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第一話:怨霊の姫の名は────彼女の名は破武照姫と、俺が決めたんだ


 ────シトシトと降り始める雨。


 朝の天気予報では帰宅時間までは持つはずだったのに、俺は残業で遅くなった……ついてない。


 予定通り行かない日というものは、何もかもうまくいかない、俺はそう考えている。


 俺の勤める会社は京の都に本社がある大企業の関連会社だ。このご時世でも景気はまぁまぁなのと、同じ京の都のオフィス街に会社があるので、仕事がよく回って来る。


 昔気質な恒例行事を除けば給料も良く、ホワイトよりな会社のはずだった。


 それは俺が入社する前の話しのようだ。俺はなにかと災難に見舞われる気がするからだ。


 年明けの仕事も、帰宅時間の間際にシステムトラブルさえ起こらなければ、俺は定時で上がれたはずだった。


 暑い夏の夜なら、冷たい雨は大歓迎というものだ。だが、冬のこの時期の雨は寒いだけで辛い。


 凍えるような冬の雨の降り続く京の都オフィス街を、濡れて帰れば風邪を引くに決まってる。


 まったく……雨の降り出す前に電車に乗れば濡れずに帰れたはずなのに、本当についてない────


 ──カチャ……カチャッカチャ……


 作業をしながら俺はブツブツと呪詛を吐くように、恨みと怒りをチャラい新人社員(後輩)にぶつける。


 俺に不運を贈りもの(プレゼント)したのは新人社員(後輩)だからだ。


 不具合を調べた結果、トラブルの原因は新人社員(後輩)のプログラムミスだった。あの野郎、何が「お先に帰りますね」だ。


 働き方改革だなんだと言った所で、結局俺のような中間管理職や、現場の責任者にシワ寄せが来る。


 雑な新人社員(あの野郎)と俺とで支払われる賃金が対して変わらないのが腹ただしい。 


 文句を言いながらトラブルの処理を終えた俺は、同僚達の誰かの置き傘でもないか調べに更衣室へ向かう。

 

 会社で残業していたのは俺一人だけだ。今夜拝借しても、明日返せば困らないだろうと思った。


 しかし更衣室に置き傘は見当たらなかった。我社の営業マン達、意外にマメに整理整頓しているやつが多いようだな。折畳み傘でもあればと思ったが、ないものは仕方ない。


 俺は守衛室に寄って行き、鍵を返すついでに忘れ物の傘がないかを聞いてみた。


 守衛さんは申し訳なさそうに首を振った。駄目元だったが、都合良く傘などあるはずない。



 ────とことん今日はついていないな。気の毒に思った守衛さんから貰った厚手のビニール製ゴミ袋を雨避けにして、俺は夜のオフィス街へと歩き出す。


 スーツを着た三十路の会社員が、ゴミ袋を被って夜の雨のオフィス街を練り歩く姿は滑稽だよな。


 利点はスーツは濡れない事と厚手のビニールのおかげで防寒効果が上がり、冷たい冬の風を少し抑えてくれることだ。


 ビュルルル────冷たい風の巻く音が一層寒さを感じさせる。


 何せ袋から顔だけ出してるので、頭は濡れる。そのせいなのか、なんだか急に悪寒を感じる。俺はブルッと身震いした。



 いつの間にか雨が止んでいた。俺を包むゴミ袋から、雨を弾く音も消えた。


 雨が雪へと変わる────道理で寒いわけだと俺は空を見上げ、立ち止まった。


 ────近づく気配がある。


 どうやら寒いのは、雪のせいだけではなかったようだな。


 俺と同じように、身体を何かで包んだ格好の人が目の前に立っていた。


 ここはオフィス街。俺と似た理由で氷雨に降られて帰る人がいるもんなんだな、はじめはそう思った。


「────あら、あなた樣。ようやくいらしたのデスね。私の事……覚えているのかしら?」


 オフィス街の街灯にぼんやりと浮かんだのは、俺のようなゴミ袋ではなく見覚えのある会社員のスーツ生地だ……。


 この妖艶な寒気の走る声は知っている、忘れるものかよ……そうか、今日は七日か。


 

 ────天之破武照比売神アメノハブテルヒメノカミ、それがこの妖艶な声の持ち主の名だ。


 名前は俺がつけた。彼女はまつろわぬものの民の亡霊だから。


 俺は自分から彼女を求めたんだ、忘れるわけがないよな。あれは俺が入社したばかりの新人社員(ルーキーイヤー)の頃の話しだ────


 ◇


 ────世の中は松の内、いまだに休んでいられる会社もある。俺の会社は仕事始めは五日だ。


 新年最初の出社日は半日がかりの社中行事が行われる。六日は午後から新年会が開かれる。だから仕事が実際に始まるのは七日からだ。


 新年最初の出社日から聞きたくもない社長の寒い持ちネタの話しや、大株主の偉ぶった演説を長々聞かされた。


 先輩から聞いていたが、かなり酷い。これも仕事だと割り切るしかない。


 六日の宴会も同じだ。このご時世でも酒の勢いを借りてパワハラやアルハラに耐える必要があるのだ。


 普段の飲み会と違って費用は会社持ちなのでマシな方。俺の中では仕事扱いだ。


 酒に弱い俺はベロベロに酔う。翌日も酷い二日酔いで、最悪な仕事始めになるのだった。


 体調が悪いのでさっさと帰りたかった。その日は確か上司が入力ミスをしていて、残業になった覚えがある。


 そうだった──今夜のように雨が降り出し、体調不良と相まって会社や上司にブツブツ文句を言っていて一人で残業になっていたっけ。



 ────変わらないな、俺は。昔も今も都合良く仕事を押し付けられる。今更過ぎた思い出に文句を言っても仕方ないか────。



 あの晩は確か今夜(いま)よりももっと帰りが遅くなった。会社を出る頃にはとっくに雨が雪に変わり始めていた。


 会社と駅の中間くらいだっただろうか。俺は黒づくめの服装の人が、通り沿いに立っているのに気がついた。


 街灯の光と光の隙間に立っていたので、人の少ない冬の雨の夜だと気づかなかったと思う。


 黒い服に雪が付着したからなのか、俺はその人影のようなものが見えてしまった。


「怨みがあるのデスか?」


 フードの下から、形の良い顎と艶っぽい濃い紅色の口唇が覗ける。


「人……じゃないのか」


 人のように見えた。しかし街灯の灯りに照らされて出るはずの影が、見えなかった。


「怨みを下さい────私は憎き仇を討つために怨讐の力が欲しいのデス」


 これは物の怪とかあやかしの類なのだろう。京の都には、こうした妖怪やら幽霊の話しは山程ある。


 強い怨みを持つ怨霊と化した偉人や貴人は、立派な社などに封印されている。しっかりと祀られているから祟りはしないそうだ。


 俺は怨霊化しやすいのは実は恨んで亡くなった方よりも、その人に近しい人達じゃないかと常々思っていた。


 謂われなく処罰されたとしても死人に口無しだから……。じゃあ、誰が恨み辛みを後世に遺すのか、怒りを伝えるのか。


 彼女は答えを合わせるかのように、艶かしく微笑む。鼻筋がスッと美しく通っているのが見えた。


 彼女はかつてこの京の都で暗殺された、天上人と愛人の娘だったそうだ。ずいぶんと昔の話しだと言うのに生々しい迫力がある。


 よほど強い怨みがあるのだろう。ただ本当に討ちたかった仇はとっくに血統が絶えているはずだ。


「言葉は現代語なんだな」


「……?」


 怨恨を喰らう内に怨念はあるけれど、怨霊として変質し妖怪化した存在になったのだろう。


 お酒は完全に抜けたはずだった。俺はお化けだか幽霊だか妖怪だか得体の知れない彼女に、普通に話しかけていた。


 人生がそのまま彼女いない歴の、ベタな設定だよな。そう思いつつも、俺は惹かれたというか、抜かれた。


 何を?


 俺の中にあった小さな怒りや理不尽さへの恨みを、だ。怖さより興味が勝った。


「自分から話しかけて来た人は初めて」


 この女妖怪(ひと)……俺なんかとは年季が違う。ずっと避けられて、逃げられて来たらしい。


「ぼっちで怨霊化したわけではないが意味は近いのか」


 苛立ちが抜かれて、スッキリした俺は彼女の話しを聞く。


 彼女の一族は迫害されて、時の政権に追放された。没落後は生活も大変だったらしい。


 まつろわぬものとして、政権を取り返した後も彼女達のような存在は無視され続けたそうだ。


「なるほどね、それなら俺が君に名前を贈ろう。天之破武照比売神アメノハブテルヒメノカミ、破武照姫……それが君の名だ」


 「はぶてる」は、いじける、拗ねるみたいな方言だが、彼女が怨霊化した原因である天武を破る意味を持たせた。


 現代社会の一般人のモブの俺が、御大層な名前をつけた所で何か変わるわけではない。


 ただ喜んでくれた。彼女には意味がわかったようだ。既に遠い過去の仇を破る意味でもあるけれど……天照(かみさま)を破る意味にもなる。


 この国の民に喧嘩を売るような名前なので、神罰が下りそうだ。つけた俺もどうかしてる。


 だからこそ無視出来ない存在になる。無視させないための名前なのだ。


 神格とかそういうのがあるのかどうかわからない。俺は神殺しの化け物を誕生させたのかもしれない────。


 ◇ ◇


 あれから何年もの間、俺は破武照姫とは逢えなかった。久しぶりに遭った彼女は霊気が上がり、まさしく神姫そのものだった。


「……樣?」


 あれから逢えなかったのは、日付のせいだったのかもしれない。地縛霊なんかと違うのは、彼女はおそらく正月明け、天智天皇の暗殺された日あたりにしか現れない。


 そして破武照姫と遭った翌日、宴会を仕切る人事部の部長が倒れて亡くなった。


 人事部の部長は、俺のように無理をして翌日も出社した。そしてその日、上層部のみの集まりの新年会で倒れた。


 年末年始も酒浸りだったのもあるが、俺は恨みをぶつける相手がいなくなり困惑した覚えがある。


 それからというもの、俺は小さな苛つきから大きな恨み辛みが翌日に持ち越す事がなくなった。


 忘れたようにケロッとしているからか、相手も調子に乗るのかもしれない。


 だが感情がスッキリしようと、毎度押し付けられてる記憶が消えたわけではないんだ。


 だから新人社員(後輩)のように、都合良く先輩扱いしといて無責任に仕事を押し付ける奴には腹が立つ。


 ────破武姫に喰われたのは新人社員(後輩)だ。俺の願いは彼女が喰らって果たしてくれた。嬉しそうな彼女の顔を見る限り、俺のためだと言わんばかりだ。


 今夜の俺はついてない。だが彼女はいつも俺についていたようだ。


 道理を弁えない連中を喰らったおかげで、実体化したのだろう。


「俺も喰らうのか?」


「何をおっしゃいますやら。あなたと私は契りを交わした仲。私達の仲を裂こうとするのならば、お天道樣だって破って御覧にいれますわ」


 ────天之破武照比売神アメノハブテルヒメノカミ、いじこましい姿が可愛らしい怨霊は、俺の嫁となり一月七日の縛りから解放された。


 彼女は怨霊神だ。些細な怒りや恨みを吸い出してくれる。しかし、崇めるというのなら注意が必要だ。


 たとえ一時の感情でも、強い恨みと暴言は彼女がもっとも好物な念料(エネルギー)だからだ。


 喰われた新人社員(後輩)は気の毒だが、心配いらない。彼女の存在を不都合に思う関係者によって、身元不明の遺体が特定される事になるだけだから────


 

 ────それにいてもいなくても同じ新人社員(後輩)の仕事は結局俺がやっている。いなくなってもあいつの仕事は俺に回って来るだけの話しだ。




 暫く俺は仕事に忙殺されて、帰る頃には草臥れ果てて屍を晒すような状態になるのだろう。


「あなた樣の苦労は私が全部喰らって差し上げます」


 そして俺の多大なるストレスと呪詛と元凶を糧に、彼女は一層艶々しさを増してゆく。


 力を得た天之破武照比売神アメノハブテルヒメノカミはいまや、俺が見たかった美しい姿を取り戻していたのだった──────



お読みいただきありがとうございます。


 公式企画、小説家になろう Thanks 20th 初投稿作品となります。


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