31-1. ハンバァグ
それは、ランチのピークが終わった14時過ぎのこと。
常連さんがご飯を食べに来てくれて、それを見送り、ランチの波が2〜3回転し終わったタイミング。
カラカラカラ
「いらっしゃ…いませ」
入り口の引き戸の音に元気よく声を上げたのに、入ってきたお客様を見て、つい一瞬止まってしまった。
「一人なんだけどまだいいか?」
「お好きな席にどうぞ」
目配せをする様な、さも『分かっているだろう?』と言わんばかりの態度に思えて、少し棘のある口調になっている気がする。
…嫌だな、こんな私。
「当店はメニューが一つだけですがよろしいでしょうか?」
「うん」
「ご用意しますので少々お待ちください」
貼り付けたような笑顔をしてるって、自分でも分かる。
ここのところ、こんな顔しなかったから表情筋が筋肉痛になったらどうしてくれよう。
ここのところ、私は本当に自然に笑えていたのに。
厨房に戻り、用意をする。
本日の黒板は、
『わらじハンバァグの大葉ポン酢ソース
柚子胡椒風味
味噌汁とご飯付き
※大盛り、おかわり無料
900円』
である。
どでかいハンバーグは、みじん切りした玉ねぎと細かく切ったえのき茸を挽肉と混ぜている。
肉ダネに柚子胡椒を練り込んでいる。
大葉ポン酢ソースは、酢とみりん、醤油をベースにみじん切りした大葉、すりごまを入れてある。
お好みではちみつ等の甘みを足してもオッケーです。
私の掌1.5倍程のハンバーグ。
ランチタイムのお客様達は喜んで食べてくれていた。
「なぁ、少し話していい?」
厨房で距離を取っていたのにも関わらず、他のお客様がいないせいか、四人掛席に腰をおろしていたくせに、カウンター席に移動してきた男。
「なにか?」
私はこの人を知っている。
あぁ、嫌だな。
「…会社、突然辞めるからびっくりしたよ」
「突然ではないですよ。一月以上前に退職願出しましたし、引き継ぎもきちんとやりました」
あぁ、嫌だな。
あの頃の陰鬱な自分の気持ちが蘇るようで、嫌だ。
強めにギュッと目をつぶり、開く。
落ち着け、私。
視界の隅の“ご予約席”にはいつの間にか浅漬けさんが居た。
私を見つめていらっしゃる。
「その癖相変わらずだよなぁ」
人の良さそうな顔して、ハハと笑うカウンター席の男、芹沢。
以前働いていた会社で、私と同期だった。
「…今日はこっちのエリアの新規まわりか何かですか?」
「なんで敬語なの?」
「お客様なので」
「いいよ別に、俺らの仲で敬語とか慣れないし」
この人間は、コミュ力MAXだけど誠実さ底辺という素晴らしいスペックを持っている。
特に男女の仲になったわけでもないけど、出会った当初からこの人はそういう人間だった。
「…この店のことは、誰から聞いたんですか」
会社の誰にも言ってないのに。…いや、言ったか。
支店長には、あんまりにもしつこく仕事を続けるよう言われて、地元でご飯屋やるんで!って。
言ってたわ私。くっそ。
「支店長が言ってたよ。地元は前に聞いたことあったから、最近出来たご飯屋さん探してここに辿りついたんだ」
「…そうですか」
「しかもね、こんな微妙な田舎で新規周りも何もあるわけないじゃん!田中ちゃん天然?エリア違うけど寄れるとこまで来たから寄ったんだ」
「…そうでしたか」
あ、ハンバーグもういいな。
プレートにレタスをちぎって、ポテトサラダをオン!
そして横にハンバァァァァグ!
ソースをかけて、と。
味噌汁はほうれん草と油揚げ。
「お待たせしました」
芹沢のカウンター席に置いて、ちらりと“ご予約席”を再度見る。
…めっちゃ見てるな、浅漬けさん。
まだそっちには出せないから待っててくださいね。
実は芹沢と会話中もチリチリと視線を感じております。
見守ってくれてると勝手に解釈してそのままだけど。
「あー、うまそう。いただきます」
「普通に美味しいね」
「どうも」
普通に美味しいってなんだ。
「田中ちゃん辞めちゃってから、大変だよ仕事」
「そうですか」
「…冷たくない?」
「何がですか?」
「同期なのに、何の相談もなく居なくなっちゃうとか」
「自分で決めたかったので」
パクパクと食べながらも話しかけ続けてくる。
ちょっと、いやだいぶ、面倒くさい。
あー、ほら。浅漬けさんも変な表情して頬杖ついてるし。
芹沢何しにきたんだろうか。
「会議の資料とか、半期の売上集計とか担当それぞれでやらなきゃいけなくなってさ、すげぇ仕事増えたんだよ」
「…そもそも、担当が自身の売上を把握して対策立てなきゃいけないんだから、売上集計くらい各々出来て当たり前ですよね。私自身担当持ってましたし」
「え?いや…でも前までは田中ちゃんが」
「それがラッキーだっただけと、思えないんですか?自分がやらなければいけない仕事を、他人がフォローしてくれていただけでしょう、揃いも揃って」
済んだことなのに、思い出し腹立ち!
ついつい反論が厳しくなっちゃうよ〜、でもムカつくんだもん。
浅漬けさんも、ちょっとびっくりしたみたいな顔してこっち見ないでよう。
「随分言うね。そんな人だと思わなかったわ」
「辞めた人間なんで。もうしがらみが無いから正直に言っちゃいますよね」
うふふ、と笑いつつちょっとスッキリ。
「辞めた人間は無責任でいいね」
カッチーン。
「辞めてもいないのに無責任な人間より良くないですか?」
お前みたいにな。
笑顔で、かろうじて押し留めた言葉も本当は伝えたいところだ。
でも、こういう所察しの良い芹沢は分かってるだろう。
すごいムッとした顔してるし。
「それ、俺がってこと?」
「やらなければいけない事を、楽してやらない人間全員ですよ」
お前も含めてな。
プスッと浅漬けさんが小さく吹き出す。
やたら笑顔の私と、しかめっ面でこちらを睨む芹沢の対比が面白かったのかな。
「好きでやってたんでしょ、他人の仕事。任せて何が悪いの」
「他人の仕事、好きでやる人いるなんて知りませんでした。少なくとも私は、やるなんて一言も言って無いですし」
「…でもやってくれてたじゃん」
「机に勝手に仕事積み重ねられて、知らん顔されたから意地になったのはありますね。こんなクソみたいな仕事すぐ終わらせてやるって」
「クソって…」
クックックと浅漬けさんは笑いっぱなし。
肩が揺れている。
「ええ、あなたが影で私をクソ女と言ってたのと同じで、私もあなたの事、クソ野郎だと常々思ってました。あなたに限らずですが、怠惰なクソ野郎どもってとこですかね」
「え…本当に?」
「はい。汚い言葉なので今まで口にはしませんでしたし、今後はもう口にする機会はないでしょうけど」
もはや浅漬けさんは大爆笑である。
芹沢は見えてないから良いけど、私は見えるから気になってしょうがない。
浅漬けさんクールポジションじゃないの?
「俺は…そんなつもりじゃ」
「そうでしたか」
いや、もうどうでも良いんだけど。
「そろそろ閉店の時間なんですけど」
「あ…え………分かった」
食べ終わってるみたいだし、良いよね?
「900円です」
「…」
“クソ野郎”ショックなのか無言である。
1000円札を出されたので100円のお釣りを渡す。
罵声くらい返ってくると思ってたけど、余程衝撃だったのかな。
フラフラとした様子で入り口まで歩いて、物言いたげな顔をして振り返った。
「…悪かった」
声ちっさ!
カラカラカラ
「…ありがとうございました」
引き戸を開けて出ていく背中に、お決まりのフレーズを投げかけるだけに留めた。
だって、じゃあ許す!とか無いから。
どこの主人公だって感じだし、この年になるとそれも傲慢に感じるし。
ふぅと深いため息を吐き出して、後片付けをしに厨房に戻る。
「あいつ、間違えたんだな」
「何をですか?」
始終を見ていた浅漬けさんが呟いて、なんの事か分からなかったから聞いたのに、私の問いにこたえてはくれなかった。




