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MJ  作者: にわとり
序章
2/2

朝露の中の日常 ①


しらかわ市、赤砂町―――。

 空品湾に流れる山河の恵みに撫でられながら、人口110万を超える大都市のゆりかごとしての役割を担うこの街は、商業施設、行政施設、学校や医療機関などを擁しながらも、豊富な自然を今に残している。市内の心臓部である光町の急激な発達によって、ここ20年で爆発的な人口増加を果たしたことで、比較的新しい軽量コンクリートやタイル外壁の家が林立する街区の一角に、昭和の風景を切り取ったような板張木造平屋建の家屋がある。

 それが、ここ―――前田流道場である。


 前田流道場の門下生にして、前田家の居候である高島聖司(たかしませいじ)は、毎朝の日課の素振り2,000本を終え、シミと虫食いだらけの縁側に正座して、一部の乱れも無く整った姿勢で瞑目しながら緑茶をすすっていた。

 顔立ちは若者然としている。胴着の上から分かるほど体は鍛えられているし、気も充溢している。しかしながら、整いすぎた姿勢と、落ち着いた所作と、短く切りそろえた銀髪がどうにも、少年を枯れて見せていた。

 華とも艶とも全く無縁な老成の若者は、ただただ平和で静かな時間の流れを満喫していた。


 しかし、そんな愛すべき平穏はさも当然のように破られる。

 道場と廊下で接続されている母屋の方から、殺気を感じて聖司の銀髪がピンと立つ。

 「おはよーざーーーーっす!!!」

 朝の挨拶らしきものを叫びながら、ドタバタと廊下を全力疾走してくる殺気の元凶。おかっぱ髪を揺らしながら勢い良く現れたのは、同じ高校の後輩の白沢次太(しらさわつぐた)である。どこから走ってきたのか制服は大分乱れている。朝からものすごく血圧の高そうな―――もとい元気そうだな。と、関心する聖司。どうでもいいが、聖司は血圧は低めである。

 自宅から数百メートルを全力疾走してきた白沢は、聖司の前で急ブレーキをかけたように足首を捻って止まると、深呼吸。少し小さい眼を決意に見開いた。


 「高島先輩!!今日も、勝負、よろしいでしょうか!!」


 老朽化した道場の寿命に確実に影響しそうな大声の白沢を、お茶をすする所作のまま、片目で確認する聖司。


 「またか。」

 「はい!今日こそは勝ちます!!」


 二人は、ここ1年近く、毎朝のように、"あるもの"を賭けた勝負をしていた。勝負というのは、まさに拳の勝負。しかも、ルール上の制約を特に決めてない。武器の使用以外なんでもありの試合である。


 白沢は、この勝負の報酬を手に入れるために、ここ3ヶ月間、相当な自己鍛錬を続けていた。本気マジである。

 一方、聖司の方は別に勝ったからといって、何か報酬をゲットする訳ではない。しかしながら、勝負事になると手加減する気が一切無い聖司は、目下12連勝。ひたすら、白沢の野望を阻止し続けていた。


 白沢の目に闘志の炎がメラメラと宿っている。

 一昔前の野球アニメのような後輩に、やれやれと微笑みながら飲んでいたお茶を置いて立ち上がる聖司。


 「俺も、出る準備しないといけないから1本だけだ。いいな?」

 「はい!」


 白沢は当然というように、鼻息荒く答えた。





 ・・・・・・。




 道場の中には涼やかな風と、そして緊張が流れていた。


 二人の少年は、道場中央部に対面し、黙礼する。

 白沢は、この道場の門下生ではなかったが、これは聖司と試合をする前の決まりのようなものであった。

 この試合には、ゴングも開始の号令もない。黙礼した後、お互いが構えたら試合開始である。

 聖司は足を前後に開くとゆっくりと、左手を上げて半身に構える。まずは、様子見、前回の勝負から1ヶ月。後輩がどんな勝算を持って挑んできたかを確かめようと思っていた。


 次太は、深く深呼吸すると、腰を少し落としファイティングポーズを取ると、ボクサーのようにトトトトッと軽快なフットワークを使い始めた。


 聖司は驚いて目を見張った。

 様になっている―――。


「ボクシング始めたのか」

「先輩に勝つためですから、なんでもやりますよ。」


 言い終わるや否や、瞬時に距離を調整する白沢。ヒュッっと空を切る音が鳴り、ジャブが聖司の顔を掠める。


 迅い―――。


 心の中で素直に賞賛する聖司。

 決して一朝一夕の付け焼刃じゃあない。フットワークは様になっており、繰り出す拳速も迅い。顎に貰えばまずいなと考えていた。

 聖司は後方に下がって距離を取ろうとするも、すぐに距離を詰められる。そして畳み掛けるような拳の連打、連打、連打。ならばと、一気に距離を詰めようと手を出すと、スウェーバックで距離を取る。足を止めない。つかませない。

 決定的なダメージでなくともダメージは蓄積する。相手が冷静に防御に徹するならば、反撃を許さぬ連打を続けて削り切る。そして、相手が連打を嫌がって集中を乱せば、神経節の集中する顎に決定的な一撃を放つ。


 それこそが、対聖司戦を想定した、今の自分にできる最善手であると白沢は考えていた。


 前田道場は、聖司を除けば二人しか門下生のいない潰れかけた道場ではあるが、教えているのは中世よりその技を連綿と受け継ぐ古流柔術。相手の攻撃を受け、捌き、制圧する。特に人体の反射を利用し、相手を効率的に無力化する技術に関しては他の追随を許さない。


 ましてや。そう―――ましてやである。

 相手は怪物、高島聖司。全身に目があると評されるほど卓越した戦闘勘を持つ彼相手では、生半可な攻撃は全て捌かれ、掴まれれば最後。瞬く間に床にたたきつけられるだろう。


 故に、攻略に必要なのは一撃の重みではなく、スピードと手数なのだ。事実、今のところ、聖司に反撃を許していない。

 白沢は、自分の戦法が少なからず聖司に対して効果を表していると確信していた。しかし、いつまでもは続かない。こちらの体力が尽きる前に必殺の一撃を入れる必要がある。そう考えた白沢は聖司の死角に入るため、右手側に重心を落とした。

 その刹那―――。


 聖司の姿が、白沢の視界から消える。


「―――!?」


 それを不思議に思う間もなく白沢は宙を舞っていた。




 それは、ほんのわずかの隙だった。


 白沢は、試合開始からトップスピードで拳を振り続けていた。フットワークも使って聖司をかく乱しようともした。

結果として、蓄積した疲労から、必殺の攻撃に入るためにほんのわずかの隙を生じさせてしまった。それは一瞬でしかなかったような隙である。しかし聖司は、予めそのタイミングが解っていたかのように、速やかに、流れるような動きで相手の拳の下に潜ると、足元から担ぎあげるように相手を背中で投げたのだ。


「あぐっ!」


 伸びきった手のせいで、受け身をまともに取れずに道場の地面にたたきつけ

られる白沢。体勢を立て直そうと地面に手を着くも、後頭部にコンと軽い拳骨

を食らって観念する。


「一本だな」

「うぐぐぐぐぐ……。」


 がくりと地面に倒れたまま、大きく項垂れる白沢。心の中では滂沱の涙。男泣きである。


「また、負けた・・・・・・。」

「13勝目だな。」


 胴着を直しながらカラカラと笑う聖司。白沢が先ほど与えていたはずのダメージなどどこ吹く風である。


「なんなんですか、先輩。相変わらずやばい薬でもやってんのかってくらい強いですね」


 口を尖らせる白沢の言葉に聖司は心底愉しそうに笑う。


「でも、白沢、強くなったな。今回は俺も驚いたぞ。」

「うぐ・・・・・・。」

 白沢は、聖司の、嫌みなど欠片も籠もってない優しい声に、少し赤面して口ごもった。聖司は、自分にも他人にも厳しい。だから、誰に対する評価でも決して嘘はつかないし、飾ることもない。だからその言葉は、心からの賞賛だった。

 ちょっと感激している自分に気づき、ブンブンと首を振る白沢。忘れてはいけない。目の前にいるのは、いずれ倒すべき敵である。


「それでも、先輩に通じなきゃ意味がないっす。先輩、どうすれば僕は勝てましたか?」

「そうだな。フットワークは良かったんだが、過信しすぎても良くないかな。体力が無限に続くわけじゃないんだ。全力で動き回れば消耗も早いだろ?折角、アウトファイターとしてのスタイルを身につけてるんだからすぐに決めようと思わずに距離を取って休んでみるのもいいかもな。」


物すごく優しい顔で、白沢の綺麗なおかっぱの髪をくしゃくしゃと撫でる聖司。質問には半分だけ答えて、やめた。


「次は、勝ちますよ。」

やっとのことで立ち上がると少しだけ、背伸びをして聖司と同じ目線になって白沢は再戦を誓う。


聖司は何も言わずに満面の笑みを浮かべると、もう一度白沢の頭を撫でた。


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