窮地を救ってくれた初恋の相手がサイテーだったけど……
窮地を救ってくれた初恋の相手に求婚されて結婚。その初夜。
――ときたら、いくら淑女といえども、心浮き立ってしまうものよね。
だというのに、ドキドキしながら夫婦の寝室に入ったら。夫はメイドを抱きしめキスをしていた。
「……ハルムート。なにをしているの?」
「あっ、マルティナ、もう来てたんだ!」
ハルムートは焦ったような声を出してメイドから心持離れた。そう、こ・こ・ろ・も・ち!
彼はいまだメイドとぴったり体を寄せ合っている。向かい合わせから横並びになっただけ。
「えっと、ごめん、驚いたよね」と微笑むハルムート。
彼のその陽だまりのような笑顔が好きだった。だけど今は知らない人のように見える。
私に求婚したのはあなたなのに、どうしてほかの女の子とキスをしているの?
私に見られたのに、なんで悪びれもせず笑っているの?
そうだ、これはきっと夢だ。
いろいろなことがありすぎて、悪い夢を見ているんだ。
先月まで私は、王太子イザークの婚約者だった。だけど挙式前日に、彼はすみれのように愛らしい男爵令嬢の腰を抱きながら、
「真実の愛をみつけたから、君との婚約は破棄するよ☆」
と、軽いノリで宣言したのだった。
おまけに男爵令嬢のお腹はふくらんでいた。妊娠七ヶ月だってさ……。
婚約は解消になり(父が王太子有責の解消を国王に認めさせてくれた)、私は『寝取られマルティナ』と揶揄されるようになった。そんなことで傷つくような繊細な精神はしていないけど、好奇の目がうっとうしくて仕方ない。しかも物見高いアホたちが群がってくるせいで、私の仕事に支障が出るようになってしまった。
困った――と思っていた時に、幼馴染のハルムートが求婚してくれたのだ。
ハルムートは家格は同じ公爵家、第一子同士、さらに年まで一緒ということで、幼少期から親しくしてきた。早くに私とイザークとの婚約が決まってしまったけど、それがなければハルムートと婚約していただろう。
そして。私はこっそり彼を好きだったけど、彼も同じ気持ちなのではないかとずっと疑っていた。だってハルムートは公爵家の跡取りだというのに、ちっとも結婚も婚約もしようとしなかったから。そんなの、おかしいでしょ?
だから彼が求婚してくれたときは、嬉しいと同時にやっぱりね!という気持ちでいっぱいだった。
それがどうして初夜に、ほかの子とキスをするようになるの?
全然わからない。
「マルティナ、紹介するよ」とハルムートはメイドを優しい目で見る。「彼女はぼくの最愛の人、ノーラ」
『はじめまして』とノーラがはにかみながら頭を下げる。
いや、意味がわかりません。なによ、『最愛』って。それは私じゃないの?
「ぼくたち、結婚はおろか交際すらも両親に反対されていてね。表向きは別れたことにしたんだ」とハルムート。
はあ。そうですか。
「そうしたら折よくマルティナが婚約破棄されてさ」
折よく……?
それに。
「破棄じゃない。解消。イザーク有責の」
「うん、ぼくはどっちでも構わないかな。――だからね、マルティナにはぼくたちの隠れ蓑になってほしいんだ」
「カクレミノ……」
「そう。夫婦の営みはなしで。でもこっそり愛人を持っていいよ。できればぼくと同じ髪と瞳の色の男がいいと思う。そうすれば君の産んだ子はぼくの子のように見えるだろう?」
ハルムートは優し気な笑みを浮かべたままだ。
彼は最初からそのつもりで私に求婚したということ? 考えてみれば、好きだとか愛しているとは言われていない。
「どうして最初にそう教えてくれなかったの?」
「だって、いくら幼馴染とはいえぼくたちは未婚の男女だったろ。ふたりきりになれなかったじゃないか」
なるほど。だからそんな大事なことを結婚したあとに、しかも初夜の閨で言うの。
私が断るとか嫌がるとか、そういう考えは浮かばなかったの?
幼馴染だから? 仲良しだから?
私が王太子に婚約破棄され、社交界の笑いものになっている惨めな女だから?
「ということで」とハルムートが言う。「この寝室は君が使っていいよ。ぼくたちはほかの部屋で寝るから」
ハルムートとメイドは密着したまま、続き部屋につながる扉へ向かう。
その背に向かって、
「お断りするわ!!」
と叫んだ。自分の大声で鼓膜がビリビリとする。
「隠れ蓑なんてごめんよ。ぜんぶ公爵夫妻にぶちまける。で、離婚よ!」
「ええっ。きみとぼくとの仲じゃないか!」
「そうよ、その仲をたった今、あなたがぶち壊したのよ!!」
なんでそれがわからないのよっ。
背を翻して、廊下に駆け出る。
ずっと好きだったハルムート。彼はひとと争うことが嫌いで穏やかで優しい。でも違った。他人のことに無関心なだけだったんだ。だから相手に腹を立てることもないし、気持ちを思いやることもしない。
私こそ、なんでそんなことに気づかなかったのだろう。
全力で階下に向かって走っていると、唐突に腕を掴まれた。
「離してっ」
力いっぱい腕を振る。いや、振ろうとしたけどダメだった。ハルムートには、私の動きを押さえつける力なんてないはずなのに。
「落ち着いて。俺ですよ」
掛けられた声はハルムートでななかった。
「アロイス……」
私の腕を掴んでいたのは、ハルムートの乳兄弟で従者のアロイスだった。
「すみません、気になってハルムート様の寝室の前で待機していました」
「知っていたの? メイドとのこと」
「ええ。別れたと聞いていましたけど、おかしいと思っていたんです」
「彼女だけが最愛なんですって。私は好きに愛人を持っていいよと言われたの。バカにしているわ。離婚よ、今すぐ」
「そのように。すぐに旦那様に伝えます。でもまずは――」
アロイスは私の手を離すとポケットからハンカチを取り出した。
「お使いください。お顔にホコリがついているようです」
「……ありがとう」
『ホコリ』、ね。さすがアロイスよくわかっている。
借りて、頬についているそれを拭く。
そこへトタトタとハルムートがやってきた。
「やっと追いついた。マルティナってば早すぎるよ」
「ハルムートが遅いのよ」
「そんなに怒らないでくれよ。結婚前に説明できなかったのは、悪かったよ。でも君ならぼくの気持ちをわかってくれるだろう?」
「そうね。あなたなら、私の気持ちをわかってくれるわよね」
ハルムートが初めて怯んだ。
「私の今の気持ちはね、『二度もクズ男につかまるなんて、最悪! お前らまとめて地獄に落ちてしまえ!』という気分よ!」
「ひどいよ、マルティナ。王太子に捨てられた君を拾ってくれる貴族の嫡男なんて、ぼくのほかはいないよ? 感謝してくれていいはずなのに」
「それが本音なのね。友人だと思っていたのに」
アロイスがつい、と出て私とハルムートの間に入った。
「ハルムート様。そこまでにしてください」
「うるさい。ぼくたちは大事な話をしているんだ」
「それでしたら旦那様の前でどうぞ」
「そうしたいわ」
「ダメだ。それは困る」
「あなたはこれからもっと、困るのよ」
ハルムートのご両親であるオイラー公爵夫妻は、常識的な方たちだもの。今にして思えばこの結婚にやけに乗り気だったけど、あれはバカ息子の気が変わらないうちにと考えていたからだろう。彼らが、私の両親との仲をこじらせるはずがない。このことを知ったら。烈火のごとく怒るはずだ。
「一体なんの騒ぎだね」
考えていたそばから、オイラー公爵夫妻がやってきた。
「なんでもありません、ほら、行こうマルティナ」
青ざめいびつな笑顔を浮かべたハルムートが私の手を取る。その口が、『助けてくれ』の形に動いた。
……このひとは私が自分を好きだとは、一生気が付かないのだろう。
目の前で泣いているのに。
私はハルムートの手を振り払った。
◇◇
すべてが終わったときには深夜になっていた。こんな屋敷に泊まるのは辛かろうというオイラー公爵夫妻の計らいで、私は実家に帰ることになった。ふたりの目は泣きすぎたために腫れていて、ハルムートの顔は父親に殴られたために倍のサイズになっている。顔なんてみたくもないからちょうどいいわね。
「本当に、本当にすまない」と、私が馬車に乗り込む間際になってもうなだれている公爵。
「私たちがもっとハルムートをしっかり見張っておけば」と。まだ泣いている夫人。
「責任もって、新しい結婚相手を探すからな」
「必要ないです」なるたけ笑顔を浮かべて答えた。「やっぱり私は仕事一筋が向いているんですよ。結婚したらどうしても、休職が必要になるでしょうから。それでは」
そう言いながら、ちらりと奥に視線を走らせる。離れたところでアロイスが深く頭を下げている。彼との付き合いも長い。ハルムートと知り合った時からそのそばにいたから、彼も幼馴染のようなものだ。今回、ハルムートの稚拙で卑怯なたくらみを事前に阻止できなかったことを相当に悔いているみたいだ。
でも、それだけが救いかも。彼もハルムートの仲間だったら。私は誰を信じていいのかわからなくなっただろう。
公爵夫妻に視線を戻し、
「どうぞ、おじさまとおばさまは今までどおりに仲良くしてくださいね。一日しかおふたりの娘でいられなくて残念です」と伝えた。
それからアロイスには、
「あなたとも、よ。これからも今までどおり、よろしくね」と声をかけた。
ハルムートは、知らない。足元で土下座をしているけど、視界にいれたくもない。
大切なひとたちに挨拶を済ませて、馬車に乗り込む。
こうして私の結婚は、わずか半日で終わったのだった。
◇◇
翌日の午後、出勤した。本来なら一週間の休暇だったのだけど、必要がなくなったからその旨を上司に相談したら、人手が足りないから来いと命ぜられたのだ。
でも、そんなことは絶対にないはずだ。これは上司なりの気遣いだと思う。こういうのは間を開けないで、日常生活をつづけたほうが得策だから。それに私も仕事をしていたほうが、気がまぎれる。
とはいえ。たった半日で離婚したことは、すでに社交界中に伝わっているみたいだ。王宮内のどこを歩いていても好奇の視線を向けられ、ひそひそ声で話題にされ、あからさまな嘲笑を受ける。
「そりゃな。女のくせに近衛兵なんて男の仕事をやっているからだよ」
「女の体型じゃないもんな。僕より筋肉がある」
わざと私に聞こえるように言っている悪口。相手にするのはバカらしい。
女が近衛兵になったらダメという法律は我が国にないし、私は試験を受かって採用され、陛下によって任じられている。つまり私が近衛兵であることをからかうことは、陛下の判断を揶揄することだ。どうして彼らはそれに気づかないのだろう。まあ、私には関係ない。仕事の邪魔さえしてこなければね。
「あれ、マルティナじゃないか。制服なんか着てなにをしているんだ?」
能天気な声がした。王太子イザークだ。彼は妃の腰を抱きながら」、廊下をやってくる。結婚一か月の新婚だものね。妃のお腹は今にもうまれそうに大きいけれど。
「見てのとおり、巡回中です、殿下」
「昨日の今日で? ハルムート、初日から浮気したんだろ?」
「ちょっと違うけれど、だいたい合っています」
「それで泣きあかすでもなく、仕事か。君は強いよ。そういうところが男心をなえさせるって教えたはずだけど」
妃がバカにしたように、くすりと笑う。
「どうして男心をなえさせないために、私が配慮をする必要があるのでしょう」
「ん?」
「男たちこそ、自分の婚約者に配慮する度量をもつべきではないのですか」
イザークの顔が歪む。
「王太子に向かってそんなことを言っていいと思っているのか?」
「どうでしょう」
近衛兵としては、失格だろう。だけど、私個人は国王から、イザークに関してだけはどんな暴言を吐いても構わないと許されている。知らぬは本人だけだ。
「本当に可愛くない」
イザークがなじると、廊下のそこかしこから、私たちの様子を見ていた貴族たちの笑い声が上がった。
こんなことじゃ、私は傷つかない。慣れているもの。
ぎゅっと下腹に力を込めて、姿勢を正す。そのとき――
「ひどい話です。マルティナ様が強いから、ないがしろにしていいと思っているのですからね」
よくとおる声だった。振り返ると、アロイスが早足にこちらへやって来る。
「お前、ハルムートの従者だな。よくも王太子にそんな口をきけたな。手打ちにしてやる」
私を守るかのような位置に立ったアロイス。
「恐れ入りますが殿下、元従者にございます。我が主は先ほどオイラー公爵家から除籍されましたゆえ」
「ええっ。公爵家はどうするの?」
思わずアロイスに詰め寄る。公爵の子供は彼しかいない。
「問題ありません。のちほど説明いたします」
アロイスは私にだけ笑顔を向け、それからすぐに王太子に向き直った。
「オイラー公爵、エルマン公爵、お二方からマルティナ様をお守りするよう頼まれております」
「だが俺は王太子だ!」
「殿下も含んでのことでございますし、陛下のご許可も先ほどいただきました」
「どういうこと!?」
「のちほど説明いたします」アロイスがまたにっこりする。
「ところでイザーク殿下。さきほど宝石商を名乗る男性が、王太子妃殿下に納品した装身具の代金の支払いをしてほしいとエントランスで騒いでおりました。執事長がおふたりをお探しなのではないでしょうか」
「は? この前最後のぶんを払ったぞ」
イザークは顔をしかめた。だけど彼の妃が強張った顔をそむけている。
「とにかくも」とアロイス。「マルティナ様には今後近づかないでください。どうしてもお話したいというのなら、礼儀と思いやりを学びなおしてからどうぞ。」
「ア、アロイス。そんなに強気で本当に大丈夫なの?」
まるで人が変わったように強気すぎる。
「大丈夫ですよ。——もっと雰囲気のあるところで、と考えていたのですが」とアロイスがはにかむ。
見たことのない表情にドキリとした。
というか雰囲気ってなに?
「実は俺の父親はオイラー公爵です」
「ええっ」
どういうこと!? アロイスは黒髪黒瞳の美青年で、公爵にもハルムートにも似ていない。ふたりとも平凡顔だもの。
「公爵が奥様の妊娠中に浮気して俺ができたらしくて。本当は乳兄弟なんかじゃありません。俺が生まれたのはハルムートより半年あとですから」
「ええと、つまりハルムートの異母弟ということ?」
「です」にっこりアロイス。「母が俺を生んだときに死んだんで、公爵が引き取ってくれたんです」
「従者として?」
「それは奥様の実家のことを考えたら、仕方ありません」
そっか。公爵夫人は隣国の王族だ。
「その代わりにハルムートの従者にするからという理由で、同じ教育を受けさせてもらいました。ご存じでしょう?」
「そうね」
私がハルムートに会うとき、アロイスは必ず同席していた。無口でこちらから話しかけないと喋ってくれなかったけれど、イザークより頭の回転が速くて賢いのは明らかだったっけ。それが冷たく見えて、私は彼がちょっと苦手だった。
「だから」とアロイス。「昨晩公爵に頼んだんです。『一生に一度の願いです、マルティナに求婚するにふさわしい身分がほしい』と」
「……え?」
私に求婚!?
「俺としては近衛兵とか文官の就職とか、その程度のつもりだったんです。あとは実力でのしあがればいいのですからね。でもあまりにハルムートが情けなかったからでしょうね、俺を認知してオイラー公爵家の籍にいれてくれました」
「ということは、アロイス・オイラーになったということ?」
「ええ。俺が次期オイラー公爵です」
アロイスは嬉しそうな顔をしている。
「これで堂々とあなたに結婚を申し込める。陛下、エルマン公爵の許可もいただいて――」
「うっ!!!」
突然王太子妃がうめいてうずくまった。
「どうしたの!? 大丈夫!?」
わらわらと人が集まって来る。
「これ、産気づいたんじゃない」
「医師を呼んで!」
はりきりだしたご夫人や野次馬が押してきて、私とアロイスは後方に追いやられてしまった。
そこに怒り顔の執事長がやってきた。
「イザーク殿下! あなたのバカ妃はどれだけ宝飾品を買っているのです! 王室予算を使い切るおつもりですか!!」
アロイスと顔を見合わせる。
「行こうか。私、巡回中だし」
「ええ。俺もプロポーズはもっと静かな場所でしたいです」
「プ……。あなたが私にするの?」
アロイスが微笑む。
「マルティナ様がしてくださっても構いません。だけどそれだと、嬉しすぎて心臓がとまるな」
ちょっと待って。そんなに嬉しそうな顔をしないでよ。私あなたのことを、そういう対象で見たことはないのよ。
急激にふくらむ罪悪感。
だけどまずは仕事に戻らなくては。
◇◇
巡回から詰め所に戻ると、上司に『帰っていいよ』と言われた。どうやらアロイスがここにも手をまわしていたらしい。
外堀を埋められ、手まで握られてしまった。そしてこんな状況で私は――
ものすごく、ドキドキしているのよ!!
きのうまでハルムートを好きだったはずなのに!
アロイスを意識したことなんてなかったのに!
『もう男なんてこりごり、仕事に生きる!』と両親と上司に宣言したというのに!
私、ちょろすぎない?
だけどアロイスが幸せそうな顔をして、
『ずっとあなたの手を握りたかったんです』
とか言うのだもの。
そんなこと、ハルムートにもイザークにも言われたことがないのだから、ドキドキしてしまっても、仕方ないわよね。
手をつないで王宮内を歩くと、たくさんの注目を浴びてしまう。なにしろ王太子に挙式前日に婚約破棄を言い渡され、公爵令息に結婚初夜に愛人を紹介された女だもの。まあ、後者の詳細はまだ知れ渡ってはいないと思うけど。
私ですらいたたまれなくなりそうな視線のなかを、アロイスは堂々と胸を張って歩く。
そういえば昔から、こういうひとだったかもしれない。周りのことなんて気にせず、確固たる自分を持っている。
だから私の戸惑いとかそういうのも考えていないのだろう。
彼は確かな足取りで進んで行く。
「どこに行くの?」
「帰ります」
帰る? 雰囲気のいいところで求婚するのではなかったの?
「本当は庭園にでも出て、と考えていたのですけど」アロイスが私を見る。苦しそうな表情だった。「――あなたが強いふりをして気丈にふるまっている姿を見るのは、つらいです」
思わず足が止まった。
「そんなふりはしていないわ」
「俺、自分の勇気のなさを悔やんでいます」
合わない言葉が返ってきた。
「あなたとイザーク殿下との婚約が解消になったときに、公爵にお願いをしてマルティナ様にプロポーズをするべきだった。たとえあなたが誰を思っていようとも。そうすれば、あなたがこれほどまでに傷つくことはなかった」
アロイスは私がハルムートを好きだということに気づいていたの?
「だからマルティナ様を守ります。あなたを傷つけ笑うものは、俺がひとりひとりに社会的死を与えます。安心してください」
「しゃっ!?」
「ふふっ」と笑うアロイス。「冗談です。少しは元気がでましたか? さ、帰りましょう」
ふたたび手をひかれて歩き出す。
今の、本当に冗談かしら。目が笑っていなかったのだけど。
うぅぅぅん。
……まあ、いいか。もうあれこれ考えたくない。
「私、憧れがあるの」
「なんでしょう」
「『好き』と言ってもらうこと」
ふたたび足が止まった。アロイスが目を見張っている。きっとずいぶんちっぽけな憧れだと驚いているのだろうな。
繋いでいた手が離れた。
と思った次の瞬間、アロイスに抱きしめられた。
「マルティナ、大好きだ! 結婚してくれ!」
抱きしめられるのなんて、初めて!
胸がトクトクする。
私が平気なふりをしていることに気づき、ほしいものをくれるアロイス。
「私があなたを好きになるのを待てる?」
「もちろん」
「それなら、結婚するわ」
きのうの決意は忘れよう。
たぶん、これを逃したら、私を『好き』と言ってくれるひととは二度と出会えない。
だって近衛兵を務めている、可愛くない女だもの。
そうね、憧れはもうひとつあったわ。幸せに暮らすこと。
◇◇
それからわずか三日後。イザークが妃を殺して廃嫡された。月足らずで生まれた赤子の髪と瞳が、両親どちらとも違ったらしい。彼が問い詰めた結果、父親は他の男と妃が告白したのだとか。
ハルムートは無一文で放逐されて、行方はわからない。愛人のメイドはクビになり、実家にも帰宅を拒まれ、行く場所がなかったようだ。娼館に転がりこんだらしい。
オイラー公爵は、ハルムートがあんな風になったのは、自分のアロイスへの扱いが悪かったせいだと後悔している。私にも改めて謝ってくれた。今は夫婦そろって優秀な息子を大事にしているみたいだ。
私は、アロイスと早々に籍をいれて、オイラー邸で新暮らしている。仕事も順調。
ただちょっと、アロイスの愛が重すぎるような気がするけれど。とても幸せ。