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第一章・始まりの事件


 私たちは罪深き人間です。罪深く正しいことをしている人間です。

 正義を振りかざし、正義を押し潰すのです。



 第一章・始まりの事件


 雲が見えない。青空が見えるというわけでもない。いつしか多くの人は、空を見上げるという行為をしなくなった。夜空に浮かぶ星を見ることもなくなった。

 空を見る必要がなければ視線は下がる。物理的に視線が下がれば気分も下降気味。平均的な視線の角度が下がった現在、人は極端に現実的思考しか持たなくなってしまった。機械のように、平坦な未来しか見なくなった。

 西暦二一〇〇年。東京は機械都市と呼ばれていた。

 ほとんど色のない世界だ。鉄の黒と街灯の灯り。それから時々あるアスファルト道路。緑なんてない。青なんてない。見上げたときに見えるのは地球に申し訳ないほどの煙。

「本日はナノマシンによる大気クリーニングを行います。気になる方、喉の弱い方はマスクを着用しましょう」

 機械都市は人口の超過によって生み出されたものだ。人が多すぎる。仕事がない住む場所もない。最悪の場合、食べるものもない。呼吸によって排出される二酸化炭素の量がもはや無視できない。混沌とした世界を救うために作られたのが機械都市だ。

 管理してしまおう。すべて、管理してしまえば、あぶれることなく幸せを獲得できる。仕事を割り振ろう。食物も。そうだ、空気だってそうだ。

 その結果、東京から色がなくなったのだ。ビルはただの黒色の塔となり。おしゃれなマンションは人が住むためだけの要塞となった。

 東京の景観も、見る人が見れば悪いものではないらしいが、瀬戸瑛人は生まれてからの二十五年間で、きれいだなと思ったことはただの一度もなかった。

 この日、瀬戸瑛人は仕事で新宿に来ていた。


【新宿で刺殺事件。同一犯か⁉】

 十二日夜。これで三度目の事件だ。東京都新宿区のゴミ置き場にて刺殺体が発見された。被害者は山田ともこさん(40)。目撃者はいない。管理局と警察は同一犯の線を入れつつも、被害女性の生前の交友関係についても調べている。


 電子新聞でものの数行で伝えられた事件の調査が今回の仕事だった。事件の解明は隠れた無数に近い行を見つけるということ。人は結末を気にするから、新聞はその数行で事足りてしまう。東京第一管理局に勤務している瑛人の仕事、管理局はその、誰もが興味を持たないところを解明しなくてはならない。

 機械に管理させても見えないストーリーを彼らは探す。

 機械都市はその管理制度によって秩序を保っているから、犯罪の発生件数はかなり少ない。防犯カメラも一世代前と比べると多すぎる。それでもやはり、と言うべきなのか、犯罪はゼロになったわけではない。

 わざわざ機械都市で犯罪を実行する者のことをいつしか、犯罪者ではなく若干の尊敬を込めて「クリム」と呼ぶようになった。罪という意味を持つ言葉だ。

「今回の被害者も女性か。前二つも女性だったよね」

 瑛人はシートで覆われた遺体を見ながら言った。

「はい、一件目は三十歳の女性、二件目は二十八歳の女性です。瀬戸さんはやはり同一犯だとお考えですか?」


 瑛人と共に調査にあたっていたのは栗色の髪のショートカットがよく似合う女性。楓柚月だ。瑛人の一個下の二十四歳。彼女は東京第一管理局に配属されてからずっと、瀬戸瑛人とバディを組んで行動している。

 遺体は心臓を真正面から一刺しされている。

「普通、正面から心臓を貫くのは骨とかがあって難しい。しかも傷跡はまったくぶれず、直線となっている。いい刃物、いい使い手でないとできない芸当だ。たぶん、同一犯だね」

 近年のクリムの特徴は、集団を形成して大規模な暴動やテロを起こすものと、単独犯とがある。前者を捕まえることに苦労はない。基本何も考えていない、ただ管理社会に何かアクシデントを起こしてみようと思っているだけの連中だからだ。しかし、後者は違う。多くの場合、用意周到な計画、監視の目をくぐる隠密。管理局の人間も時に殺してしまう単独での危険性。そして何より、社会に何かメッセージを伝えようとすることが問題だ。否、問題とされている。

 管理をするためには不穏な考えを持つこと自体が悪とされる。まったく、思想の自由などあったものではない。……

 今回の事件からはメッセージ性は感じられないが、単独での危険性は十分に感じられる。

(だけど、こういう場合が一番厄介だ。動機の見当がつかない)

……隠し持った狂気。なかなか表に出さない。動機は、単純に殺したいだけ?

「自分の技を試したい、見せつけたい。それだけのこと。なんてことはありませんか?」

 考え込んでいる瑛人の横で、楓がぽそっと言った。彼女は瑛人と目を合わせ、一呼吸置いてから続けた。

「動機がさっぱりなら、いっそのこと割り切って快楽殺人者として捜査をしてみてもいいんじゃないかと……思って」

 尻すぼみに声が小さくなるので、慣れていないと聞き逃してしまうことが多々ある。なかなか自分に自信を持てない性格で、話していても「自分の意見なんて」という考えが前提で話している。瑛人が彼女に自信を持たせようと努力して、最近ようやく改善の兆しが見えてきたのに、任務中は相変わらずだ。

(まぁ俺も、自信を持って仕事に取り組んでいるわけではないか)

 犯人はそれなりの技を持っている。ただの殺しで殺し方まで統一させる必要はない。自分の技を世間に見てもらいたい。曲がった承認欲求のシリアルキラー。

「よし、じゃあその線で取り掛かってみようか」

「え? でも……」

「大丈夫、きっと上手くいく」

 不安でいっぱいな楓の顔を晴らすために強めに肩を叩いてあげた。

(この子は戦闘面でも、捜査に関しても、あらゆる面で管理局に適している。本当に、もっと自信を持っていい子だ。もったいない)


 二人はまず事件の様子を捉えたカメラを探すことにした。この時代、カメラに映っていないなんて方が珍しい。見上げれば煙よりも先にカメラを見つけることの方が多いかもしれない。

「それじゃあ早速行こうか」

 瑛人がそう言ったときだった。キープアウトのテープの外から、気になる声を聞き取った。

「あら? 山田さん? 死んじゃったの」

 事件の捜査をする者からすれば聞き逃すことのできない発言だった。野次馬に紛れて不謹慎とも取れるその発言をしたのは、白髪の混じった女性だった。

「失礼、被害者とはお知り合いだったのですか?」

「ええ、まあそんなに、最近は挨拶するぐらいの関係だったけど」

 女性は瑛人と楓に聞かれずとも知っていることを次々と話してくれた。この年代の人はいつの時代もお喋りであることは、いい名残だ。

「もうずっとね、旦那さんと上手くいっていなかったのよ」

「そうだったんですね。何か理由が?」

「浮気したのよ、浮気。夫婦仲の悪化なんて、大概そんなもんよ」

 楓がいぶかしげな顔で聞き返した。

「浮気ですか?」

 おばさんは顔の前で手を振って「いやいや」と言った。この時代、やろうと思えば皮膚を変えることのできる時代。

「あの人も四十だけど、若作りは欠かさなかったから」

「ちなみに、浮気相手のことは何かご存知でしょうか」

 瑛人はこれ以上の情報は見込めないとして、早々に切り上げるために答えられそうにない質問をした。しかし、意外な返事が返ってきた。

「ええ、知っているわよ」

 近所のおばさんというのも、侮れないものだ……監視カメラなんて必要ないかもしれない。

「相手は機械よ、ロボットよ。よく言うじゃない、システム変愛家だっけ」

 社会的問題の一つだ。機械に対して恋をしてしまう。たしかに今日のアンドロイドはもはや生身の人間と並べても、見た目だけでは判別できないほど精巧な作りをしているから、「かっこいい」だったり「かわいい」という感情は必ず抱く。

 それでも、それが恋だとか愛情だとかまでに発展してしまってはいけない。触れれば冷たいし、回路はそういった感情を持たない。愛情も一方通行ではすり減るだけだ。そして機械へのそれは必ず一方通行だ。

「何か、問題があったのでしょうね」

「さぁね、ちょっと見ていてかわいそうだったわよ。ともこさんも、旦那さんも」

 わかっていても機械に恋をしてしまう人間は一定数いる。彼らは絶対に裏切らないから、そこに安心して偽物の温かさを本物だと勘違いしてしまう。残念ながら機械はそれを異常なことだと認識しない。愛情を持つことは、人間の本来の特徴だとインプットされているから。


「ありがとうございます。貴重な情報、感謝します」

 瑛人がそう言うと、立ち話に疲れたのかおばさんは去っていった。

「瀬戸さん、やっぱり快楽殺人者というのは……」

「まだわからないよ。俺は楓ちゃんの考えで正解だと思う。でも念のため、ご主人の山田悟さんに話を聞いておこうか」

 山田悟に会うことは難しくなかった。現場近くの局員の詰所に待機してもらっていたのだ。実際に話してみた結果、先ほどのおばさん以上の情報は引き出せなかった。彼は落ち込んではいたが、泣くほどではなかったようで、冷静に質問に答えていたことは印象的ではあった。

 詰所から出て、黒ばかりの風景を見ると、思わずため息をついた。

「瀬戸さん、ため息はよくないですよ。気持ちはわかりますけど」

 こんな暗い世界で、人間の暗い出来事、暗い感情を見ていると嫌気がしても仕方がないことだ。

 人間の感情を形成する要素は何であろうか。環境というのはその大きな要因の一つのはずだ。機械に囲まれれば、それ相応の影響があるのかもしれないなと瑛人は考えていた。

「どうしますか? 山田悟さんがやっぱり怪しいですよね。自分に愛が向かなくなったことが動機になる……昔からあることです。きっと調べれば何か出ます。快楽殺人というのはやはり……」

 瑛人はコートのポケットに手を突っ込んで歩き始めた。

「たぶんあの人じゃないよ。犯人はまったく別にいる。楓ちゃんが予想したように、快楽殺人者の線で進めてみよう」

 自分の意見が認められると、まるで自分が認められたように嬉しいことがある。彼女にとっては上司である瑛人が提案を採用してくれたことが、とても嬉しかった。

「はい! ありがとうございます! ……それで、どこに行くんですか?」

 二人が向かった場所は現場から百メートルも離れないカフェだった。入る前に楓は一度止まって、「こんなところに何か用事でもあるのか」と考えてみた。が、瑛人が止まらずにずんずんと階段を上がって店内に入っていくので楓もひとまずついていった。

 その後、二人はメニュー表を見て何を注文するか話し合っていた。

「俺はこの、特製コロッケ定食とアイスミルクティーで」

「私は野菜のテリーヌとアイスココア」

 二人はタッチパネルでそれぞれ注文をすると、席に着いたときに店員が置いてくれた水を一口飲んだ。

「テリーヌってなんだ?」

「いや、そうじゃないでしょ。なんでカフェに入っているんですか」

 瑛人はもう一度水を飲み、何か面白いメニューはないかと、パラパラとメニュー表を見始めた。

「これも仕事の一環だよ。食べないと戦えないというのは真実さ。それより、紙のメニュー表なんて珍しいよね」

 そういえばと、楓は早朝出勤で朝食を食べていないことを思い出し、お腹が減っていることに今になって気がついた。

「食べられるうちに、食べておいた方が良いかもですよね」

 楓ももう一度水を飲んだ。きれいすぎるほど浄化された水だ。透き通った氷の動く音が心地いい。

「メニュー表は、古典的で可愛いとか、くだらない理由で若い子に人気らしいですよ」


 まるで自分は若い子ではないみたいに言う。

 瑛人はてきとうに鼻を鳴らして返事をした。瑛人はメニュー表を閉じ、窓から事件現場を見てみた。まだ野次馬や警察が右往左往していた。

 視線を楓に戻してから、いよいよ仕事に関する話を始めた。

「楓ちゃんは今、スーツの解放能力はどれくらい?」

 スーツというのは、管理局が暴徒に対抗するために作った【エネルギースーツ】のことである。近年、クリムは自立戦闘兵器を作ったり、大型の機械兵器を作ったりと、侮れない技術力を持っている。当初は管理局もそういった機械を作って対抗していたが、毎回の修理費も膨らんでいった。そこで開発されたのが、超人的な戦闘力を付与するエネルギースーツである。

 大きな兵器を作るよりも、スーツに人間を入れて戦わせた方が楽だったのだ。

 機械の代わりに人が戦うという、古来に逆戻りするような考えに、反対の声が上がったが、実際に使ってみるとその成果に文句を言う者はいなくなった。

 欠点は、誰しもがスーツを使いこなせるわけではないということ。エネルギースーツをどれだけ使いこなすことができているか、それを数値で示すのが先ほど瑛人の言った「解放能力」である。

 解放能力はスーツを装備した人間によって大きな差がある。

 命の安全を考慮して、解放能力は20を超えなければ着用が必要とされる任務にはあたれないとされている。

「私は今、40です。主に銃を使います」

「また上がったんだ、すごいじゃん」

 エネルギースーツを着用して任務にあたることを許される者の平均値が25であることを考えると、楓の数字はかなり優秀なものだ。

 スーツを起動すると武器とスーツ、さらに人体が結合し、武器にエネルギーを送って戦うことになる。数値が大きければそれで終わりではない。スーツの解放度が高くても、次の関門として武器に上手くエネルギーを送れるかどうかという問題がある。だから個々に適した武器を選ぶことになる。楓が銃を使うことが多いのは、エネルギー効率が刀よりも優れているから。瑛人はその逆だ。

「瀬戸さんに比べれば、まだまだですよ」

 楓がそう言ったとき、瑛人は内心、今はまだねと思ったのだが、言わずにおいた。

 現在は楓の言うように、解放能力の点で言えば瑛人の方が上だ。それでも、瑛人は楓のことを高く評価していた。バディを組んだ時から評判通り、期待できる子だった。勤勉でスーツの適合性も高い。さらに捜査の勘も最近育ってきている。一年後には解放能力でも並ばれるかもしれないと瑛人は思っていた。

「どうして急に……」

 解放能力のことを聞いたのですか? と、楓が聞こうとしたとき、コロッケ定食と野菜のテリーヌが運ばれてきた。

 テリーヌを見たとき瑛人はただ、「四角い」といった感想しか持てなかった。

「それは、この後の捜査のためなのだけど。まずは食べようか」

 食事は、機械都市であろうと変わらない。作り立てが美味しいに決まっている。ただ、機械都市ではほとんど変わらない味をどこでも楽しめるというのがポイントだ。ここでも管理がよく機能している。豚や牛などの家畜にはバーコードが印字されて、生まれた時からどこに行くのか決まっている。どのスーパーに行くのか、どの料理店に行くのか、すべて決まっている。

 特別美味しいわけではない。特にチェーン店だと顕著に感じられる。

(まぁ、嫌いな味ではない)

 瑛人は事件現場を気にかけながら食事を終えた。口を拭いて、アイスミルクティーを一口飲んで一息ついた。瑛人の真似をして、事件現場を気にしながら食べている楓は、まさに健気な後輩で可愛らしかった。

 彼女の食事が終わるのを確認してから、

「快楽殺人者という線で調べてみることにしたからには、一つ試してみたいことがある」

 そこまで言うと、楓が言葉を先取りした。

「おとり捜査、ですよね?」

「正解」


 自分の技がどれだけ世間に知れ渡っているのかを確認するために、満足感を得るために現場に戻ってくることが考えられる。そこにおあつらえ向きな標的がいた場合、犯人が衝動を抑えられずに犯行に及ぶ可能性はある。それが、どれほどの確率なのかは、見当のつくことではないが。

 しかし、確実なことが一つだけある。

「おとり役は危険だよ。特に今回の場合、犯人もそれなりの手練れなわけだし」

「だからさっき、スーツのことを聞いたんですよね」

 楓がジッと瑛人を見つめていた。というよりも睨んでいた。氷の入ったグラスを強すぎる力で握りながら、彼女は言った。

「大丈夫です!」

 あなたの相方はそんなに頼りないかしら? 犯罪者一人に後れを取るとでも?

「訓練もしていない相手に、私が負けると思いますか?」

 いつも奥手で、自分の意見を少しも尊重しない楓が唯一、瑛人にだけは認めてもらいたい、頼ってもらいたいと思っている。もちろん、そのことを瑛人が知ることはないのだが。

 瑛人は言い切った楓にニッコリとほほ笑んだ。

「楓ちゃんの解放能力があれば、そうそう負けることはないと思うよ。なら、一つお願いしようかな」

「任せてください。必ず成功させます」

 ドリンクを飲み干して席を立った。お会計は出口のドアをくぐれば自動的に精算される。

 二人はまず、遺体があった場所から歩いて半径五分ほどの地域を下見した。おとりを配置するならどの辺りにするのか。犯人が行動しやすい場所はどこか。もし戦闘になるならどこで行うのか。

 機械都市を散歩してみるとよくわかることだが、機械都市はとても細い道が多いのだ。人目に付かなくて、ずっと昔であれば不良たちがたむろしていそうな場所もたくさんある。

 それでも犯罪が少ないのはやはり管理が優れている証拠だ。

(しかし、やはり犯罪心をくすぐる場所はある)

 本当の狂気を手に入れてしまえば関係ない。揺らいだ心に環境が少し手を貸せば、抑圧されていた衝動は簡単に暴れ出す。

「この辺りはどうですか?」

 大通りから二本はずれた場所。街灯はしっかりと設置されていて夜も暗くならないが、そもそも人通りが少ない。路地裏に通じる細い道がいくつかあって犯罪者の心をくすぐりそうな道だ。しかし、

「もし戦闘になった時に周囲の被害が大きい。いい場所だけどもう少し探そう」

 街への被害も考えなくてはならない。悪役と違って自由が効かない。瑛人はいつもそう思っていた。

 二つ目の候補地はすぐに見つかった。現場から二百メートルほど離れた場所で、大通りから一本だけ外れた場所だ。こちらの方が若干広い。

「こっちにしよう」

「瀬戸さんの戦闘スタイルのことを考えても、こちらの方がよさそうですね」

「そうか? とりあえず、こっちの方が壊すものが少なくて済むから」

 場所が決まると、さすがの犯罪者も、管理局だとわかって狙う馬鹿はいないだろうから楓は季節に合わせてロングコートを羽織った。ベージュ色のコートが彼女の髪色とマッチしている。中のエネルギースーツが完全に隠れるように、腕で体に巻き付けるようにしていた。

「似合ってますか?」

「ああ、かなり似合ってる」

 作戦はかなりシンプルなものだ。

 まず、少しも管理局に見えない楓が現場周辺を歩く。そして、犯人を呼び寄せる。瑛人はビルの屋上から広く見渡して、犯人と思われる者を捕捉次第楓に伝える。予定した場所におびき寄せ、瑛人も協力して取り押さえる。もしも予定した場所に移動しても犯人と思われる者が行動しなかった場合、瑛人が職務質問という形で話しかける。

 机上では上手くいくように思えても現実はそうでもないのが大半だ。今回の作戦なんて、楓が犯人を釣ることができなければ成立しないし、もっと言うと快楽殺人者でもなかったら成立しない。

(手がかりがなさ過ぎるから、これしかないけど)

 現場近くの高層ビルの屋上から見下ろしていた瑛人の無線機から楓の声が聞こえた。

「それでは、始めますね」

 楓がそれとなく遺体のあったゴミ置き場周辺を歩き始めた。

 楓を視界の中心に、瑛人は犯人像を思い浮かべていた。本当に現場に戻ってくるとしてどちらのタイプだろうか。堂々と、野次馬なり近所の人なりを装っているだろうか。それとも悪人らしくこそこそとしているだろうか。

(……はぁ、責任重大だよ)

 絶対に成功させると楓が言ったものの、正直なところで成功のカギは瑛人にある。犯人が先に楓のことを見つけたとしたら、遺体のあった場所を何度も歩いている人間に不信感を持たないわけがない。犯人が楓に目星を付ける前に、犯人を見つけなければならない。

 おとり作戦を開始して二十分。怪しい者はいない。

「根気よくいきましょうね」

「そうだね。楓ちゃんも気をつけてね」

 瑛人には人の動きがよく見えた。多くの人が会社に勤めて、家に帰って。一般的な世界が用意されているのに、

(犯人や、その他の悪人はその世界からあぶれてしまっている)

 よりによって、どうして快楽を得る手段に殺人なんかを選んでしまったのだろうか。瑛人にはそこが理解できなかった。

(この管理社会だからこそ、それしか見つけられなかった?)

 そうだとすれば、もしかしたら彼らも被害者なのかもしれない。機械仕掛けの街に、心まで侵されかけた。保ちたくて、刺激で心を認識したくて……。


「瀬戸さん、そちらの様子はどうですか?」

 考え込んでいた瑛人はピシャリと張り手を打たれたように驚いた。

「ああ、今はまだ……」

 無線機で言いかけて、瑛人は慌てて止めた。角に隠れるようにして現場をキョロキョロと見ている人影を見つけたのだ。

「怪しい奴がいる。現在の進行方向逆、一つ目の信号を渡ってから予定の場所へ」

「わかりました」

 瑛人は気合を入れなおした。怪しい人影を見失わないようによく見える場所に移動しながら楓を見守る。楓の方もまさに一般人。どこかの新入社員で間違いない。という雰囲気のまま、楓は人影の前を通過した。

「男です」

「わかった。注意してね」

「もちろんです」

 狙いが上手くいって、男は楓をじっと見つめた後、ひたひたと楓の後を追い始めた。

「後ろを歩いているぞ。当たりだな」

 それを聞いた楓の心臓は「バクン!」と高鳴り始めた。当然だ、見ず知らずの男に尾行されるなど、気持ち悪い以外の何でもない。

(落ち着け……気づいていない振りをしないと)

 その後、三分もしない内に目的の一本道に入った。楓は止まらずに道を進んでいたのだが、男はちょうど一本道に入るための角で止まった。

「止まったな。何かする気か、それとも」

 瑛人が話している最中に、男の姿が唐突に視界から消えた。それまでのヨタヨタ歩きからは考えられない俊敏な動きで消えた。

「楓ちゃん、犯人が動き始めた。走り始めて、建物の裏に入ったことで見えなくなった。壁から少し離れて歩いて! ごめん、俺としたことが……」

 楓が小さく笑ったのが、無線機を通してわかった。

「謝らないでくださいよ。こんな所で見失わない方が難しいですよ。大丈夫です。私も警戒していますから」

 瑛人は改めて現実に意識を集中させた。楓の周辺、一つの異常も見逃さないつもりで観察した。奴はどこにいる。どこで仕掛けてくる。早く見つけなければ。

 瑛人は屋上伝いに移動して先回りしつつ、男の姿を探した。そして、楓からだいぶ離れた場所で、その姿を再確認することができた。

「男を再確認。四つ目の角にいる。気をつけて」

 無線機を通して瑛人の言葉を聞いたとき、それが楓の心臓の鼓動を早めるスイッチとなった。相手は技自慢の犯罪者。もし、本当に強かったら……。

(私も無事ではいられないかもしれない)

 機械都市独特の足元を流れる管から漏れる音を感じながら、コートの中で拳を握りしめながら、大丈夫と言い聞かせ、楓は足取りを一定に保った。

 瑛人は身をかがめ、男が動き出すのをジッと待っていた。動きからして、犯人に違いない。しかし、現行犯で逮捕したかった。だから楓には悪いと思っていたが、本当にギリギリまで動くことはできなかった。

(次に奴が走ったり、急な動きをしたらすぐに……)

 瑛人はここで、違和感があることにようやく気がついた。

 ずっと、よたよたと歩いていた男は……。

「この道に入ることなく、楓の様子を見ていた。どれくらいだろう……うん、二人の距離はそれなりにあった」


 距離はあったのに、瑛人が男を再確認したのは楓の進行方向かなり先。走ったにしても速すぎる。

 注射器から嫌な予感という薬が打たれたように、瑛人の身体に染み渡った。

「楓ちゃん……」

 伝えようとしたのが、わずかに遅かった。瑛人が言い切る前に、男は楓の前にゆらりと現れた。帽子を深く被っていて顔がよく見えない。顔色が悪いということは、なんとなくわかるのだが。

 楓はコートから拳を取り出し、ピタリと止まって注意深く観察した。

「どなたですか?」

「俺は……自分を確認したいだけだ」

 まともには思えない返答と共に、男は袖からナイフを取り出した。

「試させてくれ!」

 悪寒が、楓の背筋を登った。この男は、油断してはいけない。ただの犯罪者ではない。そう理解した。

(接近される前に、先手を取る!)

 楓は後ろ飛びで距離を取りながら首元にあるエネルギースーツのスイッチを押した。そして小さく呟いた。

「スーツ・起動」

 着用していたスーツが動き始める。稼働音と共に体に最適な形状へと変化していく。身体能力の上昇を感じ取りながら、楓は空中で一回転してコートを脱ぎ捨てた。

「お前! まさか管理局か!」

「今さら気づいても遅いのよ、覚悟しなさい」

 スーツの袖口から楓の手に小さな四角い箱が射出された。その箱はアサルトライフルへと瞬く間に姿を変え、ライフルの銃身から細い管が伸び、楓の手首と結合した。その後スーツから機械音声が流れる。

【解放能力・40、戦闘を許可します】

 狙っている女が管理局だと知った男は右手に構えたナイフをくるくると回していた。

「覚悟しろだと? 少しずれているぜお前。俺は今、めちゃくちゃ嬉しいんだぜ? だって、遂に管理局に目をつけられるほど、俺という存在が認知されているのだから!」

 興奮気味にそう言うと、力強く地面を蹴って楓に飛び込んだ。

(速い!)

 心臓に迫ったナイフをライフルの側面で弾き、楓が再び距離を取ろうとしたのだが、男はグッと詰めてきた。

【解放能力・30、戦闘を許可します】

 楓にとっては聞きなれた音声だった。しかしそれは、聞いてはいけないものだというものというのは、すぐに理解できた。

(どうして、こいつがスーツを持っている!)

 男の足元に威嚇射撃をして足を止めさせた。

「まぁいいや、とにかく、あんたを捕まえれば、全部わかることよね」


……


 超高層ビルの立ち並ぶ機械都市の空中。男がナイフを構えた瞬間に、瑛人は屋上から飛び降りていた。

 空中で体を操りながら、男の動きを見て自分の予感が的中しているのだとわかった。

「スーツ・起動」

 すらりと伸びた日本刀が瑛人の右手に装備された。近くのビルの窓ガラスのない部分を蹴って軌道を修正した。

(楓ちゃんには手出しさせないよ)

 弾丸のごとき勢いで、男と楓の間に金属音を響かせて着地した。

【解放能力・80、戦闘を許可します】

 二人目の敵の登場、さらに、「80」という、信じられない大きさの数値に、好戦的な男もさすがに距離を取った。

「管理局は管理局でも、第一管理局というわけか」

 数ある管理局の中でも、実力のあるいわゆるエリートの集まる場所、それが第一管理局。

「瀬戸さん。こいつはスーツを使っていて、解放能力は30です」

「ああ、わかった。楓ちゃんはいったん待機」

「……わかりました」

 男は興奮状態から一転、冷静になっていた。

「分が悪すぎるな、ここはまず」

「逃げられるなんて、思うなよ」

 逃がせばこの先も多くの命を奪うのだろう。そんなことは、絶対にさせない。

(……それが、管理局の仕事だ)

 男がナイフをしまって逃走を始めたので瑛人は考えるよりも先に後を追うことにした。解放能力30。管理局でもないのにこの数値は破格だ。しかし、瑛人にとっては問題にならない。膝を少し落としてから、人間とは思えぬ速度で走った。足場の鉄が耳障りのいい音を立てる。

 簡単に追い抜き、峰打ちを打ち込もうと構えた。しかし、男はまだあきらめていなかった。瑛人が振り切るよりも先に、男は瑛人を跳び越えた。

「往生際の悪い」

 男が跳んだ先にはビルとビルを繋ぐ連絡橋があった。

「瀬戸さん! あそこに入られたら厄介です!」

「わかってるよ」

 瑛人は男を視界に捉えながら短く息を吐いた。足を肩幅よりも少し大きめに開いた。右手で刀を握りしめて、左腰から後ろに流すように構えた。

「逃がさないって、言ったよな」

 瑛人の手首と繋がった管から刀にエネルギーが送られた。体力を吸い取られるような独特な感覚を味わいながら、瑛人は短く唱えた。

【飛空刀牙】

 管理局に伝わる、刀の斬撃を一時的に延長する技。延長度合いは解放能力に比例して増えていく。解放能力80の瑛人の飛空刀牙を、楓は何度見ても驚きを隠せないでいた。

 延長された刀の峰が男の横腹を強く打った。瑛人はお構いなしに刀を振り抜き、男はビルの壁に衝突した後に、力なく落下した。

「……すごい」

 男は落下の途中で何とか体勢を整えて着地していた。体に鋭い痛みが響いていた。呼吸もうまくできていない。

「くそ……なんだ今の技」

「管理局を相手にするなら、調べておくべきだったな」

 男の目の前に、瑛人がいた。

 男は両手を地面につき、激しく呼吸をしていた。そして、ようやく呼吸を整えたかと思うと、捨て台詞を吐いた。

「政府の犬どもが……お前らは機械と何も変わらねぇよ」

 瑛人は刀を男の首元に添えた。

「まぁ……否定はしないよ」

 振り上げて、強めに叩いて気絶させた。

 周囲は途端に静かになった。スーツの稼働音も消えて、慣れ親しんだホワイトノイズが世界を満たしていた。

(本当に、否定はしないよ)

 瑛人のもとに、足音が近づいてきた。瑛人のバディ、楓の足音だ。

「瀬戸さん、さすがでした。これで事件は解決ですね」

「いいや……」

 新宿区の殺害事件は、確かに目の前の男を捕えたことで収まった。しかし、まだ完全に終わったわけではない。

「こいつの着ているスーツの出所を洗わないといけない。また忙しくなりそうだよ……それこそこいつの言うように犬のように……」

 言いかけて、瑛人は言葉を飲み込んだ。わざわざ楓に聞かせるようなことではない。

「どうかしましたか?」

「忙しくなるけど、頑張らないとね」

「はい! もちろんです!」

 瑛人は楓に男の監視を任せて、その場から少し離れた。

「……べつに、何も考えずに動いて、働いていたって悪いことじゃないだろう」

 連続殺人犯は、きっと自分を否定するその考えに、精神を病んだのだ。目的を見つけたくて、生きている意味を知りたくて。機械に生かされているかもしれないという現実から抜け出したくて。

「だけど、目的がなくても、生きていけるじゃないか」

 平均値に揃えられた幸せを享受して、生きていける。何も、何も悪いことではない。

 ビルの壁にもたれかかり、空を覆う煙に向かって、瑛人は大きなため息を吐いた。


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