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2.落つる暗闇

 アリスはただぽかんと口を開けることしかできなかった。今起こっている出来事に対して驚くことが多すぎる。


 まず目の前の人間が「うさぎ人間」であるということ。頭部がうさぎの頭そのもので、ただ体は人間のように見える。身長は180cm無いくらいだろうか。随分すらりとした体型のうさぎ、否、人間に見える。


 彼は深い赤色の三揃いのスーツを着ており、シルクハットを被っていた。杖の頭は装飾されており、随分と年期が入ったもののように見える。

 頭部はうさぎそのものであるがきちんと人間の言葉を発している。これもまた不思議でならなかった。その上随分と畏まった言葉使いで話しているので、まるで「うさぎの紳士」のようだった。

 そしてもう一つ、彼はアリスの名前を知っていた。名を呼んだのだ。

「なんで……私の名前を?」

 うさぎの紳士はにっこりと笑った。真っ赤な目が少し潰れて小さくなる。

「私は長い間、貴方を探していたのですよ。名を知らぬ訳が無い」

「探してた? なんで? 会ったこともないあなたが私を?」

「貴方は知らなくとも私は貴方を知っていますから」


 わかるようで、わからない。理由は何かわからないがうさぎの紳士はアリスを探していたようだ。けれどウサギの頭がぺらぺらと言葉を喋る度、その現実を受け入れることができなかった。何故頭がウサギなのだ? ウサギは喋るのか? そもそも人間なのか?

「あなた、頭がウサギなの? それは被り物?」

 夜風がそよそよとウサギの毛並みをなぞっていく。先程まで肌寒く感じた風が不思議と心地よかった。

「被り物ではありませんよ。正真正銘この頭顱はウサギそのものです。望んだ訳ではありませんがね、幸か不幸かウサギの頭に人間の胴体がくっついている訳です」

 ウサギの紳士はシルクハットを少し浮かせて見せた。その下には紛れも無い、ウサギの長い耳が収納されていた。ぴくぴくと可愛らしく動いたかと思えば、紳士はすぐにハットをかぶり直してしまう。もう少し見ていたい気もしたがアリスは黙っていた。

「これは、夢?」

 自問自答するようにアリスは呟く。この状況を全て理解するのは困難だ。今日は色んなことが起こりすぎた。

「夢ではありませんよ。私はこうして息をして貴方に話をしている。貴方は私の言葉を聞いている。全て現実です」


 言われても信じることはできなかった。きっとこれは夢だ、限りなく現実に近い夢だ。きっと泣き疲れて眠ってしまったのだろう。きっとそこから見た夢なのだ。だから現実との境目が曖昧だったんだ。アリスはそう言い聞かせていた。

「アリス嬢、つかぬことを伺いますが……この世界に未練はありますか?」

 なぜそんなことを聞くのか、アリスには皆目見当もつかなかった。

「未練?」

「この畑は貴方のものですね?」

「……知ってたのね」

 アリスは立ち上がり闇夜のトマト畑を見渡した。もうそこには真っ黒な焼野と化した何かしか無い。

「大切にしてたの……。土から作ったのよ、作物を作れるような土じゃなかったから。これでも評判良かったのよ、私の作ったトマト。あなたにも――ああ、あなた名前は?」

「正確に言うと名はありませんが、過去にハニーと呼んでくれた方が」

「そう、ハニーね。かわいい名前。ハニーにも食べさせたかった、私が作ったトマト。こんな小さな畑でも私にとっては……私には……」


 話しているうちに言葉に詰まってしまった。先程まで抱いていた感情がまた溢れ出す。もう、その大切な何かは目の前に無いのだ。

「大切なそれらが無くなった今、この街に留まる理由はありますか?」

 アリスは遠くを見据えた。風が髪を撫でていく。

「もう、無いかもね。私には何も無くなってしまったのかも」

 アリスはそう言うと力無く笑った。

「ならばアリス嬢、私と共に遠いどこかへ行きませんか?」

 突拍子も無いことを言われアリスは眉をひそめた。

「どういうこと?」

 言いながらもつい吹き出してしまう。目の前の兎の紳士は大真面目な顔をして酷く抽象的なことを言う。これは駆け落ちか亡命か、その誘いなのだろうか。そう考えるとまた笑えてくる。

「遠いどこかって何? どこ? 全然意味が分からないんだけど」

「途方も無く遠い世界の何処かへ。私はその為に貴方を探していたのです」

「ハニーが住んでる世界?」

「今はこうして旅をしているので留守にしていることが多いですが。その世界は貴方の救いを待っている。貴方の存在を求めているのです」

 ハニーは真ん丸な目をつやつやと輝かせてアリスを覗き込む。その言葉を急に理解することもできずアリスは疑問ばかりが頭に浮かんだ。

「私に関係無い遠い世界で? なんで? ちょっと待って分かるように説明してよ」

「どうやら、その時間は無さそうですね……」


 ハニーは振り返り視線を遠くに投げる。その先には宵闇から重い雲がこちらに迫ってきているようだった。雨の前触れか? けれどそういったよく見る自然現象では無く、なんとなく奇妙な現象のように思えた。

「追っ手が来ないように気をつけてはいましたが、これは厄介な者に見つかってしまったようです」



 雲を引き連れて来たのはずんぐりとした体つきの人間だった。いや、人間かどうかも分からない。なぜなら奇妙なマスクをつけているからだ。それはまるで鳥のような長い嘴を模した物で、顔立ちも表情も覗えない。それに黒い帽子にローブのような体を覆い隠す服を着ていた。

 鳥マスクはのしのしとその体つきから容易に想像できる動きでゆっくりとアリス達の方へ歩み寄ってきた。

「あれは?」

「我々は“ボーン・コレクター”と呼んでいます。私は時間と空間を移動しここに辿り付きましたが、奴は私よりも時空移動には長けているのです。私を追ってここまで来たのでしょう。奴に捕まっては元も子もありません、今すぐ逃げなければ」


 ボーン・コレクターは徐ろに言葉を発し始めた。

「久しいですね、ミスター・ハニー。貴方に会うのは何年ぶりか」

「できれば二度と顔を合わせたくは無かったがな」

「お見受けするにそちらが選ばれたお嬢さんですか。私にも任務があり、彼女をさる方の面前にお連れしなければなりません」

「奇遇だな、私も一緒だ」

 ハニーはアリスを庇うように目の前に立ち、ボーン・コレクターの目に触れぬようにした。二人の会話を聞くにどうやら互いに顔見知りのようだ。腐れ縁、みたいなものだろうか。

「あまり私のコレクションを使いたくは無いのですが、特に貴方の前では」

「私が貴様の収集物を破壊するのは不可抗力だ。嫌ならばその大事なコレクションを観賞用に回したらどうだ?」

 ボーン・コレクターは斜めがけにしていた大きながま口のバッグをごそごそと漁り、大きく分厚い本を一冊取り出した。そしてペラペラとページを捲る。

「アリス嬢、お逃げ下さい!」

「えっ!?」

「走るのです! できるだけ遠くへ!」


 アリスは訳も分からぬまま言われた通りに走り出した。なんとなくあのボーン・コレクターと呼ばれている者からは逃げなければならない気がするのは確かだ。言いようの無いぼんやりとした恐怖に駆られ、アリスは宵闇を走り抜ける。

「おや、逃げられては困る。それでは……足の速そうなのをいくつか見繕うとするか」

 ボーン・コレクターは手にした本の適当なページを開き、人差し指の先でトントンと叩いた。するとその本からニョキニョキと白い骨が出てくる。それは生き物の形を成し、勢いよく地上へと飛び出た。それは紛れも無く動物の骨。だが生きているかのように地面を蹴り走ってくる。

「狼が3匹と烏が4羽か、厄介極まりないな」

 生きた骨が飛び出る様を見届け、ハニーはアリスの後を追った。



 アリスは走った。ひた走った。息が弾み喉が乾き肺が痛くなるのもお構いなしに走った。

 すると不意に後方から妙な音がするのに気付いた。カタカタと何か硬いもの同士がぶつかるような音。その正体を確かめるべくアリスが振り向くと、そこには鳥の骸骨が飛んでいた。なんとも不気味な姿でこちらに向かって飛んでいる。妙な音の正体は鳥の骸骨が骨を鳴らす音だった。


 目の前で起こる全てのことが信じられなかった。兎の紳士、理解のできない遠い世界の話、鳥マスクのボーン・コレクター……そうか、ボーン・コレクターの由来はこれかとアリスは気付いた。きっと生きる骸骨を収集しているのだ。


 そんなことを考えている間に鳥の骸骨がアリスに向かって襲いかかる。嘴を立てようとしたその時、ハニーが持っていた杖で思い切り振り払った。

「きゃあっ!」

 アリスは身を庇おうとして勢い余って転んでしまった。地面に叩きつけられた骨はガシャンという音を立ててバラバラになってしまった。

「アリス嬢、奴に見つかった以上ここは危険です。さあ、立って」

「あれは一体何? 私が追われる理由は何なの?」

「説明している暇はありません。ボーン・コレクターは烏を4羽、それと狼を3匹こちらに放ちました」

「烏と狼って……どっちも骸骨ってこと?」

「ええ、勿論。彼は骨を収集するのが趣味であらゆる生物の骨をあの図鑑に閉じ込めているのです。必要とあらばそれを呼び覚まし、魂を吹き込むことができる」

「そ、そんな魔法みたいなこと!?」

「アリス嬢、時間がありません。我々はこの場を去らねば――」


 すると遠くで狼の遠吠えがする。骨の鳴る音は徐々に近付いてくるのが分かる。もう走って逃げれる距離では無い。そもそも人間と動物、逃げ切るのは無理だ。恐怖に震えるアリスの肩をハニーが力を込めて支える。そして射抜くような真剣な眼差しでアリスに言った。

「この世界に未練は? アリス嬢、お答え下さい!」

 この世界に未練? この世界に残りたい? 別の世界とはどういうことなのか、どういう意味なのか、何が待っているのか。

 もう狼の骸骨は視界に入っていた。ハニーの肩越しには烏の骸骨が飛んでいるのも見えている。

「アリス嬢! ご決断を!」

 迫り来る恐怖が目の前に来ようとした時、アリスは声を張り上げた。

「無い……無いっ! 未練なんて無いから! もう何でもいいからとにかく助けてっ!!!」

「御意」


 その瞬間、ハニーは不敵に笑ってアリスの両肩をトンと押した。アリスの体は必然的に後ろに倒れる。

 まるでスローモーションのように見えた。ゆっくりと後ろへとバランスを崩す最中、ハニーは人差し指を口元に添え何か呟いている。そこへハニーに襲いかかるように飛びかかろうとする狼の骸骨が3匹。

「ハニーっ! 危ないっ!!!」

 体が地面に叩きつけられようとした瞬間、アリスの背後には大きな穴が空きそこへ真っ逆さまに落ちていった。


 絶叫を上げるアリスに背を向け、ハニーは杖の先から光の小さな球を出しそれを狼の骸骨へ投げつけた。まるで花火のように狼の骸骨は次々に火花と化して散っていく。そしてハニーはアリスを追うように自ら穴へと飛び込んだのだった。



 深い夜の闇の中、ボーン・コレクターがゆっくりと歩いてきた頃にはその穴は人が通れないほど小さくなり、みるみると消えていってしまった。

「大切なコレクションを、またもミスター・ハニーに壊されてしまった。その上あの子どもと逃げられてしまったとは、これはどう言い訳しようものか」

ぽつりと呟き、ボーン・コレクターは闇へと消えていった。



 深い深い洞窟のような穴の中、アリスは真っ逆さまに落下し続けていた。穴の中にはアリスの悲鳴と耳障りな骸骨カラスの鳴き声が木霊している。

 潤む目を凝らしてみれば穴の壁面には所々横穴が空いており、そこから微かな光が漏れ出ているものもある。穴以外にも木々が生えていたり、よく分からない物が埋め込まれていたりと不思議な空間が広がっていた。


 周りをキョロキョロとしながら必死であの紳士を探した。ハニーも一緒に飛び込んできたのは見えた。必ずこの穴の中にいる筈だ。

「ハニーッ!? ハニー! どこなの!?」

 息も絶え絶えに叫んでも声は虚空に響くだけだった。しかしその声を聞きつけたのか骸骨カラスがアリスの姿を見つけ襲いかかってきた。耳が痛くなるような鳴き声と共に嘴が突き立てられる。

「痛いっ! やめてっ! やめなさいよ!」

 アリスは必死で自身を庇いながら空をもがく。骸骨カラスは容赦なくその硬い骨を突き立ててきた。闇雲に手を振り回せば何かに触れた気がした。無我夢中でそれを手に取る。何かは分からないが重みを感じるそれを、アリスは襲いかかってくる不気味なカラスに思いっ切り投げつけた。

 ガシャン!という音と共に骸骨カラスの耳障りな悲鳴が耳を劈く。それと同時に何かが当たりに飛び散った。

「何!? 何これ!?」

 アリスの疑問は虚しく闇に溶けるだけだった。なおも落下し続ける体に、骸骨カラスがいま一度嘴を立てようとした時だった。

「穢らわしい生き物め。在るべき土へと還れ!」

 その言葉と共に兎の紳士が杖を振り下ろした。杖は一瞬眩しい光を放ち骸骨カラスに当たったかと思うと、先程まで動いていた奇妙な生き物は骨へと変わり砕け散っていった。


 ハニーはアリスの体を抱き寄せる。

「どこ行ってたの!? 散々突っつかれて痛かったんだから……!」

 アリスはハニーの腕の中に顔を埋めた。

「怖い思いをさせて申し訳ありません。少し時間がかかってしまって」

「ねえ、私たちどこまで落ちていくの? この穴は底が無いの?」

 アリスは落下しながら顔を上げハニーを見つめた。

「穴の底は私も見たことがありませんが、我々が行くべき場所は分かっています。ほら、壁にいくつも横穴があるでしょう? あの中の一つに入るのです」

「あの穴は何?」

「この穴自体は時空を繋ぐ穴。我々は今、時間と空間を移動している状態なのです。壁面の穴はそれぞれの空間に繋がっています。私はこの穴を旅してアリス嬢、貴方に出会うことができたのです」

 兎の紳士はそっと目を細めアリスに微笑んだ。ハニーは時折、愛おしそうな眼差しを向けることがある。アリスはそれがどこか不思議だった。彼は自分を探していたと言っていた。今も“出会うことができた”と言った。その理由は落ち着いたら聞こうと胸に留めることにした。

「どの穴がどこに繋がっているのか、ハニーは分かるの?」

 するとハニーは苦笑した。どこかばつが悪そうに見える。

「自由に空間を移動できる者も居ますが、そういった高度な事は私にはできません。なので入ってみないことには何処に繋がっているのか分からないのです。故に貴方に出会うまで時間がかかってしまった」

「そうなの?」

「ええ。貴方の知らない所で、私は随分と長い時間を費やしてしまったのです」

「その話もっと聞かせて」

「落ち着いたらその内お話しますよ。今はもう行かなければ。ほら、あそこの薔薇が咲いている横穴が見えますか? 我々が行くべきはあの穴です。さあ、しっかりと掴まって」


 するとハニーは山羊皮の白い手袋をはめた指を口元に添え、小さく何かを囁いた。すると落下していた体ががくんと止まる。よく見ると宙に見えない踏み台ができたように、ハニーはぐっと膝を曲げている。そして縮みきった体を伸ばし思い切り飛び跳ねた。ハニーは次々と見えない踏み台に飛び移るようにピョンピョンと跳ね、目当ての横穴にかかる薔薇の蔦を掴み体を滑り込ませた。

 横穴は細く長く先が見えない程伸びており、まるで滑り台のようにアリスを抱えたままハニーは体を滑らせる。

「ハニー!? これはどこへ続いているの!?」

 少し怖くなりアリスはハニーに問いかけた。だが兎の紳士はにっこりと笑うだけで何も答えてはくれなかった。そして二人の体は眩しいくらいの光に包まれるのだった。

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