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41. はるのひ


それは、ぽかぽかとした暖かい春の日。

もうすぐ1年になるんだななんて、窓の外から聞こえる鳥の声をBGMにしながら今日のランチの仕込みをしていた。



「みくこちゃん」



久しぶりの可愛らしい声に、ハッと手元から目線を上げてご予約席を見た。



「妖精君!久しぶり!」



ご予約席には、にこにことした可愛らしい笑顔の妖精君が座っていた。

本当に久しぶりな気がして、嬉しくて顔が緩んでしまう。



「ひさしぶり?そうかなー?」

「そうだよ!暫く見てなかったから心配してたの」

「しんぱい?」



ふくふくとしたほっぺを傾けて、“しんぱい…”とまた繰り返す妖精くん。



「あ、何か食べるかな?今日はね豚の生姜焼きなんだよ!」



なんの偶然か、今日のランチは妖精君と初めて遭遇した時と同じメニュー。

とはいえ、その時は私の賄いだったから雑な作りだったけど、今回はきちんとランチメニュー用に作るものだ。

あの衝撃の出会いからもうすぐ1年、是非食べてもらいたい。



「たべたーい!」

「ちょっとまってねー!今焼くね!」



生姜焼き用の漬けダレに浸しておいたロースの薄切り肉を一枚とって焼き始める。

ランチタイムに合わせて漬けたからすこし漬かりは甘いかもしれないが、ご飯のおかずになるよう濃いめの味付けだから大丈夫だろう。

熱したフライパンに油をひきお肉をのせると、漬けダレがジュワーッと蒸発する音と、香ばしい甘いお醤油の匂い、生姜の匂いがする。


妖精君はカウンター越しにその様子をにこにこと見つめてくるから、たまに目が合ってついふふっと顔がほころんでしまう。




「お待たせしました」

「ありがとう!いただきます」

「はい、召し上がれ」


「おいしい!」

「良かった」



満面の笑顔で、美味しい!いただきました!

もこもこ動くほっぺが可愛いんだよなぁ、子供のこういう所が本当に癒される…。



「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした」



フォークを置いた妖精君は、改めて私を見上げた。



「どうしたの?おかわりいるかな?」

「ううん、ちがうの。みくこちゃんにいおうとおもって」

「何かな?」

「うーんと、ぼくね、わっかにもどることにしたの」

「輪っか?なぁにそれ?」

「わっかはわっかだよ、あったかくてきらきらしてるわっか」

「んんん?えぇっと、じゃあ、もしその輪っかに戻る?とどうなるのかな?」

「わかんない。でもここにこれなくなるんだって」

「……え?ここに、来れなく、なるの?」

「うん。でも、もうきめたんだ」

「決めたの、そう…か」



“輪っか”はよく分からない。

でも、妖精君がもうここには来なくなる事だけは分かった。

すごく寂しい、悲しい。

でも私とは対象的に、妖精君は笑顔だった。

だからきっと私は、寂しいよとか言っちゃいけないんだと、なぜか分からないけどそう思った。妙に確信めいて思った。



「……、じゃあ、輪っかに戻っても元気でね」

「うん!みくこちゃん、ごはんおいしかった!おりょうりじょうずだね!またたべたいな!」

「うん、また作るよ」



泣くな、大人だろう私。

もう来れなくなるのに、ご飯作ってあげられないよ、とかちょっと思ってしまった。

でも、また食べたいって言ってくれるなら、私は美味しいご飯を出すことが仕事ですもの。

いつだってまた作るよ。



私の「また作るよ」の言葉に、一際大きな笑顔で、



「ありがとう!またね!」



そう言って妖精君はすぅっと消えて行ってしまった。

またすぐ明日にでも来るかのような去り方だった。






********







ご予約席には、盛り付けたまま手がつけられていない生姜焼き。


いつも通り、私はそれを食べた。

ご予約席の隣の席で。



ボロボロと涙が溢れて、情けないけど味なんか分からなかった。

私はちゃんと笑顔で送れたのだろうか。

妖精君が行く“輪っか”とやらは、大丈夫な所なんだろうか。

喉が詰まるような感覚が涙とともに込み上げて、生姜焼きをなかなか飲み込めなくて、ただもぐもぐと口の中で咀嚼を繰り返す。

止まらない涙は顎まで伝って、胸元にシミを作った。





「………なにしてんの」



呆れたような声が真横から聞こえたのは、どれくらい経った頃だろうか。そんなに時間は経ってないかもしれない。

ハッと我に返ったと同時に、ゴクンと生姜焼きを飲み込めた。



「準備しなくていいの」



いつの間にかご予約席に座っていた浅漬けさんは、いつも通り頬杖をついて、少し伏し目がちにそう呟いた。



「準備、します!」

「そうだね、した方がいいよ」



ガタリと立ち上がり、時計を確認する。

いつも余裕を持って仕込みをするから、然程問題は無かった。



「ひどい顔してるけど」

「え?そうですか?」

「うん、なんかあった」



抑揚が少ない発音の問いかけは、私の心を少し楽にした。

私はキャベツの千切りをしながら、少しだけ浅漬けさんに話してみることにした。



「妖精君が、もうここには来れなくなるってさっき言いに来てくれて、もうあえなくなるのか…って思って」

「妖精君…て…あぁ、前に言ってた」

「そうです。可愛い小さな男の子」

「そう…」

「なんか、キラキラした暖かい輪っかに戻る?って言って」

「……そう」

「あの、その輪っかって知ってますか?」

「知ってるよ」



浅漬けさんも知ってるんだ…。

じゃあ、浅漬けさんもそのうち会えなくなるのかな。



「浅漬けさんも、そこに戻るんです…か?」

「俺は戻れない」

「え?」



戸惑って間が空いたつぎの瞬間、

珍しく少し強めの声と視線を向けられる。



「さっきの件、その妖精くんを引き止めてはいないね?」

「え?あ、はい。寂しいなって思っちゃったんですが、妖精君が笑顔だったから、そういう事いっちゃ駄目な気がして」

「……そう、それでいいよ」



私が答えると、浅漬けさんは心なしかホッとしたような様子でまた視線をカウンターテーブルに戻した。



「あの…」

「今日はもういく」

「え!?でもまだ来たばかり…」

「俺に構ってる場合じゃないでしょ、準備しなよ」

「あ、ハイ…」



私の返事を確認したのかしてないのか分からないタイミングで、スッと浅漬けさんは消えてしまった。


外は鳥の声と車の走行音。

いつもと変わらない日常なのに、いつもと違うザワザワとした気持ち。


それでも、ランチに来てくれるお客様の為に、「またたべたいな」って言ってくれた妖精君の為に、私は美味しいご飯を作ります。



私の顔をひどいと評した浅漬けさんの言うとおり、目の周りが赤くなって少し腫れているのをお客様に指摘されて心配されてしまい、アワアワとしてしまったのはまた別の話。



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