アグニ
時はアモンvsブッチャー戦まで遡る。
時計職人の街ピジョーで二頭の雄が
雌雄を決しようとしていた頃。
街の周囲にある山林に蠢く者たちの影があった。
ロリューの軍人たちである。
軍人たちは重火器で武装していた。
巨象さえもその一連射で撃ち倒す機関銃。
400m離れた距離でも鋼板を貫通する威力を持つライフル。
これらの凶悪な兵器は二人の猛獣アモンとブッチャーの
ためだけに揃えられたものだ。
二頭の超雄同士の激突。
どちらが勝つにしても無事に済むはずがない。
その弱った雄を狩るために彼らは
この山林に伏せているのだ。
ウォームの策略である。
すべては部下の進言で段取りされたものだ。
ブッチャーの処分は軍の沽券に関わる問題であり
アモンの打倒は軍の悲願である。
それが今日、同時に片付けられるとなれば
これ以上はないほどの策であった。
しかし誤算があった。
山林に伏せさせた兵が
次々と謎の敵に強襲されたのだ。
それは一人の少女であった。
否、その幼い風貌とは裏腹に
佇む気配、放たれる威圧感は少女のそれではない。
まさに魔性の獣。
兵たちはその者を視界に捕らえた瞬間に
即、発砲した。
それほどの脅威をこの幼い姿をした獣に感じたのだ。
だがその銃撃はすべて少女に到達する前に
あらぬ方向へと飛んでいく。
少女の周囲で頻繁に起こる謎の爆発現象。
その爆風に煽られて弾道が定まらないのだ。
業を煮やした兵士たちはナイフを抜き近接戦に切り替えるも
その爆発現象に巻き込まれ、次々と倒れていった。
まるで魔法のような現象に兵士たちは驚く。
しかしこれにはある現実的な理由があった。
鱗粉である。蝶の鱗粉を周辺空間にばら撒き
それを指先につけた簡素な発火装置で火をつけていたのだ。
燃えた鱗粉は次々と隣の鱗粉へと引火していき大爆発を引き起こすのである。
粉塵爆破と呼ばれる現象である。
少女はこの現象を巧みに用い弾を避け
兵を倒していったのだ。
その仕組み以前に、その現象を戦闘に用いるという
人間離れした技の妙。
これはもう魔法といっても差し支えないレベルのものであった。
だが一名の手練れの兵士パドは、この仕組みを瞬時に看破した。
そして、かすかに見える燐光と風の流れを読み、
鱗粉のない空間を選び接敵したのだ。
振られるナイフ。かわす少女。
少女は身体能力も並の者ではなかった。
しかし、このチャンスを逃すまいとパドは流れるような
連撃を仕掛けた。
完成されたパドの動きと圧に負け、少女はジリジリと
後退を余儀なくされる。
そして、少女の退路は大木に遮られた。
一連のパドの攻撃は、その場に追い込むための
布石であったのだ。
まさに熟達した兵の技。絶体絶命の少女。
その時、少女は掌を擦り合わせる不思議な動作をした。
そして突如発火するパドの背中。
「なんだと!!?」
パドは狼狽した。周辺に鱗粉は舞ってなどいない。
ゆえにこの謎の発火現象の理由がわからなかったのだ。
そして消えない。
手で払っただけではとても。
そうこうしている内に燃え広がる炎。
パドは敵を前にしながら地面に転がって
何とかその火を消し止めた。
そしてそのまま地面に伏せ動けなくなる。
重度の背中の熱傷である。
人の攻撃行動はすべて背中の筋肉を介して行われる。
パドはその背中をやられ、攻撃どころか動くことすら
満足に出来なくなったのだ。
そこに、少女は跨った。
そして顔を覗き見る。
妖しく光る金眼。
その眼はまるで、獲物を吟味する猛禽類。
少女は、パドに止めを刺さずその場を去った。
戦闘不能になったとみなしたのだろう。
その少女の背に向けてパドはつぶやく。
「ア…グ…二…」
アグニ。
それはパドの出身地で信奉される村の守護神。
火を自在に操る荒ぶる神の名。
屈強な兵士たちを始末し終えた
その火神は肩まで伸びた黒髪をたなびかせ
悠々と山を降りていくのであった。




