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02



 リズ・テトラス侯爵令嬢が、ランドール家長男であるカインとの婚約破棄を申し出た――


 その知らせは、たちまち王城内に知れ渡った。



「カイン様が、本日お父様に謁見なさるそうですわよ」


「それは、また……随分と身の程知らずな」


 妹の言葉を聞き、第一王子――レオ・アルク・リーブルズは喉の奥で笑った。


 春風が柔らかく吹き抜ける回廊を並んで歩きながら、妹姫は華奢な扇を口許に宛がって涼やかな声で微笑んだ。


「今さら何のお話かしらね」


「例の領民との婚姻のことだろうな。まったく、父上が認める筈もないものを」


 リズとカインの粗方の事情は宰相から聞いた。婚約破棄の原因がテトラス家にあるのならまだしも、引き金になったのはカインの不貞行為だ。


 カインは自身の騎士としての立場を考えることなく、テトラス家当主が寵愛している愛娘を裏切った。身分の低い娘に婚約者を奪い取られるなんて、リズにとってはこの上ない屈辱だった筈。王家と懇意にしているテトラス家に泥を塗った男を、王が許す筈がない。


「あら、わたくしは、いっそ認めてしまわれたら宜しいのにと思いますわ。ランドール家など僻地へ飛ばして、あの田舎者とせいぜい幸せに暮らせば良いんだわ。あんな不貞者」


「口が悪いぞ、メイリア」


 妹姫――メイリアの舌鋒は容赦がない。苦笑しながら嗜めると、メイリアはつんと顔を逸らした。


 昔リズの父親が城で重臣をしていた頃、テトラス家の者はよくこの城に出入りしていた。歳が近いこともあって、その頃からメイリアはリズによく懐いていたから、今回のカインの仕打ちに腹を立てるのは仕方のないことだけれど。


「ですが、お兄様。これはチャンスなのではなくて?」


「……何の話だ」


「ふふ。あんな不貞者より、お兄様の方がよほど素敵ですわ」


 メイリアが意味深に微笑んだ時、回廊の先からその不貞者がやって来た。


「レオ殿下……! メイリア様も」


 向かいを歩くレオとメイリアに気づき、不貞者――カインは胸に手を当て、騎士然とした振る舞いで最敬礼をした。


 その背には何処と無く焦燥感が滲み出ているように感じるが、父王との謁見の帰りだろうか。カインが深く一礼する直前、レオの姿に彼の深緑の瞳が一縷の望みに巡り会ったかのように瞬いたような気がした。


 一方カインを視界に入れた途端、メイリアはてきめんに嫌な顔をした。父に似た水浅葱の瞳に、濃い嫌悪の色が滲んでいる。


「お兄様、わたくし此方で失礼しますわ。リズ様を傷付けた方とはお話したくありませんの」


 わざと聞こえるように言うあたり、メイリアはカインに対し相当に腹を立てているらしい。フリルがたっぷりとあしらわれた蜜柑色のドレスを揺らし、彼女はカインをほとんど見ることなく彼の横をすり抜けて行った。


 残されたレオは仕方なく、腰を落としたままのカインに目を向けた。


「聞いたよ。リズ嬢から、婚約破棄を求められたそうだね。なんでも、君の不貞行為が原因だとか」


 レオの責めるような声音に、カインは視線を伏せたまま顔をあげる。


「申し開きもございません。彼女を裏切り傷付けてしまったことへの処罰なら、どのようなものでも甘んじて受ける所存です」


 なにやら自身の行いを悔いているようにも聞こえる台詞だが、この男は自分の力を過信している。処罰を受けるつもりなど更々ないに違いない。口先では処罰がどうのと言いながら、婚約破棄をされた直後にいけしゃあしゃあと王へあの領民の娘との婚姻の許諾を求めに来ているのが何よりの証拠だ。


 王に媚びる官僚達の間でランドール家の爵位剥奪の話が出ていることなど、微塵も思っていないに違いない。


 本当にどんな処罰も甘んじて受けるというのなら、今すぐこの男を斬り捨ててやりたかった。メイリア程露骨な態度を取るつもりはないが、顔も見たくないほどこの男が憎らしいのはレオとて同じだ。


「それで、父上は何と?」


 聞きながら、愚問だと思った。テトラス家は代々王家への忠誠心が厚い上、現王は特にテトラスの当主と懇意にしている。今回の騒動に、当然ながらテトラス侯爵はかんかんだった。王がどちらの肩を持つかなど、誰もが手に取るように分かるだろう。それが分かっていないのは、今回の関係者の中ではカインと相手の娘くらいのものだ。


「……アンネとの婚姻に、承諾は出来ないと。アンネは身重になっているのに……父としての責を果たせない自分が情けないです」


 カインは心底悔しそうにそう言ったが、婚約中の女性を放って他所で子を作るような男の言う、父としての責とは何だろうか。結局は全てが利己心から来た行為でしかなく、どこまでも愚かなカインに呆れてしまった。


「父上は厳格だからな。だがその件は、僕から話を通しておくから案じなくて良い」


「本当ですか殿下……! 心より、有り難く存じます」


 僅かに口の端を上げながらそう言ってやると、打ちひしがれていたカインの表情が途端に明るくなった。それほどまでに、アンネとやらと結ばれたいのか。幼い頃からカインを想っていたリズを捨ててまで、添い遂げる価値のある娘なのだろうか。


「ひとつ聞いて良いか。君は……彼女が何のために刺繍の腕を磨いていたのか知っているのか?」


 彼女の努力は、いつでもカインの為だった。


 カインとの未来だけを見据えて、彼のための努力を惜しまず、『カインの評判を落とすような妻にはなりたくありませんの』と微笑んだリズの、星のように光る瞳に魅せられた。そこまでリズに愛されているカインが、心底羨ましくて仕方がなかった。


 たとえ想いが届かなくとも、そんな彼女の力になりたかった。だからレオも、自分の気持ちは誰にも告げずに、じくじくと膿んだ傷のように痛む心には気づかない振りをして、リズの為にカインを側に置いて重用していたのだ。もっとも、メイリアにだけは気付かれていたようだけれど。


「さあ。リズが好きなのだと思っていましたが」


「そうか……いや、良い。気にしないでくれ」


 あれほどカインを愛していたリズが、婚約破棄の際に一切カインを庇うような素振りをしなかったと聞いて疑問に思っていたが、なるほどこれが原因か。


 一途に尽くしてきた男が予想以上に愚かだったことに失望し、きっと一気に醒めたのだろう。今のリズの心境を思うと、当事者ではないレオでさえ心をきつく締め上げられた。


 彼女がもうカインのために笑えなくなったのなら、レオとてカインを守る理由などどこにもなかった。


「――その代わり、君を僕の近衛騎士にしたいという話。悪いが白紙に戻してくれないか」


「な……っ!」


「君にはメイフィール地方での警備を頼もうと思っている。君の実力を見込んでのことだ、名誉なことだぞ。辺鄙な土地だが、メイフィールの水を使ったワインはなかなかだ」


 メイフィールはこの国の最北端に位置する山岳地帯で人口がそう多くない為、その地方の人間は(みな)が身内のようなものだ。争い事など滅多に起こらないだろう。警備の仕事などあってないようなものだろうし、カインの赴任先としてはぴったりだ。地方の集落は閉鎖的なところが多いから、新参者が温かく迎え入れられるかは保証できないが。


 そんな僻地へ派遣されると聞き、カインの顔は真っ青だった。カインの仕出かしたことに比べれば甘すぎる罰だと思う半面、人間の表情は瞬時にここまで変わるのかと、場違いにもそんなことを思う。


「何故です、殿下! あれほど……あれほど、私の腕を買ってくださっていたではないですか……!」


 血を吐くように悲痛な声で叫ぶカインに思わず笑ってしまった。買っていたのはカインの平凡な魔導の腕前ではなく、カインに対するリズの想いだ。


 カインの身の丈に合わぬ重用も、近衛騎士への打診も、全部リズのためだった。


 昔からずっと、彼女はカインしか見ていなかった。彼女は自身にカインの将来のための利用価値があると知っていて、そばに居られるのなら利用されるだけでも良いと。


 リズの瞳に映るのが自分ではないことが悔しくて悔しくて堪らなかったけれど、そこまで強く想っているのならばと身を引いた。


 彼女が本気でこの男を好いていることを知っていたから、少しでも彼女の力になりたくて、大した実力もないこの男を近衛騎士に据えようとしていた、のに。


 好きな女性を、おそらく彼女にとって一番屈辱的なやり方で傷付けられたのだ。


 それを許してやるほど、レオは寛容になるつもりはない。


「未来を手放したのは君だ。君の選んだ領民の娘と、父親としての責とやらを果たしながら、幸せに暮らせば良い」


 ずっと傍にいながら、リズの努力に気づくことすら出来なかったこの男には、騎士だなんて称号は勿体ない。メイリアの言ったように、僻地で細々と生きていくのがお似合いだ。


「話は終わりだ。悪いが金輪際、僕にその顔を見せないでくれ」


 これ以上この男の顔を見る気にはならない。一方的に話を切り上げ、さっと踵を返す。追い縋ろうとしたカインを、侍従に命じて下がらせた。


 カインの縋るような声には耳を傾けず、城内でテトラス侯爵が行きそうな場所は何処だろうかと考える。婚約破棄の件で、おそらくテトラス侯爵も城内にいるだろう。侯爵より先にカインが王に謁見できるとは思えないから、王との謁見も終えている筈だ。


 侯爵を探して書庫やら中庭やらを覗きつつ城内を歩いていると、ちょうど侯爵が執務室から出てきたところだった。書類を持っているようだから、おおかた宰相のところへでも行くのだろう。声をかけようとしたところで、侯爵がレオに気が付いた。


「お久しゅうございます、王子殿下。ご挨拶にも参らず失礼致しました」


 侯爵の丁寧な一礼を、片手を軽く挙げて制す。愛娘の婚約破棄の件で心穏やかではないだろうに、そんなことは微塵も感じさせない程に精練された身のこなしだった。


「いや、良い。それより、リズ嬢のご様子は如何か」


 愛する人に裏切られ憔悴しているだろう娘の名に、侯爵はゆったりと苦笑した。凛とした空気が微かに揺れる。


「殿下にまでご心配をおかけし申し訳ございません。少々気落ちしておりますが、感傷的にはなっていないようです」


「そうか」


 静かに言葉を紡ぐ彼の声音の端々には、カインへの憤慨やリズへの同情が確かに滲んでいた。当然だ、だってもしレオが彼の立場だったら、怒りに任せてカインを数発殴るくらいのことはしただろう。


「こんな時に申し訳ないが、リズ嬢と話がしたい。悪いが近日中に呼び出してくれないか」


「話……でございますか。畏まりました。それでは、明日にでも馳せ参じさせましょう」


 レオの申し出に侯爵は僅かに眉をひそめたものの、深く尋ねることはしなかった。


「礼を言う。呼び止めて悪かった」


 一言詫び、一礼して去っていく侯爵の背を見送った。



明日(あす)か……少し早まっただろうか」


 辺りに人気(ひとけ)がないのを確認し、壁に凭れてひとりごちた。明日のことを思うと、柄にもなく気が張り詰める。気を落ち着かせるように目を伏せると、愛しい彼女の姿が脳裏に浮かんだ。


 いくらこの国の第一王子という揺るぎない地位を持つレオが求婚したとして、それに喜んで応じるような人ではない。ましてリズは婚約破棄をした直後だ、あの誇り高い令嬢がそう簡単に頷いてくれるとは思えない。


 婚約を成立させるのに一番手っ取り早いのは王家からテトラス家へ打診をすることだが、そんなことをしたらリズとの婚姻は政略結婚になってしまう。レオのリズへの感情を知れば、父王やテトラス伯爵は喜んで婚約の話を進めてしまうだろうから、この気持ちを公にするわけにはいかなかった。


 政略結婚では駄目なのだ。リズに利用価値などなくて良い。純粋にレオだけを愛してくれるのならば、他には何も要らないから。


 レオは絶対に彼女を裏切ったりしない。だからどうか、今までカインに向けられていた尊い想いを、いつか自分に向けてほしい。




「――しまった。侯爵に彼女の好きな花を聞いておけば良かったな……」


 求婚に真っ赤な薔薇の花束では在り来たりだろうか。






閲覧ありがとうございます。

たくさんのブックマーク、本当にありがとうございます……!

頂いている感想も拝む勢いで拝見しておりますが、なにぶん影響されやすいタイプなので、完結まで感想の受付を停止させて頂きました。(嫌な感想を頂いたというわけでは決してなく……!感想はとても嬉しかったです。ありがとうございます!)

おそらく次で完結できる……と思います。王子様頑張れ。

それでは、またお時間ありましたら、お暇潰しにでもそっとよろしくお願い致します。


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