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第二章・管理局〜2〜

    〜2〜


 瑛人が眠りに落ちてから数時間後。

 目の前に木製の机があった。新緑の香りがした。アイスミルクティーの冷たいグラスを右手に持っている。左手に、何かの本がある。

(ああ、ここか)

 瑛人はすぐに夢の中だと理解した。体を動かそうにも動かない。いつものことだ。

(最近は本当によく見る)

 瑛人がいる場所はカフェだ。大学生の頃、大学から片道五十分近くかけて通ったカフェだ。名前を、

【カフェ・フォレストハート】

 緑を大切にするのがモチーフのカフェだ。

 瑛人はそこで勉強をしたり、本を読んだりして多くの時間を過ごしていた。この時代の日本の大学は機械による容赦のない判定により卒業要件がかなり厳しいものになり、留年や中途退学は当たり前となっていた。そんな中、瑛人は何とか卒業しようと尽力していた。

 毎回長時間の滞在をしてカフェの方に迷惑ではないのかと思うところだが、そうでもないらしい。声をかけられたこともなければ、機械都市から離れているだけあって、人も少なかったからむしろ歓迎だったらしい。

 だから、カフェにいて話しかけられたのは、この日が初めてのことだった。

「あなた、どんな勉強してるの?」

 それが、瑛人と彼女との初めての会話だった。

 瑛人に声をかけたのはカフェのスタッフではなかった。黒髪のストレートのよく似合う女性だ。紺色のカジュアルなジャンパーを着こなしている。さらに、時代遅れのヘッドフォンを首にかけている。

 瑛人はほとんどオートマチックに口を動かして、「心理学」と答えていた。

「へぇ。ここ、いいかしら?」

「いいけど、えっと……」

 四人掛けのテーブルの、瑛人の対面に彼女は座った。

「私は戸田琴音。あなたと同じ南陽大学に通う二年生」

 瑛人はミルクティーを飲む手を止めた。初対面なのだから当たり前なのだが、瑛人は警戒していた。

(同じ大学の生徒に会いたくないから、五十分もかけてここに来ているのに)

 戸田琴音は敏感に瑛人の考えていることを察知したのか、腕時計からホログラムを浮かび上がらせた。数回指でホログラムを操作し、それを瑛人に見せつけた。

「ほら、南陽大学の戸田琴音です」

 本物の学生証だった。

「あなたは?」

「俺は瀬戸瑛人。同じく二年生」

「そう。こんな所で会った縁よ。よろしくね」

 その後、瑛人は琴音に質問攻めをくらったのだが、不思議と悪い気はしなかった。初めての会話とは思えないような、同じ学校に通っているから、というだけではない。会話をするのが上手な子なのだ。

「ただの心理学ではないでしょう?」

「犯罪心理学が中心かな。ゼミも犯罪心理学の教授だし」

「ふーん」

 琴音は瑛人が机に置いていた本を指した。

「ちょっとこれ、読んでみてもいいかしら?」

 彼女が手に取ったのは初学者が読むようなものではなかった。彼女の手に収まった「犯罪捜査とプロファイル」これをちゃんと理解するには、この本を読む前に二冊ほど入門用を読みたいところだ。

 琴音は本を読みながら瑛人に質問した。

「心理学ってさ、面白いの? どうして心理学を専攻しているの?」

 この類の質問は苦手だ。正直、深く考えたことがなかったから。これまでずっと……例えば大学は大学に進めと言われたから入っただけ。卒業を目指しているのも、なんとなくその方が良い気がしたから。心理学も、専攻する人が少なくて競争相手が少なかったから。つまるところ、流れに乗って生きてきただけで、分岐点で格別な選択をしたわけではないのだ。


「わからない。なんとなく、かも」

 琴音は本からチラリと目を離して瑛人を見た。

「そうかしら。これだけ努力をしているのなら、もうなんとなくではないと思うわよ。使っている本を見れば、どれほど本と向き合っているのかぐらい、わかるもの」

 琴音は本をトントンと叩いてみせた。

「……長いことカバンに入っているだけ」

「そう」

 カバンに入っているだけで、マーカーが引かれるのかしら?

 琴音は本に視線を戻すと懸命に読み始めた。

「わからない単語ばっかり。しかもその単語の説明もないじゃない」

 瑛人の思った通り、琴音は早速文句を言い始めた。それでも、彼女はわからないなりに読み進めていた。読む速度が速い。斜め読みをしているのか、本というものに慣れているのか。

(……紙の書籍なんて、珍しいだろうに)

 琴音が本の一部を指さして瑛人に見せた。

「この、非社会的行動と反社会的行動って言うのは、わかりそうで……わからないわね」

 その部分にはマーカーが引かれてあった。瑛人は頭を巡らせて、記憶をたどった。

「非社会的行動と言うのは、社会的に受け入れられない行動を禁止する能力がない者がする犯罪。反社会的行動というのは、社会的に受け入れられないとわかっていてする犯罪……なんかしっくりこないな。前者は社会に馴染めないゆえの犯罪。後者は社会に対する意図的な犯罪……こっちの方がまだしっくりくる」

 前者は人間社会に馴染めなかった、悪く言うと異常者。自分を悪だと認識していない。後者は自分を悪だと認識している。

「ふーん。機械都市で起こる犯罪はどっちなのかな」

「どっちもかな。あれだけ管理されていても、アレルギーのように管理を嫌う人間が出てきたとしたら、その時点であそこでは非社会的だからね。でも、難しいと思うけど反社会的な犯罪をする人だってたまにいる。機械都市に挑戦するような犯罪だ」

 何かメッセージ性のある犯罪がなされることは稀にある。危険なのは後者、ニュースになりやすいのは前者。

「どんなメッセージを残すのかな」

「さぁね……」

 完全に推測なのだけど、と言ってから。

「機械の命ずるままに生きていて、自分を見失いそうになったんだ。自我を疑うと言うのかな。この社会は正しいのか? 間違っているのは自分なのか? というメッセージ」

 犯罪という形で表現してしまうのは、やはり間違っているのだが。

「なるほどねー。言いたいことはたぶんわかった」

 その後も琴音は本を夢中で読み進めていた。人が自分の読んだ本を読んでいる様子が新鮮で、瑛人はしばらくその様子を眺めていた。

 琴音に合わせて瑛人も違う本を読んでいたのだが、瑛人は遂に気になりすぎて質問した。

「どうして声をかけてきたの?」と。

 琴音は本を読み進めながら答えた。

「あなたに質問したけど、本当は心理学の勉強をしていたのを知っていたし、同じ大学なのもわかっていたから」

 どうして知っていたのかという当然の質問を先回りして琴音は答えてくれた。

「モノレールで同じ車両だったからね。それと、このカフェで会うのは三回目だから」

 瑛人は認識すらしていなかった。人に対する興味や注意力の欠如。安全すぎる機械都市で育った弊害だ。

 結局その日、琴音はカフェの閉店時間まで本に集中し、半分以上も読み進めていた。本人はまったく理解できなかったと言っていたのだが、それにしても読み続けるのがすごい。

 帰りのモノレールの中で二人は連絡先を交換した。


「カフェに行くときは声かけてよ」

「……まぁ、そう頻繫に行くわけではないけどね」

 翌日から、瑛人は生徒たちの顔を気にかけてみることにした。すると、簡単に琴音を見つけることができた。時代錯誤なヘッドフォンをしているのだから、目について当然なはずなのに、フォレストハートで初めて見たという方が本来はおかしな話なのだ。

 しかし、たとえお互いに目が合ったとしても話すことはなかった。瑛人も琴音も学校ではそれぞれの友達と一緒にいることが多かったから。

「なぁ瑛人、あのレポートって終わった?」

 ある日の学食での会話だ。三十五階にある学食で話しかけてきたのは瑛人の数少ない友人である桧垣だった。

 桧垣翔の言うレポートとはカウンセリング実践の授業の復習を兼ねたレポートだ。授業の出来事を書くだけの作業的なレポート、瑛人は既に終わらせている。


「さっさと終わらせちゃえよ。その場であったことを書くだけじゃないか」

「そうは言っても、相手は結局のところ機械だったじゃないか。プログラムされた会話しかしていない気がして、感想なんかないよ」

 便利な機械に囲まれているが故に発生するストレス。そのストレスにより引き起こされる精神病やその他の病に対抗する手段の一つがカウンセリングだ。一部の人間は総括して、メンタルデバッグと言ったりもする。

 桧垣の言うことは瑛人も正直同意見だった。

(機械によって与えられるストレスを解消するための訓練の相手が機械だものな)

 学食のメニューは片手で数えられるほどしかない。たとえ好物のコロッケだとしても、同じものを続けていては味を感じなくなってしまう。と思いながらコロッケをひとかけら口に運んだ。

「そうだ、桧垣は矢島さんと上手くいっているのか?」

 矢島というのは桧垣のガールフレンドだ。矢島南。瑛人も何回も話したことがある。琴音のことを気にしていたら、ふと矢島のことを思い出した。

「どうしたんだよ急に。それなりに仲良くやってるよ」

「ふーん」

「最近、あいつ将来の話をよくするようになったんだよ」

 つまりは卒業後。一緒にいるのかどうか。この先も、ずっと。

 桧垣は小さく笑いながら、矢島とどんな会話をしているのか話してくれた。どんな場所に住みたいか、どんな職業を選択するのか、ご飯はどうする?

 二人はもう付き合い始めて三年以上経つのだが、恥ずかしいくらい仲が良いようだ。


「高校の頃から、ほんとお前たちを見るのが楽しいよ」

 どこか、幸せを分けてもらえる気がして。

 瑛人が食事の箸を止めていると後ろから声をかけられた。それは、驚くことに矢島だった。

「二人とも、何の話をしていたの?」

「なんだ、南か。おはよ」

 桧垣が言うと矢島は瑛人の隣に座った。

「瀬戸君、食べないの?」

 瑛人は慌てて箸を持って食事を進めた。矢島も桧垣と同様にレポートが終わっていないらしく、席に座るなりその会話になった。

 どうにも瑛人は会話に参加できなかった。

 人にレポートを教えるのが面倒とか、そういうことではなく、二人の息の合った会話に入る隙がなかった。

「俺は先に行こうかな」

 席を立った瑛人を矢島が止めた。定食を見てから、

「まだ残ってるじゃん」

「お腹いっぱいなんだ。二人とも、レポート頑張ってね」

 瑛人はトレーを返却口に置いて、足早に食堂を出た。二人の会話を聞いているのは楽しかった。しかし、二人は瑛人がいなくても楽しいだろう。

(……まぁ、そんなもんだ)

 抱く感想はその程度にしておくのが精神的にちょうどいい。他者とのつながりにストレスを抱えるなど、馬鹿馬鹿しい。

 瑛人はその日、午後から講義がなかったのでカフェ・フォレストハートへ向かった。モノレールに乗って五十分。その間はよく眠れた。

 そしてフォレストハートに到着し、席に着いた時だった。スタッフよりも先に瑛人に声をかける者がいた。

「どうして連絡くれなかったのかしら?」

 戸田琴音だった。

「あっと……忘れてた。今度は連絡するよ」

「ならいいわよ」

「ご注文は?」

 フォレストハートでは大学内と違い二人はよく話した。琴音は経済学部にいたので、それに関する質問を瑛人がすることもあれば、琴音から瑛人に質問をすることもあった。どちらかというと後者の方が多かった。

 機械都市から離れた緑の香りのするカフェ。隠れ家のようなカフェで琴音と一緒に勉強する時間が好きだった。二人だけの秘密基地。そんな雰囲気があったから。

「ねぇ」琴音が本で仕入れた知識を披露するようだ。「偶然読んだのだけど。明らかに悪いタイプの少年より、優等生だったのに犯罪に走った子の方が更生しにくいんだってさ」

 ゼミに入ってすぐに読んだ本に書いてあったな。と瑛人は思ったが、琴音が面白そうに話すので知らないふりをしてみることにした。

「へぇ。それはまたどうして」

「ここからは私の考えなのだけど……」

 初めから悪い少年が非行に走るのは何というか、普段していることから距離が近いから、ちょっとしたことで犯罪をしてしまう。だから、そのちょっとしたことを直してあげればいい。優等生の場合は犯罪までの距離が遠い。犯罪をしてしまうまでに、何度も何度も立ち止まって、葛藤して、それでもそれしかなかったから犯罪をしてしまった。こういう場合、積み重なった恨み妬みの密度が違うから更生させにくい。

「……ということよ」

 とても納得のいく説明だと瑛人は思った。「優等生の犯罪者ほど更生させにくい」というのを、瑛人は参考書で知っていた。参考書の答えを、ほとんどそのまま頭に入れていた。琴音をすごいな思ったのは、自分の言葉で全部説明していたことだ。


「なるほど。その説明なら、かなりストンと腑に落ちる」

 琴音は役目を終えたと言わんばかりに、腕を組んで背もたれを使ってリラックスした。

「その優秀な子、どうすれば犯罪者にならなかったのかしら」

「さぁね。それはケースバイケースとしか言えないよ。そんなことよりもさ、君の学部の方の課題は大丈夫なのかい?」

 心理学の本ばかり読んでいても、経済学部の勉強にはなかなかなるまい。

「心配はいらないわよ。それに、まったく無関係というわけではないから」

 瑛人としても彼女が読んだ本の内容を教えてくれるのはありがたいことだったので、文句を言う必要はなかった。

 ある日、これもまたカフェ・フォレストハートにて、琴音が再びどうして心理学を学ぼうと思ったのかを瑛人に聞いた。

「そんなに気になるの?」

「ええ、とっても」

 瑛人はミルクティーの氷をストローでいじっていた。琴音の問いに対して、瑛人は明確な答えを持っていなかった。とってつけたような理由しか……

「難しいな。自分でもほんとによくわかっていないから。楽だったから、かもしれないし」

「それはないでしょう。楽するために入ったのなら、今こんなに頑張っているのはおかしい」

「……」

「理由はそうねぇ。あこがれの人だったり、好きな子が……」

「わかったよ、話すから」

 瑛人はミルクティーを持ち上げると、自分の中で理由と思える記憶を探し始めた。

「たぶん、家族のことが原因だと思う」

 琴音は身を入れて聞いていた。

 瑛人が幼い頃の話だ。瀬戸家には瑛人の他にもう一人子どもがいた。瑛人の弟にあたる、瀬戸渡だ。その顔は記憶の一番上にあるから、思い出そうと思えばいつだってすぐに鮮明な弟の笑顔を思い出すことができた。

「明るい奴だった。でも、体が弱かったんだ」

 虚弱体質。機械都市ともなれば体が多少弱くてもナノマシンを体に入れて、免疫機能を補うことはいくらでもできたので、本来は問題となることではなかった。

 しかし、瑛人の弟、渡はその例外だった。

 ナノマシンアレルギー。

 体に入れることはもちろんのこと、定期的に行われる空気の浄化のためのナノマシン散布でも反応してしまっていた。

「それは……この時代では深刻よね」

「そうだね。でも、あいつは頑張っていた。専門医と一緒にアレルギーを軽減するための治療を進めていた。俺も、母さんたちもあいつに生きてほしくて、渡のためなら何でも頑張った」

 ある日、専門医からアレルギー数値がとても下がっていると言われた。渡はもちろん、家族全員が明るい気持ちになった。

「もう少しで完治する。普通の生活ができるぞって」

 事件はその吉報から数日後に起きた。

「帰ってこなくなった。死んだんだ」

 当時、瑛人は小学四年生、渡は二年生だ。

「……どうして?」

「その詳細がわからないんだ」

 瀬戸家に渡の死を伝えに来たのは、黒いコートで身を隠した男性だった。彼はどこの所属の人間なのかも、自らの名も名乗ることなく。

「瀬戸渡君は本日午後二時頃、自動車と衝突して死亡しました」

 と、淡々と言った。

 瑛人の話に琴音が噛みつくように割って入った。

「何よそれ、この安全が売りと言ってもいい機械都市で事故? 信じられないわよ」

「うん。それは俺も同じく」

 安全すぎるほどの社会なのに? 事故なんて、起こそうとしても起こせないのに。

 ピクリとも動かない瀬戸渡を霊安室で確認したときの記憶はおそらく一生忘れない。

「……葬儀はやったのだけど、そこの記憶はあまりないな」

 家族一同、そのときは泣くのが仕事になっていた。父の親戚が場を回してくれたおかげでどうにか葬儀は終わった。

 その日、瑛人にはもう一つ忘れられない記憶ができた。葬儀が終わり、家に帰ってからの両親の表情だ。

 崩れるでは表現できないような顔だ。冷たい機械では絶対にありえない、人の心の熱を感じた。

(どれほど大切だったのだろう。渡は、二人にとってどんな存在だったんだ)

 瑛人は初めて他者に「心」というものを感じた。それと同時に、どうして自分は両親のような表情になっていないのだろうとも思った。

 学校の教師や近くの大人が瑛人に、「今は辛い時期だから、自分のしたいことをしなさい。自分の心に素直にね」と言った。実際にそうしたら気づいた。自分の心は空っぽだと。

 だから、両親のように泣けなかったのだ。

 この時の瑛人は本当に、自分の心は機械都市によって改造されてしまっているのだと思ってしまっていた。

「……その時の記憶が、いつの間にか瑛人をこの学問に導いていたのかもね」

「そう……かもね」

 瑛人はミルクティーを置いた。本当に久しぶりに人に話したなと瑛人は思った。謎の黒コートの男の出現のことを話すと、現実味がなくて笑われるから話さないでいたのだ。

(まぁ、琴音にだったらいいか)

 琴音は真剣に聴いてくれたから。笑い話に変えて誤魔化したりせず、本と向き合うように真剣に瑛人の話を聴いてくれたから。寿命以外で死ぬことが難しいこの日本で、交通事故なんて信憑性のない話なのに。

 誰かと秘密を共有すると気分が楽になる。

(意外と、間違いじゃないかもしれない)

 冷めたコーヒーで顔を隠して、考え込んでいる琴音に瑛人は言った。

「昔のことだから、気にしないでよ?」

「うん……でも、軽い気持ちで聞こうとしてごめん」

 ちゃんと聞いてくれる時点で、軽くなんてない。世の中、人の不幸話を蜜の味としか思っていない人間がたくさんいる。

「そんな風に思っていないから、安心して」

 その日は瑛人の昔話だけでカフェから切り上げることになった。瑛人はモノレールの中で考えていた。

 結局、心理学部に入った明確な理由を話してはいない。そういう思い出が色濃く残っているだけで、本当に直接の理由と言えるのか、自信のないところだ。琴音が気を使って締めくくってくれたように、「導かれた」という表現が正しい。

(もしくは、流されたのか)

 瑛人の話には続きがある。

 弟が死んでからというもの、瀬戸家には活力がなくなった。最初になくなったのは母。それが伝播して父と瑛人に。

 永遠と続く五月病のようなものだった。無気力感が家に満ちていて、這い出るにはとても長い時間がかかった。どっぷりと泥沼にはまると抜け出しにくいのだ。それは、高校で赤木と天音に会うまで続いた。

 高校で赤木はバスケ部だった。それも、青春をバスケに捧げでいると言ってもいいほど熱中していた。そんな赤木がある日、体育の授業で瀬戸瑛人の運動能力の高さを目の当たりにしたことから、二人は友達関係になった。

「君、バスケ部に入ってよ!」

「え?」

 赤木とよく話すようになると、赤木と元より仲の良かった女子バスケ部の天音とも話す機会が多くなった。

「ひとまず、ボールを持ってみましょうよ」

 二人のしつこい勧誘に、瑛人は時々、練習に参加したり試合に出たりした。瑛人はバスケの才能があった。ボールを持てば一人でリングに運べてしまう自信があった。ディフェンスに回れば必ず止めれる自信があった。

 しかし、この才能はバスケに限ったことではない。

 瑛人はスポーツ全般できた。体を動かすのが、ものすごく得意だったのだ。だからバスケ部に限らずサッカー部や柔道部など、様々な部活に助っ人として参加することが多かった。

「バスケ部には、入らないよ」

 赤木と天音の期待を裏切るのはとても心が痛んだ。

「どうしてさ。あんなに上手いのに」

「俺よりも、試合に出るのに適した人がたくさんいる」

 二人のように、バスケに熱中している人がたくさんいるのだ。自分の出る枠はあってはならない。そう感じていた。

 バスケ部のスカウトを断ったからといって、三人の関係は壊れなかった。教室では自然と会話する友達になれた。時間が合えば一緒に下校もした。

 影ばかりを積極的に見ようとする瑛人の瞳に、二人は光をくれたのだ。沼から引き抜いてくれたのだ。

(あの二人には、ほんと助けられた。久しぶりに、連絡とってみようかな)

「どうかしたの?」

 虚ろな目をしていたようで、琴音にのぞき込まれていることに気がつかなかった。

「なんでもないよ」

「そう。なら覚えておいてよ、時間ができたら管理局の食堂に一緒に行くからね。絶対に」

 その約束は、瑛人と琴音が三年に上がる一ヶ月前に達成されることになった。

 東京第一管理局。管理局の本部と呼ばれる場所。敷地面積や建物を見ても、支部とはレベルの違う設備になっている。

 食堂も第一管理局のみ一般に開放されている。わざわざ行くことになるなんて、瑛人は思ってもみなかったが。

 かなり混んでいたのだが、運良くすぐに席を見つけることができて、料理もすぐに注文できた。瑛人が注文したものはコロッケ定食だった。

 最近、琴音の中では管理局がブームなのだろう。よく管理局の話題になった。新しいニュースを確認する度に、琴音はよく喋った。

 今、食堂でもタブレットで何かを調べている。

「ねぇ、この人、知ってる?」

 琴音がタブレットに出した写真は長めの黒髪の管理局員だった。凛とした顔立ちと細い体をしていた。瑛人は知らなかった。

「山吹律。超がつく期待の新人なんだってさ」

 このとき琴音が出した山吹律という男が、現第一管理局の支部長だ。期待の新人は期待通りに成長したということだ。

 琴音はさらに動画を用意していた。より大きく見えるようにタブレットからホログラムを抽出させた。

 動画は山吹の戦闘シーンらしい。

「千代田区で起きていた巨大兵器四体を含む大暴動。三日間管理局が対応しても鎮圧には至らなかったのだけれど」

 そこからは動画で見ろと言わんばかりに、琴音は視線を誘導した。


 山吹は戦場に到着した瞬間、刀で【飛空刀牙】を発動。巨大兵器を一体、みじんに斬り裂いた。

 録画の映像にもかかわらず、ものすごい迫力に一瞬で瑛人は釘づけにされた。

 倒した巨大兵器を踏み台にして高く跳ぶと、山吹は敵陣中央に着地。瞬く間に小型兵器に囲まれてしまう。一斉に襲いかかる小型兵器、その密集度、攻撃のない空間なんてないように思えた。しかし、次の瞬間には山吹の姿は小型兵器の視界から消えていた。

 風のように攻撃をすり抜けて、包囲を抜けていた。

「すごい……なんであそこから無傷なんだよ」

 さらに、避けただけではなかった。山吹は避けると同時に、通り道にいた小型兵器をすべて真っ二つにしてしまった。

 瑛人も琴音も息を呑んだ。

 残る二体の大型が同時に攻撃を仕掛けた。背後からの攻撃に、さすがの山吹も対応できないかと思われたが、そんな心配は無用だった。気づくと、攻撃したはずの二体が倒れていた。目にも映らないほどの高速の攻撃で、巨大兵器のコアのみを斬っていたのだ。

 そこからは山吹が小型を一方的に攻撃してすぐに殲滅完了。三日の戦闘が何だったのかと思ってしまうような内容だった。

「圧倒的だね」

 動画を見終わった瑛人が呟いた。

「そう、圧倒的なのよ。こんなに強いのはつまり解放能力が高いということなんだけど、どれくらいなのかしら、何かコツでもあるのかしら」

 熱心に琴音が考えている。ブツブツと独り言を口にして考えている。その熱心な様子に、瑛人に一つ不安が芽生えた。


「琴音はさ、管理局に行くの?」

 隊員の死亡ニュースだって珍しくない、管理局に?

「え、どうして?」

「いや、なんか熱心だなって思って」

 琴音は急に笑い出した。「あははは」と、無邪気に明るく。

「どうしてそうなるのよ、ただの興味よ。何? この人がかっこいいから、嫉妬しちゃった?」

 瑛人は顔を赤くして言い返した。

「違うよ、ただ、管理局なんて危険な仕事だと思ったからさ」

「心配してくれてありがとね、でも大丈夫。私はまず管理局には行かないから」

 タブレットを片付け、食後のドリンクを二人とも飲む。琴音が管理局には行かないと言っても、瑛人の不安は消えなかった。

 管理局にまったく行く気がないのに、どうしてここまで熱心に管理局のことを調べている。食堂にまで来て、局員の顔を一人ひとり観察しているのはなぜだ。

 ざわざわと喧騒の漂う食堂で、二人だけの奇妙な空気が流れていた。

「まぁ、この都市の平和の要ともいえる管理局というものに興味はあるわよ」

 憧れとか、そういうものではない。本当にただの興味。

「……マザー回路。知っているわよね」

 マザー回路。この世界を司ると言っても過言ではない存在。日本に知らない人はいない。

「無限に等しい」

 アルゴリズム学習を、

「今も進化を続ける」

 人の社会を良く回すために勉強させられた、

「遂に人を超えたコンピューター」

 機械都市で生きていれば誰でもマザー回路のお世話になっている。マンションにあるハイテクな機器もマザー回路につながっている。政治家はお飾りになり、今では政治のすべてをマザー回路が決定する。管理局のトップもマザー回路だ。山吹律の肩書が東京第一管理局「支部長」なのは、記録上の本部はマザー回路ということになっているからだ。

 人類が初めて作った自分たち以上の存在。その存在の下で働く管理局。

「いわゆる、管理局はマザー回路の実行部隊とも言えるでしょう? マザー回路に選ばれた人たち……とても気にならない?」

 平和の執行者。そんな大義を背負った管理局員は、どんな場所で勤めているのか、どんな人柄なのか。

「ごく自然な興味よ」

「ふーん」

 この時、瑛人には琴音が隠し事をしていることがわかった。確信に近い予感だった。何度も琴音と一緒の時間を過ごしたからわかる。

(琴音は興味あることには笑って挑む)

 どんな難しい題材でも、触れたことのないような領域でも本を読む。難し過ぎる問題に頭を抱えて険しい顔をしても、楽しんでいるとわかった。


 今回の、管理局やマザー回路の話をしているときの琴音の顔には横にも裏にも笑顔はなさそうだった。それだけが、気がかりだった。

 それを上手に聞き出す力が、瑛人には備わっていない。それは本来、多くの友人と関わっていれば体得できた技能だ。残念なことに瑛人の通ってきた道にはなかった。今から戻って、違う道に行って掘り起こすのも、かなりの手間だ。

(いつか知ることができればいいことか)

……

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