三千円
「普段、あまり耳掃除はしないんですか?」
「えっ…あ…まあ」
いつも髪を切りに行く理容室。
「あぁ、いらっしゃい」
長年自分の髪を切ってくれるおじさんが、床を掃除していた。
「すいません、カットで」
「シャンプーとひげ剃り、耳かきもって奴だな」
「お願いします」
「はい、いつもの一つ入りました~」
おじさんは調子のいい人である。
「今日、休み?」
「休みです、バイト代入ったんで」
「嬉しいね、うちに来てくれるなんてね」
カチャ
そういって、椅子を倒した。
「今日も全力で切っちゃうから、その前にヒゲを剃ろうかな~」
わかると思うが、このおじさんはよく喋る。
「最近さ、暑いじゃない、だからクール系のいろんな物が出るんだけどさ、ちゃんと暮らしていれば、結構そんなのいらないんだよね、まあ、これは俺がいうことじゃないけど」
蒸しタオルが、顔の上に広げられて、タオルの下がほんわかとしている、毛穴もきっと開いているだろう。
これを二回繰り返した。
「お兄さんは、あんまりヒゲが濃くないから、剃るの楽だね」
「やっぱり濃いと大変なんですか?」
おじさんが指で、肌を触って、まばらなヒゲを確認しながら言ったので、刃物が顔から離れた瞬間に聞いてみた。
「じょりじょりやっても、剃れないとか、あんまり深くやると、切っちゃうしね、でも、ひげ剃りと耳かきは可能性があると、俺は思うね」
「耳かきですか?」
「ふっふっ、今日は特別だから」
何が特別かはわからない。
「最近、この業界も、回転率のある経営が求められているけど、髪はやっぱり月一回か、二回なんだよね」
「そうですね」
「ひげ剃りだったら毎日伸びちゃうし、耳かきなら、週一ぐらいでありじゃないかと思ってるんだけどさ」
「まあ、確かに」
いっちゃなんだが、俺は自分のひげ剃りは下手である、だからここに来るのであるが。
カットはいつものように、1ヶ月伸びた分だけ切ってもらう、髪型をこうしてくださいというよりは、伸びた分だけとか、頭の形に合うようにとか、お任せの方が楽だと最近気がついた。
「耳かきは俺じゃないから」
「えっ?」
「うちの秘蔵っ子だしちゃうから、中儀ちゃん!」
「あっ、は~い!」
現れたのはお姉さんであった。
「こちらのお客さんの耳かき頼むね」
「わかりました」
「えっ?」
いつもはおじさんにやってもらっていたので、とまどう。
「腕はいいよ、んでそこそこ可愛いし」
「誉められ方が微妙」
お姉さんは冷静に答えた。
バクバク
あれ?
「それでは始めます」
何で…俺、緊張してるの?
まあ、確かに、いつもはおじさんにしか、耳かきしてもらってないわけだし、母親ぐらいか、耳かきをしてもらったという思い出は、後はずっとこの店で、母親は耳かきが下手な人だった、弟を中耳炎にしてからは、俺はずっとおじさん派たったのだが…
ためらうことなく、耳かきは動き始めた、見ることはもちろん出来ない。
ザクザク
中に入っては、かき出され。
中に入っては、かき出され。
「普段から、耳かきするのですか?」
「いや、あんまり」
絞りだすような声で答えた。
「結構、汚れてますね」
恥ずかしい…女性に耳を掃除され、なおかつ汚れてますねと言われると、いや、待て、俺はここにボサボサの髪を切り、不揃いなひげを剃り、掃除をしていない耳をかかれに来たので、ここにくる前に髪を整え、髭を剃り、耳を掃除してくるのはいかがなものか?
ベリ!
自問自答している中、耳の中で今までとは違う音がした。
ビク!
脊髄反射が起きる。
「痛かったですか?」
「いや、痛くはないです…」
「くすぐったかったですかね」
「ええ…」
そんなところです。
ザクザク
そのまま、耳かき再開される、相変わらず、俺の繊細な気持ちを無視するかのように、無機質というか、プロフェッショナルの動きが耳の中で行われている。
ぺりぺりリリリ
いかん!そんな風に耳かきを動かしたら、言葉が出なくなってしまう。
ザクザク
何という、快楽でもあり、拷問のような、まあ、くしゃみ一つしたら、怪我をする、そんな綱渡り感もたまらないのだけど。
これはやばい。
おじさんは寝落ちする気持ちよさだが、このお姉さんは耳かきの新しい一面を見せてくれた。
お詫び
左耳に至っては、悶絶してしまったため、思い出すことさえできなかった模様。
「事前に予約してくれると、中儀ちゃん捕まえておくから」
おじさんにはちゃっかり耳かきがとんでもなく良かったことを見破られ、俺は三千円を払った。




