英雄小話09 : 心のマフラー(終)
「あが。うぁ、ぁ。はぁあ……もう少しぃ、もう少し」
首を握り潰されかけている殺人医師は、嬉しそうに笑っていた。
呼吸が詰まって声がひび割れても、その目だけは蕩けたままだ。
「何だ? 死にたがりか?」
MSDマンがかつてないほど邪悪に笑う。
彼は普段から聖者ではない。寧ろヤンキー、チンピラ、デリカシー無しーーー所謂そういう言葉で形容される男だ。
だが、それでも。
普段の彼を知る者がこの場にいたなら、きっと言っただろう。
『これは違う』と。
「なら抵抗すんな。殺してやるよ」
指先に力が籠もる。
ぐきり。
嫌な音がした。殺人医師の首が不自然に曲がる。
ぱたぱたと動いていた足が、だらんと落ちた。
MSDマンはそれを確かめると、ゴミを投げ捨てるみたいに白衣の身体を放り投げた。
床を滑って転がり、瓦礫の陰に消える。
終わった。そう思ったそのときーーー
「う、うわぁああ!!」
突如、背後で叫び声が上がった。
MSDマンははっとして振り返る。
そこには泣きながら怯える子どもたちがいた。
ついさっき、路地で笑っていた子どもたちだ。
今は、恐ろしい化け物を見る目でこちらを見ている。
泣き声が、立体駐車場の冷えたコンクリに吸われず、やけに生々しく響く。
「……お前ら、なんで?」
問いかける声が一段落ちた。
その瞬間、首元で燃えていた赤いマフラーの炎が、ふっと引いた。
敵を倒したという確信。
そして泣きじゃくる子どもを見て、彼は英雄因子を停止させた。
しかし、目の前の子どもに取っては、そんな事は何の関係もないことだった。
「や、やっぱり……そうだったんだ!!」
子どものひとりが、泣きながら叫ぶ。
「MSDマンは、僕らの街が嫌いで、街を壊して、住んでる僕らも殺して回ってるって!!」
「あぁ?」
MSDマンの声が荒くなる。
だが荒さは怒りだけじゃない。言葉が追いついていない。
「何言ってんだ。こいつらはヴィラン組織で、俺らの敵だ。だから殺したんだよ!」
指先で、倒れたはずの敵の方を示す。
「お前らはヴィランじゃねぇ。殺すわけ——」
「じゃあ、その女の人が何したって言うんだ!?」
子どもが遮る。
「ヴィランってなに? ヴィランが何かしたの? 何でヴィランを殺すの?」
ぶつぶつと言葉が溢れる。
怯えているのに、声だけが妙に“整って”いる。
その背後で、僅かな英雄因子の共鳴がした。
青い光の気配が、子どもの肩口のあたりでちらつく。
「僕らだって、いつかヴィランにされる!!」
「友達だってそうだ!! おじさんだってそうだ!!」
子どもたちは震えながら、包丁を握る。
震えは止まらないのに、握る手だけが異様に強い。
「僕らが、みんなを守るんだ!!」
その言葉に。
——背後で、拍手が鳴った。
嫌に響く、耳障りな拍手。
湿った瘴気の如き腐った臭いをまといながら、ゆっくりと形になる。
「そうだ」
舞台役者のように通り、響く艶のある声。
カツ、カツ、とブーツの音がする。
ターバンを巻いた男が歩いてくる。両手を軽く開き、楽しく演目を鑑賞する、観客の気安さで。
目を背けたくなるような醜悪な笑顔。
だが、その声だけは妙に美しい。
「子どもらよ。君らは強い」
「迫る破壊者に背を向けず、自身の命すら顧みず。畏れを振り払って戦う」
クックックッと、くぐもった笑い声が混じる。癪に触る笑いだ。
「泣きたいほど怖いのだ。失禁しそうなほど恐ろしいのだ。だが、それでも!」
「かの者は、己の欲望のため、自己保存のために際限なく再生し、膨れ上がる化け物だ」
右手を上げて握りしめながら、男はなおも歩みを止めない。
子どもたちの背後から、堂々と舞台へ上がる。
「化け物は討ち倒さなければならない」
「たとえ命が尽きるとて、誰かの為に強くなる」
朗々と、美しい歌を唄う。
それが別の誰かの口から出たなら、勇気を鼓舞する詩だっただろう。
人としての在り方を見つめ直す、讃歌だっただろう。
だが、この男はその歌を嘲笑う鍾馗。
深く暗い瘴気だ。
「そうとも。君らの命は、今、正しく消費される」
「戦いたまえ、子らよ」
悪意が、躊躇いなく撒き散らされる。
美しさは、そのまま腐っている。
MSDマンが男を見据える。
最初に殴り飛ばした、あの男だ。
「てめぇの仕業か」
男は目を細めて、破顔一笑。
手を叩いて見せる。
「グラザス。クライシスゲート第二課、課長。グラザスだ」
「君が丁度良いところに飛ばしてくれたのでね。彼らを説得してまわったのさ」
「説得だと?」
静かな怒りが、MSDマンの喉に溜まる。
「私は観客に過ぎないよ。主演は君か、はたまた子らか。今から決まるさ。
さぁーーー、化け物退治を始めようか」
舞台の中央で喝采を受ける役者のように、グラザスは両腕を大きく広げた。
それに応えるかのように、子どもたちが——一斉に飛びかかってくる。
「やめろ、ブン殴るぞ、テメェら!」
叫びながら、MSDマンは英雄因子を発動させない。
赤い炎は戻さない。
拳で止めれば、簡単に壊れる。
脚で払えば、簡単に折れる。
それが分かってしまう距離で、子どもたちは包丁を振るう。
グラザスは愉しげに、舞台の演者に言葉を投げかける。
「正義執行者特例条項 第三条」
「ライセンス保有者は、脅威対象に対し、現場において必要と認める制圧・拘束・排除の行為を行うことができる」
「同条第二項。前項における排除には、致死的手段を含むものとする」
それは、ヒーローライセンス保有者に与えられた特権。
笑いながら、獣のように条文を読み上げる。
「殺したまえよ、ヒーロー」
「君らに与えられたマーダーライセンス。誰も君を罰しない」
その間も子どもたちは無心に襲いかかる。
もはや誰も泣いていない。歯軋りしながら、英雄譚に酔いしれるマリオネットのようにがむしゃらに。
MSDマンは、噛み締めるように理解する。
「……そうか」
子どもたちの異様さに、舞台演劇の謎にたどり着く。
「こいつらのこのザマ……これは、テメェの英雄因子か!?」
「そうだ」
笑う影から、青い因子光が紡ぎ出る。
仄かで薄暗い。低ランクの起動を示す、弱い光。
だが——
「英雄因子ーーー『人間讃歌』」
何かが波動のように広がった。
波動に沿って、世界が邪悪の理法に歪められる。
子どもたちの震えが止まる。
より強く、より速く。包丁が、躊躇いなく振るわれる。
そしてMSDマンは気づく。
自分の胸の内にも、湧き上がる衝動があることに。
戦った。再生した。強化された。
より強く、より速く——拡大する力に、酔いしれていた。
真逆、これも!?
視界の端で、邪悪が笑う。
「気づいたかね?」
「それも、私の力だ」
英雄因子、人間讃歌。
英雄機関本部の格付けでは最低のDイコール、そのさらに斜め下、Dマイナス。“評価に能わず”。それは最弱ですらない単なる機能不全。
ゴミと呼ばれた英雄因子。
本質は、前に進む人の選択を僅かに肯定するだけのお守り。人に奇跡を齎す英雄因子でありながら、ただ、“それだけ”の欠陥品。
——それが今、グラザスの業で邪悪に読み替えられる。
子どもたちの背後から、続々と街の人々が現れた。
駐車場の外壁をよじ登り、武器を持ち、猛りながら集まってくる。
グラザスが唄う。
「そうだ。子らだけに任すな」
「誰かが命を賭して、誰かの為に戦っている。我も誰かの為に戦うのだと」
「たとえ、それが命を燃やす戦場だとて——隣で命を燃やす覚悟を示せ」
「我らの屍のその跡に、仄かに残る光があれば、恐れることなど何もない」
ここまで美しく、そして目を塞ぎたくなるような醜悪な歌があるだろうか。歌い、笑う。連綿と続く命の詩を、悍ましく禍々しい、苛烈な毒で腐らせる。滅びを誉れとする、殉教の詩に変える。
直ぐにMSDマンは群れに呑まれた。
彼らの一撃など、MSDマンの再生能力の前では大した問題にならない。
それが、余計に苦しい。
簡単に止められる。
簡単に終わらせられる。
でも、出来ない。
第二支部長マエルなら、何の躊躇もなく“脅威”として処理しただろう。
だがMSDマンは、身内にだけは冷徹になりきれなかった。
愛なんて綺麗なものじゃない。
チンピラが、ヤンキーが、身内には甘い——それだけの話だ。
だが、それで十分だった。
人間讃歌は、その“甘さ”こそを讃える。
MSDマンが雲霞の如き群れに呑まれていく様を、グラザスは満足げに眺めていた。
その肩を、猫彦が掴む。
「……充分だ」
猫彦の声は冷たい。
「ウェイテルと殺人医師は既に回収した。我々も撤退する」
グラザスが振り返る。少しだけ不満げに。
「そうかい? 楽しい演目だったのになぁ。まぁ、いいさ、従おう。で、撤退の理由は?」
「ミストから報告があった」
猫彦の眼鏡の奥が、わずかに険しくなる。
「ここに、殺人鬼スマイルが接近している」
グラザスが目を見開いて笑う。
「ほう。“終わり”が来たか」
猫彦は頷く。
「あぁ。制御不能のジョーカーだが……場は整えた。MSDマンのトドメは奴に任せる」
グラザスは、立体駐車場の下を見やる。
群衆の波に沈む赤いヘルメットを。
そして、溶けるような笑顔を作った。
「いいね。ところで、殺人医師。彼女は死んだんじゃないかい?」
猫彦はもはや興味がないように装備を整えながら、簡単に答える。
「自己修復の範囲内だそうだ。勝手に帰った」
グラザスは少しだけ下を向き、瞳を閉じて笑った。
ーーーあの愚かな道化。また、死に損なったか。
「それはそれは、何よりだ。さぁ、では帰ろうか」
手を後ろに組む。
雨の気配を吸い込みながら、影の中へ歩いていく。
「——雨が、降りそうだ」
混沌は、暗い昏い曇天の奥へ溶けるように消えていった。
次回予告。
雨が来る。
曇天の下、立体駐車場は人の群れと刃と、腐った讃歌で埋め尽くされた。
そして現れる最悪の敵。
殺人鬼スマイル。
ヒーローでもヴィランでもない。
ただ「終わり」だけを連れてくる、雨の夜の三日月。
——欠けた月の夜。
最後の戦いが、今、始まる。
次回、英雄小話10「欠月 ーTHE CRESCENT MOONー」
お楽しみに。




