6. 満腹お稲荷さん
「ん?」
それは、気まぐれご飯の仕込みを始めた午前8時半頃。
小さな厨房からの視界の端に、一瞬違和感を感じた。
ふと手を止めて、手元中心だった視界を持ち上げる。
「何だろ…?何か…うーん?」
一瞬の違和感の正体が分からず見回した店内は、特に変わりはない。相も変わらず小ぢんまりとした和風居酒屋の店内。
「まぁ、いっか」
分からないものは仕方がない。
時間は有限、一人で仕込まねばならないのだから効率良く!
うぉぉぉ、うなれ私の両手!
仕込みも粗方済んで恒例の黒板ターイム!
結構これを書くのが楽しみだったりする。
『メニューはこれだけ!
本日の店主の気まぐれご飯
満腹お稲荷さん(2個)
具だくさん豚汁
※豚汁はおかわり一回まで無料※
900円
お稲荷さんと侮るなかれ!』
個人的には最後の一言に遊び心を加えたくなってしまう。
本日の満腹お稲荷さんなるものは、私の母がよく作るタイプのお稲荷さんである。
よく市販されている、お値段激安な密度の薄いカスカスした感じの油揚げでは厚みが足りず破けてしまう為作れないのだ。
お豆腐屋さんでお願いしておいた通常より幅と厚みのあるお揚げは甘めに煮ておいて、半分にする。
酢飯は好みが分かれないようにお酢は控えめ。
細かく切った椎茸・人参、鶏のひき肉を煮たものをご飯に混ぜる。
そしてお揚げに詰める!
でも我が家のいなり寿司は“閉じない”タイプなのだ。
お米を潰さないように、かつ、しっかりしっかりご飯を詰める。
大きめのおにぎり位のサイズである。
袋状のまま閉じないお揚げにどっしりとした酢飯のませご飯が見える。そこに鮮やかさを加える為に枝豆をパラパラ。
スーパーやコンビニで並んでいるコンパクトサイズのお稲荷さんを想像して侮っていると痛い目見るんだからね!ふははは。
誰か、見るからに侮ってくれる人居ないかな…。
いなり寿司なんかじゃ足んねぇよ!みたいな。
満腹お稲荷さんの名は伊達じゃないんですって是非言ってみたい。
想像だけでニヤニヤしてしまったが、今は開店前。
誰も見てないんだから好きなだけニヤニヤできるってものだ。
そして、大きいお鍋には具だくさん豚汁。
昆布で出汁をとり、
多めの豚バラ薄切り肉と、大根、人参、玉ねぎ、こんにゃく、牛蒡、しめじ、もやし、そして木綿豆腐。
ごま油少々とさらにすりごまも加えて風味とまろやかさアップ。
具だくさん過ぎてお鍋をかき混ぜるお玉が重く感じるぜーい。
あ、本日の豚汁はお椀では無く丼ぶりでドドンと提供となります。“飲む”より”食べる”汁ってことで、レンゲでワシワシ食べて下さい。
お好みで卓上に置いた一味か七味の唐辛子をどうぞ。
念の為、お客様にはそれぞれ確認してご希望で通常のお椀サイズでも提供します。
付け合わせの小皿には田中家自家製梅干しとかつおぶしを使った、たたききゅうり。
さて、春眠亭の暖簾を掲げて本日も元気に営業致しますかね!
カラカラカラ
「いらっしゃいませー!お好きな席にどうぞー!」
「お姉さーん、今日のメニュー、男には物足りないよ〜!つってもここで食べるけどさぁ」
「たしかになー、やっぱり肉とか食いてぇよな」
「分かるそれ」
席に着きつつ外の黒板メニューに疑念の声。
フラグ回収早すぎるぜ!
侮ってくれてありがとう、そして後悔するが良い!
「今日はお早いですね!大丈夫です。満腹お稲荷さんの名前は伊達じゃないので!多分しっかりお腹にたまると思いますよ〜。
あと、今日の豚汁は丼ぶりなんですが良いですか?ご希望でお椀でお出しできますけど」
「え?今日はそういうシステムなの?」
「丼ぶりでお願いしまーす」
「「俺も」」
「はーい、少々お待ちください」
以前からランチの売り切れで当店とのタイミングが合わなかった3人組は、ミートボールパスタ以降、準常連さんくらいの頻度でいらっしゃるようになった。
ちなみにルパ○飯はやはりご存知で、あの日は「これ食べてみたかったやつ!」と非常にテンション高くお食事をされていた。
ちなみに開店してすぐ来店された3人組が本日一番のお客様である。
「お待たせ致しました」
ドドンと本日の気まぐれご飯をお届け。
とはいえお盆には一人分だけなので3往復する訳だけど。
「え、俺の知ってるいなり寿司じゃない」
「でかい…」
「あっ、重いこれ!箸じゃなくて手でも良い?」
「お好きなようにお召し上がり下さい」
「豚汁の具がすげぇ」
「あっ、豚汁肉多い!」
「きゅうりうめぇ」
厨房に戻ってからも狭い店内と、3人組しかお客様が居ないせいか声がよく聞こえる。
ダイレクトな感想ありがとうございます。
3人組がワイワイ食事をしてる間に正午になり、続々とお客様がくる。
勿論混んできても“ご予約席”は空けてますとも。約束だもんね。
そして、フラグ回収にお付き合いいただいた3人組は本人達の想像以上に満腹になったようで、「豚汁おかわり出来なかった…」と悔しそうに帰って行った。
カラカラカラ
「いらっしゃいませー」
あ、ポテサラ君。お一人か。
慣れたもので、私に目礼するとまっすぐカウンター席に座った。
来るか?いつもの…
「今日は、ポテトサラダは…」
と、ポテサラ君が私に話しかけたけれど、彼が質問を言い切る前にカウンター席のお隣の方の食べてるものを見て、自身でポテトサラダが付け合わせにないと悟ったらしい。
「ランチ下さい」
「はい、少々お待ちください」
こちらとしては苦笑するしかない。
毎日ポテトサラダ提供する訳ないって本人も分かってるんだろうけど、ポテサラ君の執念みたいなものを感じるわ…。
ちなみにポテサラ君、しっかり豚汁を丼ぶりでおかわりして帰りました。
意外と食べるなあの子。




