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MJ(英雄小話)  作者: にわとり
英雄小話
17/24

英雄小話09 : 心のマフラー(オープニング)




はじまりは、潜伏先の集合住宅で見かけた間抜けな広告だった。


『あなたの欲望叶えます。貴方の恨み晴らします。犯罪代行 クライシスゲート』


A4の色付きコピー用紙に、そうデカデカと臆面の無い宣伝文句。一瞬で信用とやる気を削がれる、素材共有サイトの間の抜けたイラストが紙面で踊る。



俺はかつて、多くの部下を持つ犯罪組織を束ねていた。粗悪で低ランクであったが、部下には英雄因子を持たせていた。英雄機関など恐るるにあたわないと信じていた。


しかし、結果は惨敗。


たった2人のヒーローによって、組織は壊滅したのだ。支部長であるMSDマンとは、直接戦った。奴の英雄因子は理不尽の権化だ。何度やっても、いや、生まれ変わったとしても勝てる気がしない。


自身が強者だと信じていた俺は、奴の強さに泣き喚きながら、命からがら、逃走することしかできなかった。


痛みが頭の中で鳴り響く。


この痛みを取り去らなくては、俺はこれから生きいけないのだ。


そうして、俺は電話機を取った。





ー*ー






くすんだ黒と鈍い金が、部屋の輪郭を締めていた。


大理石に似せた壁は模様が少なく、冷たく整っている。

床は深いチャコールグレーのカーペットで足音を吸い、天井から落ちるダウンライトは明るすぎない。——明るすぎないのに、影だけがしっかり残る。


窓はない。

正確には、片側の壁がスモークガラスになっているだけで、外の景色は一切見えなかった。

見えないのに、見られている感じだけが残る。天井の黒い点が、監視カメラにも、ただの意匠にも見える。


中央にガラス天板のローテーブル。

その向こうに黒革のソファ。沈む硬さのやつだ。座ると勝手に姿勢が崩れる。

反対側には、ひとり掛けの重い椅子が置かれている。オフィスチェアではない。仕事道具というより、座るだけで「ここが上座だ」と言い張る家具。


刺青の男は、ソファに腰を落としていた。


胸元から覗く刺青は、見せつけるためのものだ。

腕の太さも、首の太さも、普通じゃない。喧嘩慣れしている体格。

それでも——背筋は無意識に固くなり、指先はテーブルの縁を何度も撫でている。


正面にいる男を前にすると、呼吸の仕方まで意識しなければならなかった。


社長・ミスト。


白いスーツ。寸分の乱れもない。

揺るがぬ体躯。整った姿勢。

そして顔には、鬼面——人間の表情という概念を、最初から捨てたような面が付いている。


なのに、そこから聞こえてくる声は、しわがれていた。

高齢の男の、乾いた喉の声。

姿と声が噛み合わない。その不一致が、対面に座する刺青の男の胃を冷やした。


「……で」


ミストが、短く言った。


机の上には契約書類が整然と置かれている。

万年筆、名刺入れ、ガラスボトルの水。

どれも完璧に“企業の応接”なのに、どれも人間の温度がない。


刺青の男は、笑った。笑えたつもりだった。


「依頼だ。暗殺を頼みたい」


声が少しだけ上ずる。

それを隠すように、彼は言葉を強くした。


「英雄機関のヒーローだ。……しかも支部長。第一支部長、MSDマン」


ミストは頷きもしない。

面の奥で、何かが動いた気配すらない。


「ほう」


それだけだ。


刺青の男は、懐から厚い封筒を取り出し、テーブルに置いた。

紙の擦れる音が、やけに大きく響いた気がした。


「金は積む。かなりの額だ。こっちも命懸けなんでな」


ここは“客”だ。依頼をする側だ。

そう自分に言い聞かせるように、男は肩をいからせた。


ミストは封筒を見ない。

水のボトルにすら手を伸ばさない。


「構わんよ。むしろ手頃な標的だ……こちらも名前を売る良い機会だからな」


しわがれた声が、淡々と続く。


「斃すには丁度良い相手だ。……受けよう」


刺青の男の喉が鳴った。


(……即答?)


支部長クラスだぞ。

英雄機関の“支部長クラス”は、数字じゃ測れない怪物が揃っている。それは俺が1番わかっている。

相手が誰であれ、受けると言うのは——


刺青の男は、強がるために鼻で笑った。


「……軽いな。冗談か?それとも、英雄機関に俺を売るつもりじゃないだろうな?」


そして、問いを投げる。

震えが止まらないが、虚勢を張るしか無かった。


「あんた、知らないわけじゃないだろうな?」


男は身を乗り出した。ソファが沈んで、余計に前のめりになる。


「MSDマンは……いや、支部長クラスがどれほど強いか」


「だ、そうだ。お前たち、どう思う?」

代わりに——部屋の空気が、ほんの一歩だけ暗くなった。


スモークガラスの向こうではない。

部屋の中だ。


闇が、そこにあった。


ゆらり、と影が増える。


白衣の裾が揺れた。

薬瓶のカチリ、と小さな音。消毒液の匂い。

頬が紅潮した女が、両手で頬を押さえながら興奮気味に笑っている。


医者か?嫌、根本的にズレている。

それは、人間としてと言うだけではない。存在そのものが、この世界から排斥されたような。そんな恐ろしさ。

ボサボサのショートヘア。目の下には厚い隈。血で濡れた白衣。そうした要素が、元々の整った顔をぐちゃぐちゃに掻き回して混沌を成していた。


「アハッ! MSDマン!!!」


声が弾む。子どもみたいに。


「どんな人かな!? 早く、診察させてぇ!!」


ミストは振り返らず続ける。


「紹介しよう。彼女は殺人医師。」


さらに、照明が一拍ズレた。


光が揺れ、空間の解像度がわずかに変わる。

本当は最初からそこにいたのかもしれない。

老齢の男が、杖をつき、顎を撫でた。紫の宝玉が鈍く光る。カツカツと音を立てながら自信満々とでも言うように笑っている。


「実証実験無くては研究は完成せぬ」


「せっかくだ。我が力、存分に試させてもらおう」


ミストはそれに短く答える。


「存分に示せよ、ウェイテル」


湿った空気が混ざった。


笑い声が、どこからともなく転がってくる。

姿が見えた時には、もうそこにいる。舞台の袖から現れた役者みたいに。場違いなターバン。黒くくすんだローブ。そして、張り付いた下卑た笑い。絶対に信用してはならない、見た瞬間にそれを確信する軽薄さと禍々しさ。


「私もただ飯を食うのは申し訳ないからね」


ニヤリと邪悪に笑い、楽しそうに言う。


「演りたい演目があるんだ。そろそろ舞台に立たせてもらうよ」


ミストは短く笑って続ける。


「存分に遊び掻き回すが良い。グラザス」


最後に、初めからミストの横に立っていた秘書のような男・猫彦が、三人の様子に辟易したように短いため息をついて続ける。


「安心して下さい。我らは今は無名の組織だが、既に何人かは支部長クラスと闘った経験もある。」


「やられた奴もおるがな」


煽るようにグラザスに視線を流すウェイテルに、グラザスは楽しそうに笑いながら肯定する。


「クハハハ!葛藤のない人間など壊れた人形よ。改めて壊す気も起きんだけだ」


「フン、それが負け惜しみでないことを祈るぞ」


猫彦は小競り合いを広げる2人を睨みつけると、関係ないかのように続ける。


「ともかく。支部長クラスだろうが関係ない。むしろ、ある程度はやってもらわねば、我々クライシスゲートの恐ろしさは知らしめられないということです。」


刺青の男は、背中に汗を感じた。

支部長クラスを見てもなお、大したことではないと言いたげに話す目の前の男達に。


そして、異様な圧迫感に。


本来は金で雇える連中じゃない。

金で動くからこそ、怖い連中だ。


それを理解した瞬間、身体の芯が冷える。

“そら寒さ”というやつだ。笑えないほうの。


ミストが、ようやく言った。


「丁度良かったのだ、我々としても」


しわがれた声が、鬼面の下から落ちてくる。


「見せてやろう」


ミストは椅子に座ったまま、両腕を広げる。

部屋の中心がそこになる。


「クライシスゲートの四大戦力がいかなるものか」


ミストは刺青の男を見る。

見られた瞬間、刺青の男は“客”でいられなくなる。


「貴様にも、世界にも、な」


刺青の男は頷いた。

頷けたのは、頷く以外の選択肢が見当たらなかったからだ。


ガラスの向こうは相変わらず見えない。

それでも、見られている感じだけが強くなる。


ーーーとんでもない連中に依頼をしたのだ。


そんな確信と後悔が、刺青の男の内面に渦巻いていた。





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