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結果に拘らなければ結果は出るって、どういうことやねん

 結果に拘らなければ結果はついてくる、とどこかで聞いたことがあるが、この言葉にはどのような論理があるのだろうかと、ふと思った。


 この言葉はよく、スポーツで用いられる。対戦相手に勝ちたい、即ち結果が欲しい、まさにその時、逆に結果に拘らなければ勝つことができると、そういう形で用いられてきた。


 自分は、正直言って意味が分からなかった。結果が欲しいのに、逆に結果はどうでもいいと思えばうまくいくなど、道理に合わないではないか。


 この問題に対し、よく言われるのが『結果に拘らなければプレッシャーがなくなるから気楽に出来る。だから上手くいく』というものだ。納得してしまいそうになるが、なんだか煙に巻かれた気がしないでもない。


 ただ単にプレッシャーがなくなれば上手くいくのだろうか。勿論、プレッシャーが本来の実力を出す妨げになる要素なのは間違いないところではあるが、それだけで論理は完成するのだろうか。なんだか、何かが足りない気がしてならない。


 スポーツをしなくなって十年は経つ。だから今更こんなことに決着をつけたところでいかほどの意味があるとも思えないが、それはそれとして自らで納得できる結論を出さなければ、冒頭の言葉が出るたびに『雰囲気でやり過ごしてきたあのフレーズ、入りました』と思い続けてしまう人生を送ることになってしまう。


 だから僕は答えを出さなければならない。

 結果に拘らなければ結果はついてくる。

 この言葉に対し、僕は理屈をこねくり回さなければならない。


 答えを見つけた時、僕は雰囲気でゴリ押してきたフレーズに待ったをかけることが出来るのだから。

 さあ、結果に拘っていこう。



 最初に、結果に拘らなければ結果はついてくる、という言葉をある程度細かく見ていくことにする。ゴールを曖昧にしたまま走り出してはいけない。それぞれの役割を明確にしなければ時間を徒に浪費してしまうとポケモンをやって思い知った。マスカーニャかわいい。


 今回決めておかなければならない言葉は二つ。

『結果』と『拘る』だ。


 まず結果とは、『自分が求めるもの』と言い換えられるだろう。例として挙げたスポーツでは大抵の場合、結果とは『勝敗』である。相手に勝ちたいと思う、結果が欲しいと思う、その末に勝てば結果が出たと表現されるからだ。


 次に拘るとは、『物事の成否基準をある特定のものとする』と言えるだろう。結果に拘らないと言えば負けても大丈夫な雰囲気になるし、結果に拘ると言えば勝たなければ良しとされない。つまり、拘った対象を物事がうまくいったかどうかの判断基準とするわけだ。


 これらの言葉を総合して考えると、『結果に拘る』とは『勝敗を基準として成功か失敗かを決める』という意味になる。これ大事なんで覚えておいてください。テストには出ません。


 ここでプレッシャーという言葉を取り上げてみよう。結果に拘らなければプレッシャーを感じることなく気楽にやれて結果が出るという意見があるが、それには正直首を捻らざるを得ない。これは論理展開がおかしいという意味ではなく、言葉足らずという意味だ。どこかに一つ、論理を入れ忘れているような気がする。


 一度、プレッシャーを感じる場面を想像してみよう。例えば、スポーツの試合において確実に勝てる相手にプレッシャーを感じることはあるだろうか。逆にどうあがいても勝てない相手にはどうだろうか。きっと、どちらの場合でもプレッシャーを感じることはないだろう。おそらくプレッシャーを感じるのは実力が拮抗し、勝てるかどうかわからない時だ。


 つまり、『結果(勝敗)がどうなるかわからない時に、人はプレッシャーを感じる』のだ。


 今回の件について、これこそが答えを見つける鍵となる。

 これまでに得られた考えをまとめると次のようになる。


①結果に拘るとは、勝敗を基準として成功か失敗かを決めること。

②結果(勝敗)がどうなるかわからない時、プレッシャーを感じる。


 ここに『プレッシャーを感じなければ気楽にやれて結果が出る』というのを裏返した『プレッシャーを感じると失敗する』を③として付け加えてみると、結果が出る場合と出ない場合のパターンをシミュレーションできる。


 結果が出ないパターンは、


 結果に拘る(勝敗を基準として成功か失敗を決める)

 →実力が拮抗している場合、結果(勝敗)がどうなるかわからない

 →プレッシャーを感じる

 →本来の実力が出せない

 →失敗する


 というものだ。

 それに対し結果が出るパターンは、


 結果に拘らない(勝敗を基準として成功か失敗を決めない)

 →実力が拮抗している場合、勝敗がどうなるかわからないが判断基準はそこ(勝敗)ではない

 →(勝敗に対しての)プレッシャーは感じなくなる

 →本来の実力が出せる

 →成功する


 となる。


 これこそが『結果に拘らなければ結果が出る』という意味なのではないだろうか。結果に拘らなければ何に拘るのか、と思われそうだが、例えば『全力を出すこと』に拘ればいい。そうすれば勝敗という不確実な要素を、自分一人で確実に達成できる要素に置換することができる。


 以上が僕なりの結論である。

 これにて僕は、明日から『雰囲気でやり過ごしてきたあのフレーズ、もう雰囲気でやり過ごさなくてもいいもんね』と胸を撫で下ろして生きていけるのである。わはは。


 まあ長々と書いたが、一文でまとめると『結果に拘らなければプレッシャーがなくなるから気楽に出来る。だから上手くいく』わけだ。

 なんかこれどっかで見たな。

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― 新着の感想 ―
[良い点] エッセイ拝読しました。 私も「結果にこだわらなければ~」という文言に疑問を抱くこともあったので、 「結果」を「勝敗」に変えるとしっくりくるな、と感じました。 目から鱗が落ちる思いです。
[一言] 長い目で見ると少し話が変わって来るかも知れません。 私は「結果に拘り過ぎるのは良くない」的な話をきいたことがあります。 これは結果に拘り過ぎたあまり過程を蔑ろにしてしまうことで起きるのかな…
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