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名前のいらない贈り物

作者: 成希奎寧

 二月十四日の学校は、どこか浮ついた雰囲気が(ただよ)い続けていた。


 学業に関係の無いモノは校則によって一切持ち込み不可とされていると言うのに、朝からそわそわしている男子がとてつもなく多かった様に思える。


 それもそうだろう。校舎に挟まれた中庭にそびえる大樹――通称『トウヘンボク』の木陰は休み時間の度に男女が入れ替わり立ち代りで占拠していたし、すぐ傍にある職員室の教員からもその様子が丸見えだと言うのに、御咎(おとが)めは無しだと聞いた。


 その暗黙の了解は、なんでもここ十数年の歴史がある(なら)わしなのだとか。


 いつもはお堅い学校の、ささやかな気遣いと言う奴らしかった。


「好きです……これ、良かったら受け取って下さい……っ!!」


 放課後――夕焼けの差し込む中庭から、如何にもロマンチックな甘酸っぱい空気が、何故か開いていた窓から吹き込んだ。


 図書館で本を借りた帰りのオレは、その気恥ずかしさを感じさせる響きに、思わず何も無い廊下につんのめってこけそうになる。


 決して告白を立ち聞きするつもりなんて無かったのだが、開いた窓から運悪く聞こえて来てしまったのだ。


「……バレンタインデー、か……」


 生涯を通じても、自分には無縁だった言葉を口にする。


『それ』が意味するのは間違い無く今日この日――オレが家に帰ったら、妹の作ったチョコの余りと母親から貰える市販のチョコ菓子を貰える、ちょっとだけ豪華な一日の事だった。


 あくまで自分達の為に青春の一ページを描き出す二人には申し訳無く思ったが、これでようやくオレの中にも季節感が出て来た様な気がする。


 二月の寒さは身体の芯から冷える程なのに、これまで吹かれた寒風が心を鈍くして――少しだけ、マンネリしていた。


 青春って、なんかいいな。決して温かくはない新鮮な風を感じ、そんなジジ臭い事を考えながら校舎内の廊下を歩いて行く。


 つい気になって、開いていた窓から外をこっそり見やる。木の下で男子生徒がチョコレートをはにかみながら受け取り、女子生徒が手で口元を隠している姿が見えた。


 窓から吹き込む風は今朝と変わらず冷たく感じるけれど、何故だか悪くない気分だった。




 自分のクラスの教室に寄り、カバンに借りた本を入れる。コートを羽織って防寒対策をした時、暗くなりかけた教室でクラスメイト達がまだ残っている事に気が付いた。


「あー、なんか甘いモン食いてえな……」


「おっ、そろそろ『トウヘンボク』が空いたかもしんねえ……まあ、俺には関係無いけどさ……」


 彼らは揃いも揃って、悲しい独り言をブツブツと呟き続けていた。


 それはせめて廊下に女の子らしき影が居る時にやらないと意味が無いのでは――そう言いかけて、止めた。


 そもそも、この時間まで呼び出しの約束が無い時点でお察しなのだ。


 バレンタインデーと言う行事への夢が叶えられない負け組――そこには勿論、オレも含まれている。


 女の子からチョコレートを貰うどころか、今晩に読む予定の小説を悠長に選んで借りているぐらいに絶望的だ。


 チョコや告白を期待していない訳では無く、期待し過ぎて(・・・・・・)現実味が湧かないイベント。


 それを幾度も繰り返したせいで、『蚊帳(かや)の外』感を(こじ)らせてしまったのだと思う。


 だから、教室に残っている彼らの様に悪足掻(わるあが)きをする気にもならなかった。


 居た堪れない気まずさの残る教室からそそくさと退散し、帰宅する為に昇降口へと向かう。


 その道中では意外だったと言うべきか、とうの昔に下校時間を迎えた校内にはまだちらほらと人影が残っていた。


 部活で汗を流している者を眺めている女の子が居れば、廊下で『チョコレートを恵んで下さい』と書かれた板を首から提げている阿呆も居た。


「ほら、早く行きなよ……あたし、早く帰りたいんだけど……」


「で、でも断られたら立ち直れないし……!!」


「だーいじょうぶだって。骨なら拾ってあげるからさあ……もうパパッと渡して帰ろう?」 


「それ、ぜんぜんだいじょばないけど!?」


 如何(いか)にも青春を謳歌(おうか)している騒ぎを聞きながら、バレンタインデーと言う日がたくさんの思惑に満ち溢れている事を改めて知る事が出来た。


 ――きっと、何の役にも立たない知識にしかならないだろう。


 落ち着かない空気に少しだけ疲れたのか、吐いた息には心の疲労がじっとりと(にじ)んでいた様だった。




 いつもはもっと混雑している筈の昇降口も、なんとなくではあるが、空白が目立っていた。 


 階段付近で何人かの女子生徒が話し込んでいたり、ランニングを終えた男子バスケットボール部が簡単な打ち合わせをしていたりするのがよく見える。  


 普段通りである人が居れば、そうでない人も同じぐらい居る。バレンタインデーと言うのは、つくづく不思議なイベントだと思った。


 オレは複雑な気持ちのままで、自分に割り当てられた下駄箱に手を掛ける。


 自分がどちらに属するかの分岐点。その最後の砦を開けた。


「…………んっ!?」 


 ――自分で上げた素っ頓狂な声に思わず驚いてしまった。慌てて周囲を確認すると、一瞬だけ女子生徒達がこちらを向いていた様だが、思ったよりも注目は集めていなかった。


「……ふ、ふう……すう……はあ……」


 安堵の溜め息を吐こうとして、余計に心が(たかぶ)ってしまった。期待していない、なんて自分に言い聞かせて、諦めたフリをしていたのが恥ずかしいぐらいだ。


 ――下駄箱の中に、何やら見慣れないモノが入っている。


 それはオレにとって最も縁遠い筈だったモノであり、なんと、見方によっては赤いハート型の何かに見えるかもしれない。


 けれど、油断は禁物だ――この前は誰かの悪戯でバカみたいにデカいタランチュラのおもちゃが投入されていたせいで、赤っ恥をかいた事が記憶に新しい。


「…………ごくり」


 期待と不安で震える手で、下駄箱から慎重に『異常』を取り出してしげしげと眺める。


 自分の目に狂いは無かった様で、丁寧にラッピングをされたハート型の箱が、程よい重さを手に感じさせてくれた。


「……お、おお……!」


 今のオレは周囲から危ない奴だと思われても仕方が無い程に、感動に打ち震えていた。包みを腕に抱きながら、その先の手が強く拳を握っている。手の平に爪が食い込んで痛いと思っているのに、自分の意思で力を抜く事が出来ないでいる。


 やっと、この浮ついた世界の一員になれた。そんなよく分からない嬉しさが、見聞きするだけだったイベントとの繋がりを与えてくれたのだった。 



 

 半日程前に通った通学路の復路の間すら待ちきれかった事もあり、オレは普段から昼飯を食べている裏庭までやって来た。


 (さび)れた花壇で咲いている雛菊(ひなぎく)の花は、オレが昼に()いた水で微妙に湿っている。


 園芸部が手入れをしている花壇は人手不足のあおりを受ける事がある為、土が乾いていそうな時は水やりをしていた。


 暇潰しの意味合いもあるにはあるが――ただ単にオレは、自分だけが食事をしている状況にすら耐えられない小心者なのだ。


 花が(しゃべ)る世界であれば、「また来たのか暇人(ひまじん)め」と(ののし)られそうだが、現実の寒い風の中では関係無い。


 気にせず、花壇の方を向いているベンチに乱暴に腰掛けて――壊していやしないか不安になって、足や背もたれを確認する(あわ)てっぷりだった。


 寒さと焦りで震える手指でリボンを解いて、変な風に折り目が付いている包装紙を取り除く。


「わあ……中もハートだ……」


 箱の中には、薄手のビニールで包まれた小さなハート型のチョコレートがいくつも入っていた。まるでマトリョーシカだ、なんて事を思いながら小粒な中身を手に取ろうとして、自分が避けた『トウヘンボク』の木陰の出来事を思い出す。


 男女が真剣に向き合って甘い想いを伝える行事、バレンタインデー。それがどんなモノなのか、ようやく――。

 

「……あれ?」


 ――ようやく、このチョコレート(おくりもの)の差出人が分からない事に気付いた。開封前に気付く場所には、名前なんて書いていなかったと思う。


 箱の下や内側、リボンや包み紙の裏まで確認したが、人の名前らしきモノは見つからない。 


 バレンタインのチョコレートを貰った嬉しさや感動すら忘れさせる、モヤモヤが一気に心に渦巻いた。


 小説や漫画だと、様々な形の渡し方があった。その共通事項として、言葉や手紙――贈り物に込めた想いを伝える何かが一緒に贈られると思っていた。


 このチョコレートをくれた人は、その例外とでも言うべき存在なのだろうか。それとも、うっかり手紙などを入れ忘れたのだろうか。


「でも……お礼とか……返事ってどうすればいいんだ……?」 


 どちらにせよ、この贈り物をしてくれた人が分からなければ心の底から喜んで頂く事が出来なさそうだ。


 そう考えると、チョコを貰うと言うのは、あくまで気持ちを受け取る為のおまけに過ぎないのかもしれない。


「……んー……どうすっかな……」


 頭をガリガリと掻きながら、足りない頭で考える。


 確かに美味しそうなチョコレートだし、家族以外の人からこうした贈り物をされて、素直に嬉しく思うけれど。


 だからこそ――この気持ちをお礼として伝えない間に、食べてしまっていいのだろうか?


 経験値不足が思わぬ方向で足を引っ張ると同時に、貰えた記念すべきプレゼントとしっかり向き合わせてくれたのは、とても意外な出来事だった。



 

「――こんな時間に、裏庭(ここ)に人が居るなんて……珍しい事もあるのね」


 部活をしている生徒達の声が遠くに聞こえていただけの場所で、凛とした声が通り抜けた。


 悪い事をしている訳では無かったのに、思わずドキリとしてしまう。


 縮こまった肩を窮屈(きゅうくつ)に感じながらも、手に持っていた箱の蓋もしないままで――思わず、背に隠してしまった。


「い、いや、中庭がずっと『あんな調子』だから通りづらくて……」


 言い訳をする様に返したが、実は三割ぐらいに感じていた本音でもあった。


 校舎の形が二十年前に時代を先取りしたせいで、昇降口にある下駄箱から校門を出るまでに、必ず中庭を通らないといけない造りになっている。


 普段は別に気にならないのだが、愛の告白が集中するこんな日には、通り抜ける気苦労が中々に増えていた事実もあった。


 如何(いかん)せんこの古びた公立の進学校には、告白に使える様なオシャレな名所が圧倒的に少なかった。自然と生徒達の目的が重なり、伝説も何も無いただの木の下――トウヘンボクだなんて(そし)りを受ける木すらも重宝するのである。


「……まあ確かに、下校したい生徒達はみんな足早に立ち去っていったものね」


「あはは、去年はオレもそうでし…………って、あなたは生徒会長っ!?」


 くすくすと笑った女性が近付いて来て、ようやくその声の主が誰だか分かった。


 いつも全校朝礼の際に短く挨拶をし、男子生徒達の目を奪う魅力的な女子生徒――雪三(ゆきみつ)柊花(しゅうか)


「ふふ、正解です」


 夕焼けに白銀の髪を輝かせているその人は、薄く微笑んで頷く。胸元では、ちょっとした丘の様な膨らみに押し上げられた緑色のリボンタイが風に揺れていた。


 シルエットは地味だが、差し色の入った小洒落(こじゃれ)たブレザーをきっちりと着こなした少女が、紺色のミニスカートを押さえて隣に座って来た。



  

「せ、生徒会長がどうしてこんな所に……?」 


 どうしてこんな事になったのかよく分からず、緊張で声が上擦(うわず)ってしまった。


 何せ生徒会長であるこの人は、お世辞などを抜きにしても美人だった。女性と付き合った事が無いオレには、明らかに手に余る強敵だ。


 そんな高嶺(たかね)の花と、ただの()えない雑草の様な男子生徒が並んで座っている。とてもではないが、理解が追い付く様な状況ではなかった。


「なに? 私だってあなたと同じ生徒なのに、学校内をうろついてたらおかしい?」


「うわっ……!? い、いやいや、そんな事は無いですけど……!?」


 ずい、と視線を近付けて来た彼女に、身体が思わず仰け反った。


 その様子を見て、一瞬だけキョトンとした生徒会長が目を細めて笑う。


「……もしかして、緊張してるの?」


「え!? あ、いやー……」


 地味に返答に困る問い掛けに、後ろ手に隠した箱を(もてあそ)びながら答えを探す。


「…………あー、まあ、そうっすね……」


「……へんなの」


 迷った末に出した平凡な答え。彼女が鼻で笑ったそれは、二月の(こご)える風がするりと運んでしまった。 


 それから、沈黙が流れる。男子生徒全員が(あこが)れると言っても過言ではない生徒会長との接点は、これまでまるっきり無かった為、何を話していいかすら分からなかった。




「その手に持ってるのって、もしかしなくてもチョコレート?」 


 沈黙を破ったのはやはりと言うべきか、背もたれに体重を預けている彼女の方からだった。


「え゛っ!?」


「いや、隣に座ってるから……そんな風に背中に回しても丸見えだし」


 彼女がジッと見つめる視線の先には、間抜けにも存在を隠せていると思い込んでいたチョコレートがある。


 冷静に考えればすぐに分かりそうな事だったのに、一切頭が回っていなかった。


 随分な醜態(しゅうたい)(さら)したが、生徒会長は気にした様子はなかった。


「いや……その……はい、下駄箱に入ってて……」


「ふんふん。それで帰るまで待ち切れずにここで食べようとした、と?」


(おっしゃ)る通りで……」


 心境を言い当てられ、バツの悪いままで(うなず)く。


 すると、彼女は「あちゃあ」と言わんばかりの顔で溜め息を吐いた。


「そっかぁ。残念だけど、今の自白は生徒会長として聞き逃す訳にはいかないわねぇ」


 ――折角のバレンタインなのに。彼女はそう、少しだけ楽しそうに(・・・・・)呟いた。


「……え? だ、だって今日は、チョコを渡しても良い日なのでは……?」


 お堅い進学校は、生徒会まで厳格だった。しかし、教員すらも見て見ぬふりをしてくれるバレンタインデーの(なら)わしを、生徒会が許さないとは聞いた事が無い。


「そうよー。(セント)バレンタインデーの暗黙の了解……普段は持ち込み禁止のお菓子だけど、今日だけは特別に持って来ていいと言うのは、あなたも知っての通り」


「じゃ、じゃあなんで……?」


「渡すのは勿論いいんだけど、『食べる』事まで許可はしてないのよねぇ」


 ――だから、現行犯逮捕です。


 物証の入った箱を持った罪人(オレ)の手首を、生徒会長の意外と小さな手錠が拘束した。




「え、ええっ!? そうだったんですか!?」


「通例としては、そうだね」


 生徒会長は指を組んで、(くら)がりが徐々に広がりつつある空を(あお)いだ。 


「まあ不文律みたいなモノだから、そもそも教員達も私達も認めているワケでは無いんだけど……一応そう答える様にしてるかな」


 ――生徒達の楽しみに水を差すのも気が引けるし。そう続けた彼女は、少しだけ苦しそうだった。


 生徒会長である彼女は、とても真面目だと聞いた事がある。朝礼や集会で見せる姿からも、その雰囲気は滲み出ていたけれど。


「し、知らなかった……でも、言われてみれば……」


 確かに学校の中では露骨にチョコレートを欲しがる人間こそ居たけれど、誰も食べてはいなかった気がする。


 落ち着いて考えれば気付けたのだろうが、チョコレートを貰ってからはとても冷静な判断を張り巡らせる状況にはなかった。


 見落として(しか)るべき事――けれど、それはオレの都合でしかなくて。


 隣からじっとりとした目を向ける生徒会長の視線は、これが(とが)めるべき過失だとはっきり示していた。


「ち、(ちな)みに、食べてしまうとどうなるんですか……?」


 ごくりと唾を飲み下せば、浮ついた気分が一気に冷え込んだ。コートを着込んでいるのに震えそうになる身体を抑えながら、オレは恐る恐る問い掛ける。


 これまで校則違反はおろか、注意を受ける事も少なかった。悪事をする勇気の無いノミの様に小さな心臓には、刺激が強過ぎて自然と身構えてしまう。


「基本的には……没収、かな。立派な校則違反だからね」


 差し伸ばされた手からチョコレートを隠しながら、オレは彼女から距離を取った。


「ぼ、没収!? そ、それは勘弁して下さい……!!」


「でも、校則違反は校則違反だし、悪いコトは悪いコトだから。それを見逃してしまうと……他の生徒達に示しがつかないでしょう?」 


 雪三柊花は、正論で塗り固めた刃で懇願(こんがん)をバッサリと切り捨てる。


 彼女の言う事は、全て正しかった。それこそ、ぐうの音も出ない状況だ――オレは蛙が天敵にお腹を噛まれた時の様な声をあげて、(うめ)くばかりしか出来ない。


「そ、それはそうですが……でも、これは……渡せません……!!」


 けれど、オレは無様にも食い下がった。間違った主張だとしても、貰えたモノをみすみす明け渡す訳にはいかなかった。


 


「そう……困ったわね。見なかったフリをしようにも、自白までしてるし……その割に口答えするし、こんな日に無理矢理没収って言うのもなんだか気が引けるし……」


 人差し指を顎に当てながら、生徒会長は季節外れに感じる桜色の唇を(とが)らせた。


「す、すみません、困らせてしまって……貰ったチョコを食べちゃダメだとは知らなくて……」


 頭を下げながらも、オレは包みを持つ手の力を一切緩めなかった。


「それ、さっきも言ってたわよね……でも、その様子だとただの言い訳じゃなくて、本当に知らなかったみたい?」


 小首を(かし)げた彼女に風を切る速度で幾度(いくど)も頷く。


 彼女にジッと目を見つめられ、とても気恥ずかしかったけれど、なんとか(こら)えて視線を重ね続けた。


「……ふむ、ふむ。うん、嘘は()いていなさそう。あなたは……そんな器用そうには見えないもの」 


「……ッ!!」


 くすりと悪戯(いたずら)微笑(ほほえ)んだ生徒会長に、一瞬だけ――見惚(みと)れてしまった。


 冷たい風が、雪を()んだ様に真っ白な髪を揺らす。黄昏(たそがれ)色の光を滑らせたそれは、オレの視界を狭めて彼女の笑み以外を見落とさせた。


「……あ、ごめんなさい、気を悪くしたかしら?」


「い、いえっ!! そんな事は無いです……(むし)ろ、嬉しかったと言うか……」


「……え? あ、そうなの…………あなた、結構ヘンな人なのね……」


 憧れだった生徒会長に、性格を察して貰えた事がじんわりと心を温めてくれていた。しかし、彼女は怪訝(けげん)な表情を浮かべていた。

 


 

「こほんっ。それなら、あなたには情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地があると言って良いでしょう」


 生徒会長は、とても不自然でわざとらしい咳払いをした。


「じょ、情状酌量ですか……?」


「ええ。個数を見た感じだとまだチョコを食べていない様だし、それと知らなかった事を合わせて、特別にね」


 ベンチの隣に座る彼女は、溜め息混じりでそう呟く。


「そ、それじゃあ……!!」


「そのチョコレート、誰から貰ったモノなのかを教えてくれたら、校則違反未遂を見逃してあげましょう」


 心が持ち上がる様な期待を、持ち上げた口角から漏れた言葉が叩き落とした。 


 誰がくれたチョコレートなのか。そんなの、オレが一番知りたいぐらいだと言うのに。


「な、何故そんな事を聞くんですか……?」


「だって、興味があったんですもの。家に帰るまで待ち切れない程に嬉しかったチョコレート……どんな関係性の人から貰ったのかな、って」  


 少し意地悪な顔を浮かべて、生徒会長は(ひざ)に突いた頬杖(ほおづえ)を支えにした。


 その(いとけな)い仕草と、答えられない問いに息が詰まる。


「……教えてくれないなら、チョコレートは没収だけど……どうする?」


「え、ええと……」


 あまり良くない頭をフル回転させて、オレはなんとか打開策を見付けようとする。


 そして十秒も経たずに、最初からたった一つしか残っていなかった答えに辿(たど)り着いてしまう。


「……はあ……」


 自分の情けなさと無力に気が沈むが、背に腹はかえられないのだろう。


 オレがチョコレートの入った箱を彼女に恐る恐る差し出すと、生徒会長は一瞬だけ目を細める。


「……誰にも、言わないで貰えますか……?」


 オレが懇願する様にそう呟くと、彼女は目を丸くして、少し考えてから頷いてくれた。 




「ははあ……誰から貰ったのかも分からないのに、ただチョコレートを貰えた事に喜んでいた、と」


「仰る通りで……」 


 特に取り得の無いオレには、真実を包み隠さずに話す事しか出来なかった。


 嘘を吐いてもすぐにバレるだろうし、関係性を問われて(よど)みなく話を創作出来る程のアドリブ力も無い。


 読み重ねた物語の数々があまり役に立たない事を知って、かなりへこむ。


 バレンタインデーと言う日は、チョコレートの様に甘さと苦さが混在する――いや、苦味が圧倒的に強いイベントらしかった。


「差出人の名前が無い贈り物……喜ぶのもいいけれど、次からはもう少し用心深くした方がいいんじゃないかしら?」


「えっ、どうしてですか?」


「ほら、小説とかにもよく出て来るけれど、もしかしたら毒とか入っているかもしれないし」


「そんなまさか! 毒なんてそう簡単に手に入るモノじゃありませんよ」


「でも、『ヘンなモノ』が入ってるかもしれないじゃない? 女の子は、おまじないとか結構好きでしょう?」


 生徒会長に指摘されて、少しだけゾッとする。確かに、直接手渡されたモノでもなければ、誰から貰ったモノかも分からない贈り物には、何が入っているかなんて知り様がない。


 血などの体液を入れる、と言うのは聞いた事がある。せめて、少しは警戒すべきだったかもしれなかった。


「まあ、女の子に『そんな事』をされる程好かれそうな人には見えないけれど……」


「あ、あはは……生徒会長って、結構ストレートに言いますね……まあ、事実なんですけど……」


 ザックリと心臓を(えぐ)った言葉のナイフに(ひる)みそうになる。

 

 自分がモテていない現実をしっかり理解していなければ、しばらく立ち直れないかもしれない程傷口は深かった。


 ――彼女に『魅力が無い』と言われた事が、とても辛かった。




「……でも、世界には色々な人が居るのね。あなたにこうしてチョコレートを渡す人も居るんだもの」


 寒そうに手を(さす)った、コートを着ていない彼女が呟いた。


「……はい。だから、このチョコレートが……とても嬉しかったんです」


 オレは彼女の薄着による震えに気が付いて、自分のコートを脱いで差し出した。


「……え?」


「すみません。オレの不注意で寒い思いをさせてしまって」


「…………あ、うん……」


 キョトンとしている生徒会長の目を見て、自分のお節介がまるで彼氏面をしている様な厚かましさを(かも)し出している事に気付いた。


「……あ、迷惑でしたか……と言うか、嫌ですよね……?」


「う、ううん……? その……ありが、とう……」


 彼女は戸惑いながらもコートを手にして、袖を通した。


 裏庭の木々がざわめいて、寒風が制服を突き抜ける。こんな寒い状況で生徒会長に長話をさせて困らせた事を後悔しながら目を向ける。


「……生徒会長、すみません……とても厚かましいお願いだとは思うんですけど、そのチョコは見逃して貰えませんか……? まだ、くれた人にお礼を言えていないので……せめて、誰がくれたのか分かるまでは……!!」


「…………気が変わったわ」


 生徒会長は目を伏せて、コートの首元をギュッと掴む。


「……え?」


 頭を下げようとしたのだが、彼女の吹っ切れた様な声に身体が止まってしまった。


「あなたに、情状酌量なんて必要ない……だから、この『落し物』は『返して』もらいます」


 呆けるオレを尻目に、彼女は封の空いた箱からチョコレートを一粒取り出し、ビニールを外して口に含んでしまった。




「あっ!? ちょ、ちょっと何して――――っ!!??」


 そのまま咀嚼(そしゃく)している彼女に向かって詰め寄ろうとして――。


「――んっ……!!」


 ――気付いた時には、見開いた目の前に、雪の花が舞っていた。


 黄昏に(きら)めく光の糸が、冷たい風に揺れている。


 全てがゆっくりに感じる世界で、瑞々しい柔らかさがふわりと唇を押し込んだ。


「んぅっ……ふっ、んっ……ちゅぅ……」


 割り開かれた唇の隙間から、とろりとした体温が流れ込む。込められた想いが、身体に伝わる。


 ――強過ぎる甘味が、舌と脳髄(のうずい)(とろ)けさせる様だった。


「ん……ぷあっ……! はっ……はーっ……はふぅ……」


 夕陽の光では誤魔化せない程に、赤色が差した頬が緩んでいる。息を整えている彼女は、口の()に溶けたチョコレートを付けてはにかんだ。


「……ねぇ……もう一度だけ聞かせて?」


 呆然としたままのオレの肩に、前を閉めていないコートの隙間から温かい身体を押し付けながら、耳元で(ささや)いた。




「このチョコレート……誰から貰ったの?」




 ――やはり、彼女は正しい事しか言っていなかったのかもしれない。


 この顔が(ゆだ)る様に赤くて熱いのは、きっと送り主が作ったチョコレートに込められた『ヘンなモノ』のせいだろう。


「きゃっ……!?」


 震える手で抱き寄せた、壇上で凛とした姿を見せる少女の、小さな身体の温もりが愛おしくてたまらない。


 チョコレートに込められた想いは、いくつもの小さなハートに分かれている。


「……ごめんなさい……まだ、分からないです……オレ、頭がそんなに良くなくて……」


「っ……!! そ、そっか……それじゃあ……残念だけど、このチョコは没収、かな……?」


 生徒会長――雪三柊花先輩は再び、甘美な小さい心を口に含んだ。


「もったいないから……はむ……ん…………」

 

 ゆっくりと咀嚼して、ちらりと物欲しそうな視線をこちらに向ける。


 それは、恋愛初心者でも分かる様に。例え、頭が悪くても察せる様に。


 このままでは、生徒の長である彼女が校則違反をする事になってしまうから。


「……んふぅ……ちゅっ……ちゅぷ……」


 ――オレは、分不相応にも彼女からチョコレートをねだり、そして受け取った(・・・・・)


 学業ともイベントとも関係無い、お菓子であるチョコレートを食べる事は禁止とされている。


 それでも、チョコレートを贈る事が良しとされているのなら――こんな不文律の抜け穴があっても、何もおかしくはないのだろう。


 沸騰(ふっとう)しそうな頭に、彼女の温もりと女の子らしい感触と優しい香りが、甘美と共に叩き込まれる。


 ――そうか。このチョコレートには、差出人の名前が無かったのではなくて、名前が必要なかった(・・・・・・)のだ。


 小説の物語だけでは味わえない、心に愛が満たされる感触を、雪三柊花と共有した――人生で初の、バレンタインデーらしい日の出来事だった。 

  




 ――――――


 ――――


 ――


『2018年 2月14日(水)


 今日は、とても素敵な一日だった。


 人手不足の園芸部の手伝いは、多分今日も空振りで終わると思って、コートも着ずに出た裏庭。


 いつも窓から見かける彼が、水やりをとうに終えたその場所に、想定していたよりも早く居た。


 園芸部の皆が居ない日の昼休みに、何故かいつも水やりをしてから昼食を()り始めるその人は、きっと優しい人なのだと心の何処かで気になっていて。


 それは、何の変哲も無い学校での日常。退屈ばかりで構成された毎日の、無数にある光景の一つ。


 だと言うのに――気付けば、乾いた土を(うるお)す為に水飛沫を上げる彼の背中と横顔を、窓からこっそり見下ろすのが習慣になっていた。


 彼は私の様に、生徒会の一員と言う立場では――誰かから雑用をお願いされる立場ではない、ごくごく普通の帰宅部の男子生徒。


 (えり)に付けた校章の青色から、後輩であるらしい事しか分からない男の子。


 ――名前すら知らなかった、たった一人の想い人。


 ただ、関係無い筈の草花へ向けられる、無償で無邪気な優しさ……その一点のみに()かれていた。


 着飾った伊達男の(かしず)きよりも、(きら)めく豪奢(ごうしゃ)な贈り物よりも、彼の無欲で素朴(そぼく)な背中を魅力的に感じた。


 自分の気持ちを確かめる為に、取りあえずチョコレートを渡してみようだなんて思った私は、もしかしたら変わっているのかもしれない。


 でも、生徒に許された――この私にも同様に与えられている筈の、想いを伝える機会を楽しんでみたかった面もある。


 没収品にあった男の子向けのマンガに描いてあった、とても素敵な渡し方を試して見たかった。あんなにうまくいくとは思わなかったけれど……おかげで、一生忘れられない日になった。


 チョコレートを渡す為に肝心だったのは、下駄箱の場所。なんとなくは分かっていたけれど、確証が無かったのでクモのおもちゃを入れてみたら、昇降口に彼の驚く声が響き渡った。


 あれは……少し、悪い事をした様な気もする。


 今度、謝ろう……初めてのデートでそんな事を告白されたら、優しい彼でも怒ってしまうだろうか。


 でも、それもいいかもしれない。


 レシピ本を見ながら作って、味見をしたチョコレートは、ただ甘いだけじゃなかったし。


 熱くて、ちょっぴり苦くて、蕩けていて――ああ、けれど、実際に渡したチョコレートは、味見した時以上に甘かった気がする。


 ……それなら、やっぱり怒らないで欲しいかもしれない。


 何事も、甘いくらいが丁度良い。真面目だと言われている私は、常に周囲からそう言われ続けて来た。


 だから、そのお言葉に『甘えて』みたいと思う。


 ……こんな風に少し寒い駄洒落(だじゃれ)も、二月の(こご)える風の中では、きっと気にならない筈だから』







 名前のいらない贈り物 終


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― 新着の感想 ―
[一言] 生徒会長はなかなかの乙女ですね。名前のない送り主から迫られるバレンタイン、体験してみたいものです。 ラストいちゃいちゃが艶かしくて、いけないものを見てしまったかのような心持ちです。生で見せら…
2018/02/15 02:29 退会済み
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