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初めは夢だと思っていた。
それは到底日常的には体験出来るはずもないような事だったから。
真夜中の一室は、あの静けさに満ちた深い暗さで覆われていて、僕はそのベッドに横たわっていた。そう、僕の目はベッドに横たわる自分自身の姿を客観的に捉え、眺めていたのだ。
そんな突発的でそれでいて奇妙な風景を現実的なものとして受け入れる事が出来るだろうか?おそらく殆どの人は無理だろうと思う。少なくともその時、実際的に僕は、不思議な夢を見ているのだろう、という浮遊感の中をただ呆然と漂っていた。
でもそれは夢では無かった。
夢にしてはあまりにも静けさや暗さといったものが確かな温度を持ち過ぎていた。僕が徐々にそれに気が付く事になる決定的な理由は開いたままのCDコンポのディスクトレー。確かに今夜は開きっぱなしだったはず。それとその他----例えばテーブルの上のマグカップや、ゴミ箱に捨てそこねたまま床に置かれたカップ麺の残飯や、棚に収納しそこねたまま床に寝そべった文庫本などのそれら----のものなどの位置も多分僕の記憶した通りだった。
僕はそれを見て思い出したのだから、その風景は夢が作ったものではなく、僕が今夜過ごした現実の部屋なのだ。夢の風景はその人の記憶によって描かれるものだと僕は考える。つまり、現実の風景を思い出すには、現実の風景を目にしなくてはいけないのだ。
でも僕の目の前には僕が確かに居た。
自分の身体が無い事に気が付いたのはその時だ。
ではこれはやはり夢なのだろうと、僕は思う。
その辺りからひどく意識が混乱し始めた。鼓動があればきっと激しく高鳴り大きな音をたてたはずだけど、鼓動はなかった。明らかに夢では無いのだ。夢を現実として錯覚する事は出来ても、現実を夢だと錯覚する事は、無い。 それらは確かに生きた現実としてそこに存在している。直立するマグカップも、置きっぱなしの文庫本も、電気コンセントの絡まり方も、全てが正しい在り方を保ち続けている。それは現実の一つの決定的な特徴である。
ならこれは現実だ、と受け入れなければいけない。
では何故僕の前に僕が寝そべっているのだろう、と考え直す。
ひどく混乱する。その混乱を鎮めようとして何か合点のつく解釈を見つけようとする。しかし、そうしてもまるで何も分からない。それどころか、正しい解釈を求めれば求める程、それに反発するかのように僕はますます混乱し、恐怖に飲み込まれていく。
いよいよ自体の深刻さに気づき始めてきた。
僕には身体がなく、それでいて離れた場所から自分の身体を眺めている。一つの意識を持った視点として。身体と意識が別々に離ればなれになったのだとしか考えられない。幽体離脱みたいに?。
自分の姿を鏡を通さずにこうしてまじまじと眺めるのは、とても不思議な感覚だ。何が違うのだろう。そう、鏡を通した時と違って、自分が自分を見ていない。独立する自分とは離れた自分を自分が見ている。それは僕ではなく、もはやそれは彼だ、と言うのが分かりやすいだろうか。彼がそこにいるという、奇妙で非現実的で人生に突然大きな穴が開いたような異常な感覚。僕は死んだのだろうか?
でも僕である彼は生きているように見える。