 君の親友も同じように? 弟は何も悪いことはしていない、許せないことだ。だが、監禁してどうしようとしたのだ。

(琴音はそれを、知っている?)

 そもそも、信じられないような話だ。瑛人にはまるでマザー回路が悪事をしているように聞こえた。話し手が琴音でなければ、絶対に信じていなかった。

 いつの間にか目的地に到着していた。そこは、墓地だった。

「私の親友のね。自然が好きな子だったから、ここに作ったの」

 よくある集合墓地だ。というのが瑛人の感想だ。碁盤の目のように細かく分けられている。

 琴音は慣れているようで水桶に水を入れ始めた。

「彼女がいなくなったのはね、私が中学三年生の頃だったの。神崎桜、明るい子だった」

 マザー回路の神託通りに自分に適した学校に進み、三回目の夏を迎えた頃の話だという。瑛人の弟のときと同じように黒服の男が親友の死を告げに来たのだという。

「あの子は親がいなかったから、私のところに来たの。緊急連絡先に、そのときの担任と私を設定していたんだって」

 琴音は半分まで水を入れた水桶を持ち上げると迷うことなく神崎桜の墓にたどり着いた。墓を前にした琴音は「また来たよ」と言わんばかりに優しく微笑んだ。

「私はその男の言うことが信じられなくて調べたの。まずその男を尾行して、桜がどういう状況で死んだのか、徹底的に」

 管理社会の一つの欠点とも言えることだが、中学三年生の女の子が世の中で発生した事件のことを細かく調べることができる。

「なかなか手掛かりはなかったわよ。たぶん、あの男たちが消しているから。でも、ないわけではなかった」

 その情報から桜が監禁型更生施設に収監されたことを知ることになった。

(……そしてその後、どうなったのかも……)

 琴音はお墓を水で清めた。

「噓ばっかりよね、この世界」

 マザー回路のしていることだって、何もかも。

 現実では人はついてこない。きれいで現実的でない妄想の方が人を従わせやすいとは、盲目もいいところだ。

 ただ、マザー回路はそれを巧妙に実現させてしまう。今や人々にとってマザー回路の言ったことがすべて現実なのだ。

「だけど私は、その隠していることを知ってしまった……私はそれで黙っていられるほど良い人間じゃないみたい」

 マザー回路の望む、良い人間ではないみたい。

 そう言うと琴音は手を合わせた。瑛人もそれを真似た。しばらくそのままで、琴音が合掌をやめるのを待った。

「私、大学を辞める」

「は?」

 衝撃的な言葉。自分でも思ってもみないほど間抜けな声が出ていた。

「急に何を言い出すんだよ。学校、楽しそうだったじゃないか」

 慌てる瑛人に対して琴音は落ち着いていた。手を上にあげて、琴音は指の隙間から空を見上げていた。

「私が桜に関して調べているときにね、私の動きもまた見られていたの。クフェアという組織に」

 クフェア。琴音と同じく、裏を知る組織。

 瑛人は久しぶりに怖さを感じた。事態が、自分では止めようがなく悪い方へと流れているような、そんな感覚。弟の時だってそうだった、言葉は届かないし、届いても無力なのだ。たぶん今回も、もう駄目なのだろう。

「君は、クフェアに行くつもりなの?」

 ようやく瑛人はそれだけ絞り出した。琴音は短く答えた。

「うん。中学三年生の頃に話しかけられたの。スカウトって言うのかな」

 手を下げると一息置いてから琴音は瑛人に言った。それはお礼だった。

「この一年は、私の人生で一番楽しかった」

 水桶を元の位置に戻す。

「でも、クフェアって一体なんなのさ。管理局に狙われるようなところじゃないよね?」

「さぁ。マザー回路がクフェアを悪だと認識すれば、狙うのじゃない?」

 瑛人は琴音が一時、やけに管理局について調べていたことにようやく納得がいった。

 琴音が瑛人の方を向いた。その目を見た瑛人は察した。これはもう、引き留めることはできない目だと。

「でも、私はクフェアに行って戦う」きっぱりと言った。

 風が吹いて琴音の長い髪を優雅になびかせた。オレンジの太陽の光が琴音の後ろから降り注ぎ、その姿は美しくて、絵よりも完成していて、そのせいで手を伸ばしても届かない。

 瑛人は言葉を失い、呆然と琴音の次の言葉を待った。

「ありがとう。これは噓じゃない。さよなら」



 地上五十階の部屋で瀬戸瑛人は目覚めた。

 外は真っ暗。どこにも光を感じない最悪な目覚め。

(懐かしい夢……)

 デスクにはいくつかの写真が飾られている。その中の一つに、あのカフェの外観を撮ったものがあった。写真は思い出を想起させるのにいいアイテムだが、ほどほどのものがいい。思い出をさかのぼってみても、毎回違うゴールに辿り着くから、それが必ずしもいい体験だとは言えないからだ。

 窓から下にある街灯を見てみたが、何も感じなかった。

 時刻は真夜中の二時だった。まだ寝なおすことのできる時間だ。

「クフェアは、何をしている。琴音は今、どこにいて何と戦っている」

 瑛人はバチンと頬を叩いて椅子から立ち上がった。

(明日も仕事があるんだ。歯磨きして寝よう)


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