閑話 手遅れでした
「何か言いたい事は?」
私に冷たい瞳で言い放つ一人の女性。
穢らわしい物を見るかの様な視線に私は下を向いた。
「...ありません」
私達家族は項垂れながら返事をする。
...気持ちが悪い、吐きそうだ。
「そうですか、こちらとしてもこれ以上大事にする気はありませんので」
女性の隣に座っている人が言った。
弁護士だったかな?
頭が働かない、どうしてこんな事になったんだろ?
「慰謝料は請求されないと言う事ですか?」
お父さんが呻く。
『慰謝料?』
そっか...私達は今弁護士事務所に居るんだっけ。
この人の旦那さんと不倫してたのがバレて、呼び出されたんだ。
「して欲しいのであれは請求致しますよ?
そちらもこの人に請求して頂いて結構です。
ただし裁判になりますからね。
こちらも、お嬢さん達に浮気された訳ですし」
女性が吐き捨てた。
『裁判?』
私達そんなに悪い事したのかな?
ただ三人で楽しくドライブしたり、食事したり...何回かホテルに行っただけだよ...
「そんな!元を質せばこの男が」
そうよ、お父さんの言う通りだ。
私達は誘われたんだ。
レストランの店長だった彼に、
『よかったらバイトの後、食事に行かないか』って。
「誰が最初に誘ったかは問題じゃありません。
あなたの娘さん達が、私の亭主と浮気をした。
それが事実であり結論なのですから」
何が結論だ!
こんな結末になるんだったら誘いなんか乗らなかった。
私達はこの男の口車に乗せられたんだ!
勧められるままにお酒を飲んで、気づいたらベッドに寝てて...騙されたんだから!!
「...はい」
当たり前だけど、言い返す事が出来ない。
目の前に居る店長...いやコイツは怯えながら身体を震わせている。
記憶にある自信に満ちた姿は面影も無い。
顔を腫らし、髪も乱れて所々引きちぎられていた。
惨めな中年男。
これが正体だったんだ。
「こちらが大事にしないのはあくまで子供の為です。
確かに未成年に酒を勧めたのは法律違反でした。
その事については刑事告訴して貰っても構いません。
本当ならすぐ離婚したいわよ...」
女性は声を詰まらせた。
離婚って、そこまでの事を...私達は全てを壊したの?
「...すまない裕子さん」
「...ごめんなさい」
「お義父さん達が謝る事はありません。
私には他人の貴方達ですが、子供達にとっては大切な家族なんですから」
年輩の男女が女性に頭を下げている。
たしか店長の両親だ。
「お前も何か言わんか!」
「...すまない裕子」
「気安く呼ばないで!
バイトの子達に手を出すなんて...しかも三人同時なんて気持ち悪い」
「馬鹿者が!!」
「お止め下さい」
男性が店長の髪を掴むみテーブルに叩きつけようとするのを弁護士が止める。
なんて彼の姿は...
「...みすぼらしいでしょ?」
「「え?」」
「この人をよく見て下さい。
今は脱色してるから分かるでしょ?
こんな白髪頭なんですよ。
身形だっていつも私が整えてたんです。
...人前に出ても恥ずかしく無いように。
ほら...貴女達が抱かれた男はこんな中年男性なんですよ?
腹が出た...若い貴女達が抱かれたのは...」
「「ウゲェ」」
女性の言葉に激しく込み上げる嘔吐感。
私と妹は口を抑えトイレに走った。
「それでは」
気づけば私と妹はソファに寝かされていた。
上着も脱がされている。
毛布が被され、上着は袋に入った状態で床に置かれていた。
「ほら行くぞ」
「...はい」
「...うん」
お父さんに言われるまま弁護士事務所を後にする。
無言で車を運転するお父さん。
時折お母さんの啜り泣く声が聞こえる。
私と妹はただ前を見詰めていた。
「私達なにやってたんだろ?」
家に戻り私は妹と自室に籠る。
妹の言葉を返す気にもならない。
「あんな男に...姉さんと競いあってさ...」
忌まわしい記憶が甦る。
甘い言葉に乗せられ、私達は...
「みんな失くしちゃった...心も...身体も...」
「止めて!」
耳を塞ぎ床に踞った。
もう止めてよ...
「凌空...」
妹の彩也香がポツリと呟いた。
凌空...私の恋人...そうだ、凌空はどうしたんだ?
ここ半年、全く構って無かった。
連絡も来なくなって...
「...凌空どうしたんだろ?」
何で忘れてたんだ?
可愛いい私の恋人...そうだよ、私達は凌空にプレゼントを買うためにバイトを始めたのに。
「彩也香知らない?」
「...うん」
彩也香も知らないのか。
私達双子はずっと凌空が好きだったのに...
私達は深夜家を抜け出し凌空の家に向かった。
程近い場所にある凌空の家は電気が点いていた。
迷惑なんか考えてられない。
ちゃんと凌空に謝らないと。
『半年間放ったらかしにしてごめんなさい』って...
『はい』
「あ、華ちゃん?私由美香だけど」
インターホンから聞こえたのは凌空の妹、華ちゃん。
仲良しだったから安心だ。
『...帰って下さい』
「え?」
予想外な言葉に呆然とする。
なんて冷たいの?
「凌空は!?」
隣にいた彩也香が叫んだ。
『兄さんは居ません!もう貴女達と二度と会えると思わないで!』
「「え?」」
会えない?それって?
『兄さんを裏切って薄汚い奴に身体を捧げた馬鹿!
兄さんがどれだけ傷ついたか分からないの!』
「「嘘!?」」
知ってたの?
そんな馬鹿な!!
『早く消えろ!
兄さんはもうここに居ないんだ!
お前らのせいだ!!』
華ちゃんは叫びインターホンが切れた。
「あんた達」
「...おじさん」
玄関の扉が開き、中から凌空の両親が姿を現した。
冷たい視線はさっきの女性と同じで...
「もう来るな...二度と顔も見たくない...」
そう吐き捨てると玄関の扉は再び閉まった。
「嫌だ!姉さんは凌空の彼女だったけど私は違うもん!
また凌空と絶対に、今度は間違えたりしないから!」
呆然とする私の隣で妹は叫び続けた。