9. 桔梗の肉豆腐
「いらっしゃーい…あら?美久子さん?」
「こんばんはオーナー、今日は少しお話したくて…あと、ご飯食べにきました。カウンター席良いですか?」
「あら、ありがとう。どうぞおかけになって。お酒…じゃない方が良いわよね?」
「そうですね、運転して帰るので…温かいウーロン茶ありますか?」
「はい、お待ちくださいね」
同じ店舗なはずなのに、昼間の春眠亭とは全く雰囲気が違う居酒屋“桔梗”。
何ていうか、渋い。日本酒と酒盗でちびりちびり飲む人が集まりそうだ。
昼間の営業が無事終わり、急いで後片付け等をした私は一度帰宅して着替えてから出直してきた。
オーナーの居酒屋オープンが18時。開店時間と同時に張り切って来てしまったわけです。
「はい、ウーロン茶ね」
「ありがとうございます。あと、夕飯食べたいのですがオススメは何でしょうか?」
「うーん、肉豆腐なんてお好き?」
「好きです!それでお願いします!あとごはんも下さい」
「はい、かしこまりました」
食いしん坊が隠し切れなかった私。
オーナーはフフフと笑いながら、良い匂いをさせているお鍋から肉豆腐をよそってくれた。
ちなみにご飯は炊飯ジャーでした。
「いただきます」
あぁ、肉豆腐。美味しいよ肉豆腐。
田中家よりも甘さ控えめ味濃いめ。
こうやって作る人で味が変わるのがたまらなく良い。
もっくもっくと肉豆腐、白米を頬張る私を、ニコニコと眺めているオーナー。
はっ!
そうだった。ご飯食べる為だけにここに来たんじゃなかった。
「ゔんっ…あのですね、オーナーに聞きたい事があって」
口の中のものを飲み込みウーロン茶を飲んでから本題を切り出した。
「なぁに?」
「そこの“ご予約席”って、空けておく理由は験担ぎだけですか?」
「そうよ?」
間髪入れずに返事をもらい、さらにオーナーの表情。
キョトンとした、『この子何言ってるのかしら』と言わんばかりの表情。
「えー…と。何か…こう…曰く付きだったりしないですか?」
「曰く付き?うーん?…でも強いて言うなら…」
「何かありますか?!」
つい声が大きくなってしまった。
すごいドキドキしてるし…今、血圧上がってそう。
「そこの席を空けておくのは、験担ぎなのは間違いないのよ?私も母からこの店を引き継いだの。験担ぎも母から言われて続けてるだけだし…」
「…はい」
「ただ、あなたに伝えていない方の験担ぎがもう一つあって」
「もう一つとは…?」
「これはね、変なお婆ちゃんて思われたくなかったから言わなかったんだけど…」
「思いませんよ、そんな事」
「そう?…あのね、あの席に向かって話しかける事よ」
「え?」
「ふふ、変でしょう?母もね、私が小さい頃から、その席にまるで人が居るみたいに話かけてたのよ。…どうして誰も居ないのに話しかけるの?って聞いたら、験担ぎよって言ってたわ。だから私もこの店を引き継いだ時に、ずっと母が続けていた験担ぎを続けているの」
不思議よねー、と笑うオーナーの話を聞いて、妙に確信めいた仮説が浮かんだ。
多分、オーナーのお母様は見えていたんじゃないだろうか。
あの席に座る、おそらく人ではない存在が。
そしてオーナー自身は見えない、見えた事がないのだ。きっと。
オーナーのお母様はそれも分かって、験担ぎだからと言ったのだろう。見えないものの説明はしにくいものだし、他人からしたら意味不明な行動も、験を担いでいると言われれば納得してしまいそうだ。
「美久子さん?大丈夫?」
「あ!大丈夫です!すみません」
食べかけの肉豆腐を凝視して考え込んでいたようだ。
心配そうに厨房から声をかけてくれたオーナーに返事をしつつ、視線を肉豆腐からオーナーのいる厨房へ移す。
「それなら私も準備時間は験担ぎに話しかけてみま……す」
視線を上げたことでふと視界左側にうつりこんだ。
『厨房から見て一番右側の一席』
それは、今、客としてカウンター席に座っている私から見ると左側になる。
“何か”に気を取られ、ついそのまま自分の左側に視線を投げると、そこにはカウンター席に頬杖を付いてこちらを眺めている男性が、いた。
「美久子さん?」
まさに。
仮説が早速実証されている。
オーナーは例の席に誰かが座っているなんて微塵も思っていない、見えていないのだ。
「あ、すいません。この肉豆腐美味しいです!」
「あら、ありがとう〜。うちの肉豆腐は常連さんにも評判良いのよ〜」
普通に会話をしている私を褒めて欲しい。
汗すごいから私。背中一瞬でびっちゃりよ。緊張?混乱?訳が分からない。
でも何故か、普通に振る舞わなくては…!と必死である。
そして言いたい。左側の彼に。
見えちゃってるから…!あなた見られちゃってますよ私に!
ぼーっとした様子で背中を丸めて、顔をこちらに向けて頬杖をついている男性は、おそらく私が初日に見た後ろ姿の人だろう。
猫背具合が同じように思う。
とはいえ以前に後ろ姿を見たのは、一瞬だし一度きり。
あまり自信はない。
オーナーと何気ない会話に話題は移行しているものの、私の意識は左側に向けられたままだ。
いっその事思いっきり見て確かめたい気持ちに駆られる。
会話をしつつ、ご飯も食べつつ、さりげなくチラリチラリと視線を投げるが、まだ見える。
「ご馳走さまでした」
「はい、お粗末様でした。あ!ありがとうね」
「とんでもない、美味しかったです」
席を立ち厨房へお皿を渡す。
そしてもう一度、例の席をチラリ。
あ、目が合った。
逸らさず見つめると、驚いたように目を開き、そのまま消えた。
猫背の彼は、私と同じ位の年齢に見えた。
ネクタイなしのワイシャツとスラックス。普通のサラリーマンのようだった。
あんな、驚いたような表情まで見てしまうと、幽霊なんだろうとは思いつつ確信が持てない。人間味ありすぎでしょう。
カラカラカラ
「肉豆腐と熱燗〜」
「いらっしゃーい、はーいちょっと待ってね」
色々不思議な事ばかりだったが、
来店するなり注文をしたおじさんがカウンター席に座った所で、私はお暇する事にしたのだった。




