英雄小話09 : 心のマフラー(中編)
曇天の低い空を背に、捨てられた立体駐車場の縁で四つの影がゆらりと揺れる。戦闘開始の合図だ。
しかし、先に仕掛けるのはMSDマン。
足元のコンクリが強く押し蹴り込んだ脚力で抉れた。
地面が凹んで砕け、白い粉が弾けてヒーローは跳ぶ。
その様はまるでミサイルの発射のようで、移動では無く、それが破壊の業だという現実を叩きつける。
赤い閃光となったそれは、斜めに、一直線に空を裂き、周囲の景色を歪めながら突進する破壊現象だ。
「まずは——1人!」
狙うは、最も“余裕で笑っている”影へ。
ターバン、ローブ、場違いで薄気味悪さ以外何もない。英雄因子の起動共鳴も最も微弱。
明らかな、雑魚。
「いきなり私かーーー」
何か言いかけたが、言い終わる前に、飛来する鉄拳が爆撃のように軽薄な影の身体に着弾。空気の爆ぜる音をたてながら突き刺さる。それ は身体の重要な骨を確実に砕く異音を立てながら、なお衝撃は微塵も消えない。
轟。
身体が、遥か彼方へ飛んでいく。
最上階の縁を越え、空に投げ出され、次の瞬間には——「点」になった。
血まみれの白衣の女が、両手を叩いて笑った。
「すごいすごいすごい! ねぇ、すっごぉい!!」
頬を赤くして、子どもみたいに。
仲間がやられた驚きや不安など微塵もない。飛び上がりながら手を叩いて喜んでいる。
笑い声の途中に、ザザ、と一瞬だけノイズが混じる。
「なんだ?テメェら。薬でもキメたヴィラングループか、それともただの馬鹿か?」
怪訝な顔を浮かべながらMSDマンはポケットに手を突っ込んで問う。
残った3人は見れば誰も動揺しておらず、三者三様の表情でMSDマンを見下ろしている。
「自己紹介がまだだったな。答えよう。我らはクライシスゲート。人の欲望、怨恨を叶える企業」
長めの桃色髪を後ろで束ね、端正な顔の半分を伸びた前髪で隠しながら、冷徹にMSDマンを見据える男が口を開く。白いロングコートを羽織り、細長いメガネはインテリジェンスすら感じるが、纏う空気は完全なる戦闘者だ。
「俺の名は猫彦。クライシスゲート、第四課 課長だ。そして、今さっきお前が吹き飛ばした男は、第二課 課長グラザス。そしてーーー」
猫彦が血濡れの白衣を見に纏った不気味な女に視線を流すと、白衣の女は不器用そうにニタァと笑って手を小さく振る。
「し、主治医の殺人医師です。」
「第三課 課長だろ、お前は」
軽く女の言葉を流す猫彦を尻目に最後の1人が手元の杖をカンと鳴らして口を開く。
「我が名はウェイテル。クライシスゲート第一課を束ねておる。我々を今さっき貴様が吹き飛ばした雑魚と同じに考えぬことだ。」
傲慢に言い放つ。その自信を裏付けるかのように、男から発せられる因子の鳴動は確かに、それなりの出力を放っている。
ーーーBイコールくらいはあるな。女の因子はCくらいか。メガネはわかんねーな。
「なるほどね。お前らの組織、一応報告は受けてるぜ。そこそこやるらしいじゃねぇか。でも、間抜けだ、お前らは。」
「ほう?」
間抜けという言葉にピクリと反応するように、片目を閉じてMSDマンを見やるウェイテル。
「俺を前に幹部が雁首揃えて出てくるなんてよー。クライシスゲートだっけ?今日で終わりだぞ?」
強烈な因子の青光が、爆発する奔流でMSDマンを包む。支部長クラスの強さが如何なるものかを、波動し明滅するそれが何よりも雄弁に語っている。
だが、ウェイテルは動揺する姿を見せない。
時代退行した、魔法使いの様ないでたちの翁は、鬱陶しそうに顎を撫でた。
「……面白い」
静かに言い、指を組んで手印で空を切る。澱んだ空に、指に追走する五行の光が、世界の解像度を著しく乱し始める。
次の瞬間ーーー
駐車場の壁面から、鉄骨が“剥がれた”。
本来ならボルトで固定されているはずの骨が、ぐにゃりと曲がり、粘土のように溶け、蛇のように唸り声を上げながら這い出す。
鉄が、生き物のようにうねりながらMSDマンに突進する。
「おいおい……マジかよ」
MSDマンは笑う。
笑いながら、足を動かす。
鉄の蛇が噛みつく。
コンクリの塊が弾丸のように飛ぶ。
壁の一部が引き剥がされ、鉄骨とブロックが乱打する大小様々な礫となって降り注ぐ。
MSDマンは、事もなげにそれを回避し続けると、蹴り上げた鉄骨を足場にして跳ぶ。
回転しながら、落ちるコンクリの隙間に身体を滑り込ませる。
土煙が舞い、視界が白くなる。それでも迷わない。
「距離詰めりゃ終わりだろ!」
MSDマンがウェイテルへ突っ込む。
手印を結ぶ老齢の男へ、渾身の——ローリングソバット。
踵が側頭部へ吸い込まれる——はずだった。
見えない壁。
ガン、と硬い音がして、MSDマンの蹴りが止まった。
空気に蹴りを入れたのに、そこに“面”がある。
「……は?」
ウェイテルは眉も動かさない。
ただ別の手印を組む。
天井が崩れた。
轟音。
上階に放置されていたスクラップ車両が、悲鳴の様な金属音を引きずりながら落ちてくる。
狙いはMSDマンだ。
回避——間に合わない。
「っ、クソ——!」
潰れる。
車体が落ち、コンクリが砕け、粉塵が爆ぜる。赤茶けた鉄の雪崩。
MSDマンを一瞬で飲み込み、スクラップの下に隠す。
ウェイテルが、片目を閉じたままその様子をじっと見つめている。
「……やったか」
静かに言う。
確認の言葉。
だがすぐに、声が返る。
「——やってねぇよ」
低い笑い声が、スクラップ車両の下から響く。
次の瞬間、車が間歇泉の爆発の様に遥か上空へ跳ね上がる。
鉄片やボルト、破砕された自動車のパーツが雨のように降り注ぎ、立体駐車場の床音を立てて突き刺さる。
煙の中から、MSDマンが何事も無かったように立ち上がる。いや、正確には違う。MSDマンの周囲にはこれまでよりさらに強い青光ーー英雄因子の起動光ーー と、それすら塗り替える勢いで首元で燃える赤光。そう、つまりはそれこそがーーー
「英雄因子。『心のマフラー』」
朗々と唄うように、自身の英雄因子を呼ぶ。
支部長クラスの英雄因子。支部長クラスの因子として見れば、MSDマンの持つ英雄因子のBプラスというランクは決して高いものではない。
だが、支部長の意味とは、“支部の反乱を単独で制圧できる”こと。
その意味を今、まさに証明せんと吠え猛る首の焔が煌々と世界のルールを書き換え始める。
降り注いだ数多のスクラップ。打ちつけた鉄骨、貫いたガラス片。その全てを逃げ場なくその身に受けたはずのMSDマン。
砕けたはずの骨は、もう繋がっている。
裂けたはずの肉は、もう塞がっている。
それどころか、充溢するオーラは爆縮を繰り返しながらより強く、巨大に膨れ上がる。
再生と強化、それもあり得ないほどの速度と強度で。時間を巻き戻したかの様に不自然に、かつ高速で再生された肉体は、傷ついた分だけ強化される。
思考はクリアだ。
MSDマンはこれまでの数手で起こった出来事を思い出し、敵の英雄因子を考察する。
「……空間支配系の能力者か?物質創造か?やっぱBイコールクラスになると流石にヒリつくな」
MSDマンは笑った。
「でも、まぁ。それくらいで負けてたら支部長なんざ、ハナから貼ってねぇんだわ」
ウェイテルがチッと小さく舌打ちをする。
「では、次だ」
その瞬間、銀の光が割って入る。
空気が裂ける音がすると、いつの間にか横に立っていた猫彦が突き出したナイフをMSDマンの首元に滑らす。
冷たい目。迷いのない動き。
一突きが確実に急所に滑り込み、腕のスナップで直ぐに手元に引き戻る。敵に武器を捕ませない。
かわして距離を取ろうとすれば、同時に拳銃が鳴り、足元の動きをおいかける様に床に弾痕が刻まれる。先を読み、相手の動きを。正確には意識を刈り取る。
「——っ」
MSDマンが身体を捻る。
疾走する銀光が頬を掠め、ヘルメットの縁が欠ける。
腹を狙うナイフ。
避けたはずなのに、刃先が服を裂く。浅い。だが正確に捉え、回避されたことすら次の動きに繋がっていく。
猫彦の動きは“選択肢を潰す”動きだ。
撃つのは当てるためだけではない。
避けた先に刃があるように、避け道を作り直すために撃っている。
そして近距離はナイフが、中距離は銃弾が、そしてゼロ距離すら肘で絡めとる。
MSDマンは舌を巻いた。
「やるじゃねぇか……!」
本来多少のダメージなどMSDマンには何の関係もない。ナイフなど致命に至ることなどない。口径の小さい拳銃などもってのほかである。
しかし、猫彦は英雄因子を起動させる素振りすら見せず、正しく眼前の人間の命を奪う的確な動きをする。
無駄がなく、素早く、確実に。
それは、もはや超常の力に慣れ、人を超えてしまったと言っても過言ではなかったMSDマンの、“人としての危機感”を揺さぶり起こして、ヒーローをただの人に引きずり下ろしていた。
ナイフと拳、銃の牽制。
その全てが、MSDマンの次の一手を読んで、先回りするように置かれる。盤上の一手を常に予測し、選択を強制させることで成立するパズルを、MSDマンレベルの戦いで確実に成立させる。
MSDマンが笑う。
楽しくて笑う。眼前の敵の美しい戦場格闘術に、不意に酒場で飲んだくれる古い知り合いの顔が浮かんで消えたからだ。
猫彦は表情を変えない。
「シジミのおっさんを思い出すなぁ。やるじゃねぇか!」
「余裕綽々だな。」
ふぅと短く息をつくと次の瞬間、銃口がMSDマンの喉を狙い、同時にナイフが足首を削る。
MSDマンは無理やり踏み込む。
痛みは来る。だが折れない。
《心のマフラー》が燃え、傷が塞がる前に、次の痛みが来る。
それでも身体が前に出る。
猫彦の動きが一瞬、止まる。
「気をつけろ。血の雨が降るぞ」
止まったのは迷いじゃない。
“上”を見たからだ。
空が——落ちてくる。
無数のメス。
キン、と細い金属音が空気を切り裂く。
刃は雨のように降り注ぎ、MSDマンは咄嗟に跳んだ。
避ける。
避けたはずなのに——
メスが、曲がる。
物理法則を無視して、誘導されるように回り込み、MSDマンへ刺さる。
「っ、……!」
腕に一本。肩に一本。脇腹に一本。
刃が皮膚を裂く感覚が遅れて来る。痛いというより、冷たい。
MSDマンは歯を見せて笑った。
「……ただのメスじゃねぇな」
刺さった刃を掴む。引き抜こうとして——動かない。
「俺の因子の防御、簡単に破りやがる」
その声に、殺人医師が震えた。
駐車場の縁、手すりに指を掛け、恍惚の表情。
頬は紅潮し、目の下の隈が濃い。血に濡れた白衣が、整った顔をぐちゃぐちゃに掻き回している。
「ぁあぁあ!!」
声が裏返る。喜びで。
「そんな目で、私を見ないで!うふふ」
笑いの途中に、ザザ……とノイズが混じる。
ラジオの雑音みたいな電波が、言葉の間に挟まる。
「生きようとする意志! 明日を信じて疑わない心! 愛してる! 殺させてぇ!!」
刺さったメスが、動いた。
MSDマンの腕で止まっていた刃が、再度、意思を持ったように滑り——切断。
「な——!」
腕がぼとりと落ちる。
痛みと驚きで身体が止まったその一瞬。
そして、その一拍を、猫彦が見逃すはずなどなかった。
猫彦が体を崩す。
足捌きが速い。影のようにぬるりと背後へ回り込む。
拳銃がMSDマンの首を抑え、ヘルメットと皮膚の隙間に銃口が添えられる。
距離ゼロ。確殺の角度。
引き金。
バン。
ヘルメットの奥で、音が弾けた。
硬いヘルメット内で銃弾が跳弾し、その中身をかき回して破壊する。バイザーの内側が血で濡れて隙間から涙のように流れ落ちた。
遠くで両頬に手をあてて楽しそうに見ていた殺人医師があはぁと色気のある吐息を漏らす。
「英雄因子はぁ、頭。脳に付けるものですからぁ、再生能力のある患者さんわぁ、頭を潰しちゃうのがいいと思いますぅ」
MSDマンの身体が、その場で力を無くした人形のように膝から崩れ落ちる。
猫彦は冷たい目で見下ろす。
そこには勝利の快感などはなく、ただの手順の終わりでしかない。
銃をホルスターに納める動作が、綺麗すぎるほど手慣れている。
「終わりだ」
短く言った。
駐車場の埃が、ゆっくり落ちる。
曇天の下、3人の影は揺らがない。
MSDマンは崩れ落ちたまま、動かない。
——動かない、はずだった。




