ウインド
エンジニア ゴサクは語る。
「あれは本当にあっという間の出来事でしたからねえ」
「こう岩が横にズズッと動いたんですよ。そうあのツインロックっていうんですか?
あの巨大な岩がね」
「観光名所だかなんだか知りませんが、この茶屋で見てて
いっつも危ねえなって思ってたんですよ。そしたらこれだ」
「隣に座ってた男が動いたのは、その矢先のことです」
「岩に向けて全力でダッシュし始めたんでさあ。
ええもう、そりゃすごいスピードで」
「何事かと思ったんですが、その時、ふと今もう落ちてこようかという
岩の下に子供が3人いるのが目に入ったんで」
「あの男は、その子らを助けるために走ったんだと気付きやした」
「でももう間に合わない。だからゾッとしやしたよ。
助かるまいなと思ってねえ」
「だが、駆け出した男のスピードがどんどん上がっていくじゃない。
こりゃギリギリ何とか間に合うかっていう風にね」
「そして何と間に合ったんですよ。こっから岩まで
100m以上はありますかね?岩が下まで落ちるのには
そんなに間がなかったですから、いったいどんな足の速さだと」
「驚くのはこっからです。3人を一度に抱えるのは無理だと
判断したんでしょうね」
「何と男は2人だけ抱えてその場を走り抜けたんです」
「いえいえ、もう一人も見捨てたわけじゃない。
その後、おもしろいことが起こったんでさあ」
「その子がね。急に浮いたんですよ。こう男の背中に
吸い込まれるようにふわっとね。それで男は、3人目を
キャッチしてそのまま走り抜けたってわけ」
「それで目出度く3人とも岩の下敷きになることなく命拾い。
…いやあ、あの男のおかげだねえ」
「え?何で子供が浮いたのかって?そうさねえ。あっしにも推測でしか
わからないが…」
「恐らくあれはスリップストリーム…」
「物体が高速度で移動する時に、空気との摩擦で生じる
前向きの追い風のことでさぁ」
「低速では、何の影響も無い微風ですがね。
高速下では、バカにならない強風になるんですよ」
「男はそれを使ってあの子を助けたのではないかと
推測してますがね。しかし、子供とはいえ人一人浮かせるだけの
風を作るとなればそれはもう人間の足じゃ不可能でしょう」
「でもそれができるんじゃねえかって確信させるだけのスピードは
確実に出てましたね。まあ、見てた人にはわかると思うんですがね」
「男ですか?それが傑作なんですが、あの後、この茶屋に戻ってきて
お茶代を払ってきましたよ。なんとも律儀で粋な男でさあ、はははっ」
「たしか…名前はザケル…とかいったかな。この国の人じゃねえみてえだ。
軍服を着たガタイのいいヤサ男でしたよ」




