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第五話:怨霊の姫が────幸せになる事は出来ないなんて、俺は諦めたくないんだ

 俺はわかっていた。真守葉摘がやって来た時、わかってしまった。


 ────怨霊は怨霊。幸せになる事は出来ないのだと。


 それでも僅かな時間を、俺と破武照姫は幸せに過ごせたと言える。



 ────破武照姫は俺を残して消えてしまった。手のひらに乗った淡い雪が溶けてしまうように────



 初めて失う悲しみによる涙で、俺は心から吠えた。激しく運命を呪い、恨んだ。


 でも────────もう彼女はいない。


 言わなくても、わかるよな……。


「君が怨霊を愛するのは構わない。しかし君は、彼女の為に幸せになってはいけなかったのだろう」


 巨大な怨念の奔流を感じて、真守葉摘が駆けつけた時にはもう遅かった。破武照姫の怨霊としての性質を理解し、最初からこうなる事を予見していたようだった。


 葉摘お嬢様だけじゃない。破武照姫にもわかっていた。健気で純粋で俺を愛してくれた怨霊の姫は、幸せを感じて口づけを交わしたあの日から徐々に弱っていった。


 怨霊が幸せになったせいじゃない。名を授けた俺に、彼女を存在させる根幹があるために、怨霊としての性質が変わったせいだ。


 破武照姫はその事をずっと隠していた。お互いに相手を失いたくなくて、運命を呪い恨みながら、自分自身の恨みは消化出来ず苦しんでいたのだ。


「名前の通りに、俺を呪い殺せば助かったはずなんだ。なのにあの娘は……最後まで怨みさえしなかった」


 怨霊が怨霊として役割を果たせなければ、存在そのものが歪む。御霊としての力はあくまで俺が元になるので、怨霊の力の維持には役に立たない。


「葉摘お嬢様は前に来た時から、知っていたんだろう」


「ああ。彼女の性質上、危うい状態なのもわかっていたよ」


「俺はどうすれば良かったんだろうか」


「残酷な現実を受け入れるしかかなったろうね。彼女に惹かれながらも彼女を見捨てて来たもの達のように、縁を切るべきだった」


 激しく怨ませる事で破武照姫は再び怨霊の力を取り戻し、以前よりは少しだけ自由な怨霊に戻ることが出来ただろう。


 馬鹿な俺は、ようやく破武照姫がずっと一人放置されていた理由がわかった。彼女を俺だけが救えるのだと思っていた。とんだ勘違い野郎だ。



 ────結局、俺には彼女を突き放す()()がなかっただけだ。



「怨霊が幸せになってはいけないなんて、誰が決めたんだよ……」


 悲しい後悔の渦に呑み込まれる。しょせん俺はほんの少し他人より霊感の強いだけの男だ。


 幸せを履き違えて、一番大切なものを自ら壊してしまった。


 先人達が彼女とそこに住まう人々を想うからこそ、冷たく寒い夜に放置して来た事に気づかずに。


「彼女が怨念を食えなくなった事で、行き場を失った怨霊の塊が集まっていくのさ」


 真守葉摘は確証を掴む為に、俺を使って試しているような口ぶりだった。破武照姫がいたから一年に一度、京の都に溜まっていた澱みは消えていたのがこれで確定した。


「一年分であれか」


 ドス黒い怨念の塊。彼女の姿を包み込んでいたのは、この怨念の靄だったのかもしれない。


 俺を介して破武照姫に喰わせていた念料など、微々たるものだったんだな。ビル一つ分はある怨念の靄。俺が破武照姫と結ばれなければ、彼女が消化していたはずのもの。


「あなたなら消す事が出来るのですよね」


「ああ、だが私も忙しい。毎年祓いになど来られるかどうか」


 無力な俺と違い、真守葉摘は余裕がある。最初から経過を見て、事後処理をどうするのか考えていたようだ。


「これを放置すると、どうなるのですか?」


「一年程度なら、ちょっとした事故や火事(ぼや)が多くなるくらいだろうさ。五年、十年となると大災害になる」


「そんな……解決の方法はないのですか」


「君が彼女を迎えに行けばいい。ちょうど今日は一月七日、彼女の使う霊道が開く日だ」


 葉摘お嬢様の欲しい答えに、まんまと誘導された感じがする。


「黄泉比良坂の話しは知っているだろう。まつろわぬもの達は、彼女のもとで暮らしている。君が本当に彼女を想うのなら、黄泉の国の女神から連れ出して来たまえ」


 そう言って真守葉摘は俺を眠らせた。いや、殺したのか────────




 ────気がつくと薄明かりの洞窟の中にいた。天井は俺より少し高い程度、ゴツゴツした鍾乳石のような岩が所々突き出ていた。


 俺は黄泉の国に来ていた。もっと真っ暗闇で亡者のひしめく様を想像していた。


「葉摘お嬢様は、霊道と言っていたっけ」


 ここは破武照姫のためだけに拓かれた道なのだろう。薄明かりは喰われた怨みの想念の輝き。いまは大人しく鈍く瞬いている。


 あれは黄泉へ向かうものには無害な輝きだけど、きっと戻る時には牙を剥く。振り返ってはならない、黄泉がえりの神話が本当ならば襲って来たり騙したりするはずだ。


 凸凹の岩肌の道を下るように歩く。俺自身も生きているのか死んでいるのかわからない状態だ。


 体感で三十分近く歩いた所で道が広がり、まつろわぬものとして亡くなったもの達の住まう里が見えた。


 ぼんやりと明るい里の一番奥に破武照姫の姿があった。現世では怨念の奔流と共に消えてしまったけれど、破武照姫自身は完全に消えたわけではなかった。


 彼女はここでも一人ぼっちだった。永遠に救いもなく、怨霊として一年に一度他人の吐き出した怨み辛みだけを喰らうためにいる。


 彼女を見捨てる勇気なんて……クソ食らえだ。俺は改めて自分の気持ちに正直に生きる事に価値を見出した。


 俺が間違ったわけじゃない。彼女一人に世の不条理を押し付けて水に流そうとする世界の方が間違っている。


「あなた様、どうしてここに」


 まつろわぬもの達が破武照姫に目をくれる事はない中で、彼女に近づくものがいればすぐにわかるよな。一緒にいた記憶まで消えていなくて良かった。


「迎えに来たんだ、破武照姫。君は俺の大切なお嫁さんだろう」


 死後の世界の中で、涙が出ているのかわからない。きょとんと俺を見つめる破武照姫のかわらぬ姿が、少しぼやけて見えた。


「来てくださって嬉しいのですが、私はもう戻れないのです」


 そもそも破武照姫は怨霊として存在し、肉体は既に滅んでいる。亡霊が死んだのに、黄泉がえるわけがない。 


『黄泉比良坂の話を知っているだろう?』


 真守葉摘の言葉が頭に浮かぶ。そうだ、簡単に連れ出せるわけがなかった。生きていようが死んでいようが関係ない。


「黄泉の国の女神に会いに行くぞ」


 黄泉の国がどういう世界なのかわからない。ただ破武照姫のいた里の先に、神社のような大きな社が見えた。


「あなた様は亡くなられたのですか?」


 俺が強引に手を握ると、冷たかった破武照姫の手に赤みが戻る。


「たぶん死んだわけではない。仮死状態だと思う」


 葉摘お嬢様は俺を殺したのではなく、気絶させたのだと思う。すぐ意識を取り戻さないように、仮死状態に近いショックを与えて。


「無茶苦茶だけど、君を迎えに来るためだ」


「あなた様……」


 この手をもう離したくない。そのためにも、黄泉の国の女神に頼む必要があった。


 大きいけれど簡素な社にはひと気はまったくなかった。黄泉の国だからあたりまえだが、女神には亡者の戦士の軍勢がいくつもあったはずだ。


「我が常に激昂し戦っていると思うのかえ、人の子よ」


 いつの間にか社の中の女神のいる間にいた。破武照姫の手は握られたままだ。


「難儀な奴よの。まつろわぬ民というだけでなく、亡霊に恋し契りを交わすとはのう」


 一見優しく語りかける。だが伝承通りならば、女神は黄泉の国から人が出てゆく事を許さない。


「……わかっておるぞ。そなたの身に纏う生者の気に、不快な力が溶け込んでおる。名もなき我の民に愉快な名をつけたことは称賛したいものじゃが」


 言うが早いか女神の言葉の後に、黄泉の国の食物を乗せた膳が運ばれて来た。


「その勇気に免じて選ばせてやろうぞ。それを食せばこの国の民として、そのものと永遠に一緒にいられる」


 女神様はそう言って表情を崩した。


「伝え聞いておるのじゃろう? そのものが側におるのならば未練もなかろう」


 どこに本心があるのか俺にはわからなかったが、女神様の言う事に偽りはない。


 ただ二人が共に幸せに暮らせるという保障は、現世だろうと黄泉の国だろうとないのだけはわかった。


 結果が変わらないというのなら、俺が勇気を振り絞って破武照姫の手を握り行く先は────未知の未来。少なくとも停滞したこの世界ではない。


「彼女を連れて行こうと思っています」


 恐ろしいまでの怒気が、俺の身体を取り囲むように包む。


「ほんに難儀なやつじゃ。我とて無慈悲に縛りつけようとしたいわけではないのじゃ。さぁ、行け。決まり事を破ればお前たちは永遠にまつろわぬものとしてこの世の住人になるだけじゃ」


 少しだけ寂しそうに女神は言った。怪しい妖艶さと、黄泉の国の腐った身体のギャップが酷い。


「走るぞ、姫!」


「はい、あなた様」


 まつろわぬ民の里へ向かい駆け出す俺達に、女神様は亡者の軍勢を差し向けた。捕まれば俺も破武照姫も永遠に黄泉の国の虜となる。 


 走る足が恐怖に震える。怪しく瞬く光明からは、呪いの言葉のように俺を甘美の罠へ誘おうとする。


 走り続ける俺の障害は他にもある。俺の握る破武照姫の手が冷たく重くなってゆくからだ。


「私はまつろわぬ民のまま、ずっと暮らして来たの。もう放っておいて下さい」


「あなた様、もう十分です。私を置いてあなた様だけでも戻って下さいまし」


 破武照姫の声の幻聴が俺の耳へ届く。幻聴ではなく、どちらも姫の本心かもしれない。


 冷たく重くなるのは、このまま破武照姫を現世に連れ戻した時に降りかかる、苦難の量だと、亡者が囁く。


 難儀なやつ。たとえうまく黄泉の国を逃れようとも、女神様も破武照姫との今後が見えていたのだろう。


「それでも俺は、破武照姫を愛している。誰でもない。俺が幸せにすると決めたんだ!」


 惑ってなどいられない。どんなに重く現実がのしかかろうとも、最期の時までこの手を離すものかよ。


 走り続ける俺と破武照姫の先に、明るい眩しい光が届く。


 出口は近い────ただしこれは罠だ。辿り着いたと油断させて、振り向かせるための。


天之破武照比売神アメノハブテルヒメノカミよ、闇の光を破るんだ」


 俺の呼びかけに応えた破武照姫により、目眩ましの光の罠が消えた。怨霊神が喰らうのは、怨みだけじゃない。


 光の罠を抜け俺達はようやく本当の出口に辿りつく。しかし入り口を塞ぐように待っていたのは、黄泉の国の女神ではなく真守葉摘だった。


「そうか、これが俺の深層心理のつくる最後の壁か……」


 理由はわからない。ここにいるのは、本物の葉摘お嬢様だった。

 

 

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