31-2. ハンバァグ
カチャカチャと食器の音と、蛇口から流れる水の音。
暖簾を下げて閉店した春眠亭には、私と浅漬けさん。
先程の芹沢に対する自分の態度が気まずくて、始終見ていた浅漬けさんに何て話をふればいいのか分からない…。
ちらりと浅漬けさんを盗み見ると、パチリと視線が合ってしまった。つい、ピクッと肩を揺らしてしまう。
あぁ、私の小心者!
見かねたかのように、浅漬けさんため息を一つ。
「今日は随分と刺々しかったね」
「……面目ないです。お恥ずかしいところを見せました…」
「いや、面白かった」
「…最後の方大爆笑でしたもんね」
食器を、洗いつつも火にかけていたフライパンから、小皿に小さいハンバーグを移す。
本日のランチの余った肉ダネを焼いたものだ。
「余ったやつで申し訳ないですが、今日のメインです」
「ありがとう、いただきます。
……美味しい」
「ありがとうございます」
布巾を手にしつつ、食べている浅漬けさんを横目に通り過ぎて四人掛テーブルからしっかりと拭いていく。
先ずは水拭き。
木目からキュと音がすることは無いが、音がしそうなくらいにしっかりと拭く。
それでも、帰り際の芹沢の表現が頭の隅にチラつく。
「……あの人は、何がしたかったんですかね」
特に浅漬けさんの方を見ずに、テーブルを拭く手も止めず呟いた。
「さぁ、本人にしか分からないな」
「そうですよね」
「…私、言い過ぎちゃった、かな」
「面白かった」
「いや、そういうことじゃなくて!」
「でも、言いたかったんだろう、ずっと」
ハンバーグを食べ終えたのか箸を置いて、頬杖をついて私を見つめてくる。
「言いたかったから、言ったんだろう?」
「それは…」
確かに、そうなんだけど。
言いたかった、ずっと。言ってやりたかった。
「言葉は、伝えたいから発するものだ」
「…はい」
「少なくとも、傷付けたくて言ったようには見えなかったけど。ただ、事実を包み隠さず主観で伝えたように見えたけどね」
口は悪かったけど。
一番最後に付け足された言葉に、今更ながら赤面してしまう。
良い大人が品のない言葉を使ってしまった。
とはいえ、それ以外の表現が見つけられない。
あれか?クソではなくうんことか言えばよかったの?
いや、でもここご飯屋さんだし!
いや、そういう問題じゃないか。
「…分からないです。傷付けたかったのかもしれません。もう、関わらなくて良いはずなのに、今更ノコノコとやってきて、仕事が大変になったなんて言われて……腹が立ちました」
「そう…」
「“ここ”では、そういう気持ちになりたくなかったのに」
「そうだな。でも、あいつ謝ってたね」
「…そうですね」
そうだ、初めて聞いた。
『悪かった』とあの人は言った。
自分だけ被害者みたいになりたくなくて、何も言わず辞めた。
私に悪い所が無かった訳じゃない。
あの人達だけが、悪者って訳じゃない。
そんな事も分からない程、子供じゃない。
ただもう、自分の中で切れた糸を繫ぎ紡ぎ直す事が出来なかったんだ。あの環境では。
「少しは、気にしてくれたって事ですかね…」
クシャとテーブルを拭いていた布巾を握りしめる。
「気にしなきゃ、こんな“微妙な田舎”までわざわざ来ないんじゃない?」
どうでも良いよと言わんばかりのの口調で返された言葉は、思いの外、私に響いた。
ーー確かに。
わざわざこんな所まで、寄る必要なんてない。
同じ会社に居たんだから、一番分かるのに。
「…どうして、優しくなれないんでしょうか」
「誰かに“優しい”かどうかは、自身で心がける事はできるが、評価は出来ないんじゃないの」
「え?」
「“それ”を受け取った相手が、どう思うかじゃないの。あんたの言う“優しさ”が、皆の“優しさ”と同じとは限らないだろ」
「…そうですね」
その通りだ。
自分がそうしているつもりでも、受け取る側がどう思うかまではコントロールなんて出来ない。
そうやって、色んな間違いを繰り返してきたんだ。
でも、だからこそ“優しく”ありたいんだ。
「言った言葉は戻らない。後悔してるなら謝れば良いし、してないならクヨクヨ考えるのをやめればいい」
「…後悔は、してません。だから、謝りません」
クヨクヨ考えるのを、やめるのだ。
言いたかったから、言った。
クソ野郎は言い過ぎたかもしれないけど、それ以外は全部私の中で紛れもない事実だ。
「なら、あんたはここで、うまい飯を作ればいい」
フッと鼻で笑うような感じで、特に人を励ます風でもない。
誰の味方もしない浅漬けさんの言葉は、それなのに妙に私を励ました。
間違えてばっかりだ。
後悔してばっかりだ。
たくさん人を傷付けて、傷付いた。
それでも、私達は生きている。
生きていると、お腹が空く。
だからご飯を食べる。
そのご飯を、私は作るのだ。
小さな幸せを、私は作りたいのだ。
「うん。美味しいご飯を作ります!」
ふん、と鼻で笑う音しか浅漬けさんからは返ってこなかったけど。
それは決して、馬鹿にされた訳じゃない事は分かった。




