英雄小話06 : 正義の剣(前編)
またもや長くなったので分割します。
夜闇を裂くように、赤い警告灯が明滅していた。
投光器の白い光が、静まり返った街路を無遠慮に照らし出し、深夜特有の沈黙を薄く引き延ばしている。
第二支部の管轄区域。
封鎖線の内側で、マエル・シュヴァリエは足を止めていた。
壊れた道路。
熱で歪んだアスファルト。
焼け焦げた家屋の外壁。
そして、まだ乾ききっていない血溜まり。
どれもが、改造人間型ヴィランの仕業であることを雄弁に物語っている。
マエルは腰元の二振りの剣には触れず、片手に持ったタブレット端末を操作していた。
表示されるのは、過去数週間分の事件現場写真と、簡潔にまとめられた報告書。
指先で画面を送るたび、同じ特徴が繰り返し現れる。
――強力な熱放射による焼損。
――そして、獣の爪で引き裂いたとしか思えない切創。
破壊の規模は大きい。
だが、被害者は常に最小限に抑えられている。
今回も、被害者は一名。
「……」
マエルは画面から視線を外し、現場を改めて見渡した。
血を流して倒れていたのは、第二支部所属ヒーロー、ユゴ。
重装備ではなかったとはいえ、彼は歴戦のプロだ。
自宅での奇襲だったとしても、多少の武装をした相手に一方的にやられるような男ではない。
――それなのに。
マエルは焼け残った壁に刻まれた深い傷跡へと歩み寄る。
指先でなぞることはせず、距離を保ったまま、静かに目を細めた。
「……この爪の跡」
独り言のように、低く呟く。
「まるで鋼鉄でも切れそうな勢いだな」
声に感情はない。
ただ、事実をなぞっただけの言葉だった。
背後に控えていた第二支部のスタッフが、同じ傷跡を見つめながら頷く。
「ええ……」
慎重に言葉を選ぶような口調。
「ユゴがやられるほどの相手です。
生半可な改造では、ここまでの破壊力は出せないでしょうね」
別のスタッフが、少しだけ声を落として続ける。
「熱放射と物理切断……複合型の因子か、
あるいは――」
「単独ではない、か」
マエルが言葉を継いだ。
全員が沈黙する。
夜風が吹き、警告灯の赤が彼女の銀髪を一瞬だけ染めた。
「……いずれにせよ」
マエルはタブレットを閉じ、静かに言った。
「これは偶発的な事件ではない」
「第二支部を狙っている。
あるいは――」
視線が、闇の向こうへと向けられる。
「この街そのものを、試している」
その声は冷静だった。
だが、そこには迷いも躊躇もなかった。
第二支部の面々は、誰一人として異を唱えない。
それが、この女の判断であり、
そして――必ず“結論”に辿り着くことを、彼らは知っているからだ。
マエル・シュヴァリエは、夜の現場に立ったまま、
静かに次の一手を思案していた。
ー*ー
柔らかな朝の日差しが、人々の出勤を急かす鋭い光へと変わる頃――
マエルは広めのベッドの上で、ようやく重い瞼を開けた。
―――頭が重い。昨日は遅かったからなぁ。
「んにゃ〜〜」
鳴き声のような声を漏らし、身体を捩る。
だが結局、そのまま寝返りをうっただけだった。
―――重力だ。重力が重い。
抱いて寝ていたくまのぬいぐるみが、可愛らしい水色のパジャマに押し潰され、ベッドに沈み込む。
「むにゃ。帰りたい」
仕事に行きたくなさすぎて、自分の部屋なのに帰りたがる。
どこに帰るつもりなのか、本人にも分かっていない。
ぬいぐるみの頭をむにむにと押しつぶしながら、ぼそりと呟く。
「……今日は、休みでいいんじゃないかな」
当然、誰も答えない。
―――よし、寝よう。
再び布団に潜り込もうとした、その瞬間。
「おぼっ↓ちゃ↑ま!!
もう、ダメ。待てないわ。しゅっ・きん、出勤ザマス!!!」
ドアが弾け飛びそうな勢いで開いた。
寝室に突入してきたのは、家事代行人型アンドロイド。
タイプ・ザマスである。
支部長クラスには、絢爛なタワーマンションの一室と共に、
家事全般やスケジュール管理を担う従者が、本部の予算で支給される。
人間の従者に生活を見られるのは嫌だったマエルは、
「アンドロイドなら恥ずかしくないし、甘えられるかも」とこちらを選んだのだが――
残念ながら新開発の機械従者は、口煩くて、KYであった。
いわゆる運の尽きというやつである。
―――初期設定ミスで、マエルのことをずっと『おぼっちゃま』と呼ぶこの最新鋭機は、顔をずいっと近づけて圧をかけてくる。
「おぼっちゃま?ガチでそろそろ起きないとやばいザマス。さっさとベッドから出てきな」
くいくいとパジャマの襟口を引っ張られ、鬱陶しげにマシンアームを払う。
それでも、むくりと起き上がる。
瞼は未だに重い。
「やだっ!眠いーーー」
や!と首を振るマエルの小脇を抱え、ザマスは無慈悲に持ち上げる。
「聞き分けのないおぼっちゃまは強制搬送ザマス」
そのまま、万歳の姿勢のままズルズルと寝室から引きずられていった。
ーー
目をこすりながらダイニングに入ると、
バターの香りと、挽きたての豆で淹れたカフェオレの匂いが鼻をくすぐる。
整えられた白いリネン。
上品な銀のエッグスタンドに載せられたゆで卵。
フルーツを添えたヨーグルト。
いつもの朝食である。
ザマスは再びマエルの脇を抱えて椅子に設置。
自分は背後に回り、ボサボサの銀髪をとかし始めた。
マエルはされるがまま、バゲットを口に運ぶ。
石切通りにあるお気に入りのパン屋の高級バゲット。
香り高いカフェオレ。
それだけで、身体がほんの少しだけ目を覚ます。
だが、半目のまま。
眠いものは眠いのだ。
「しかし、おぼっちゃま!最近、仕事が遅いザマスね?
大丈夫かしら。おぼっちゃまも良い歳なんだから、そろそろ結婚相手を探さなきゃ」
耳障りな電子音声で、さらに耳障りな内容を語るザマス。
マエルはむすっとする。
「ザマスうるさい!私は支部長なんだ。忙しくて結婚相手探しなんてできるもんか。それに、結婚していいと思う男なんていないから良いんだ!」
「そんなザマスだと、すぐに歳をとるわよ。
別におぼっちゃまが男が好きでも構わないザマス。世の中は進歩してるザマス」
「だがしかし!相手を探さないなんて、ンマーったくダメ!」
―――は?私が女なことも忘れたか、このポンコツ。
不満顔でバゲットを食いちぎる。
コーヒーを一気に飲み、ヨーグルトも素早く片付ける。
とにかく、この雑談から逃げたい。
それを見て、ザマスが言った。
「ニヤリ」
表情は一切動かない。
全部、口で言う。
そこがポンコツなのである。
「ほらほら!さっさと着替えるザマス!今日は大事な会議でしょお?」
「え。……あー。会議だっけ?」
低血圧の頭で予定を検索する。
「支部長会議でしょお!遅れたら、おぼっちゃまの今まで築き上げた外向けの威厳が全部崩れるわよ!」
びくっ。
背筋に電流が走る。
ヤバい。
まじで忘れてた。
ーー
次の瞬間。
全身の筋力を総動員し、猛ダッシュ。
ウォークインクローゼットに突撃したマエルは、
状況開始からゼロニーゼロゼロ分で軍服風の一張羅に着替え、
腰に二振りの剣を装着。
鏡の前で襟を整える。
その瞬間――
眠たげだった瞳が、すっと細くなる。
さっきまでの「帰りたい女」は、もうどこにもいない。
「……行くぞ」
ゼロサンゼロ秒で玄関を飛び出した。
背後から、ザマスの声が響く。
「おぼっちゃま〜。忘れ物ザマスよ!」
走りながら振り返る。
「ほら。いつも抱いてるくまのぬいぐるみ!」
マエルは一瞬で身体を反転。
二秒でジャンピングキックを放ち、ザマスを廊下の奥へ押し込む。
三秒で元の位置に戻り――
そのまま、全力で走り出した。
第二支部長マエル・シュヴァリエは、
今日も英雄機関本部へ向かうのだった。




