英雄小話08 : ロッズ(前編)
ーーー人差し指で方向を定め、親指で距離を測る。
何度も何度も、数えきれぬほど繰り返した戦いの儀式。今日も何一つ変わらず、戦場に立ち、使命を果たす。
あぁ、いつも通りだ。
俺はまだーーーブレていない。
ー*ー
ーーーお父様。教えてください。お父様はなぜ、生きているのですか?
そんな質問をされたとき、戸惑ったのを覚えている。言外に生きる価値を否定されたと思ってしまった。
ーーー僕たちは生きたいと願って生まれたわけではありません。でも、僕たちは当たり前のように生きていて、今も生きようとしています。
子どもの顔をまじまじと見たのはいつぶりだったろうか。泣きそうな顔。顔にできたばかりの傷があることに気付いたのは、あのときが初めてだった。
ーーー死ぬことは苦しいですかね。
自分が戦場で殺してきたヴィランたちを思い出す。吹き飛んで表情すらわからない敵も多かったが、きっと苦しかっただろう。
ーーーでも、生きることが同じくらい苦しかったら。生きる意味が無いのだとしたら。僕たちが生まれたときとは違って、生きることも死ぬことも選べるとしたら。生きることと死ぬことは同じことではないですか。
何を言っているのか分からなかった。
生きる理由なんて俺は考えたことが無い。そんなものが無くたって人は生きなければならない。
どうせ人間いつかは死ぬ。わざわざ早く死ぬ理由なんて、それこそ無いだろう。
ー*ー
第六支部管轄エリアにおいて、支部が置かれているネフログラードを除いて、ヒーロー達の仕事はほとんど無かった。それは決して、平和だったということでは無い。単純に、周囲の自治区にはヒーローを雇用するための報酬を支払うほどの余裕が無いからである。もっとも。裏を返せば、それはヴィランに狙われる可能性も低いということを意味していたのだがーーー。
ー
10年前、世界を未曾有の大災害が襲った。と、されている。
というのも、破壊は確実にあったのだが、それをきちんと記憶している者は誰もいないからである。
なぜなら、10年前のあの日を境に、全ての人々から、それ以前の記憶は完全に消え去っていたからだ。
世界はまさしく一度、滅びたのだ。
それでも、人は生きることだけはやめなかった。明滅する生きるための知識。記憶。残された設備や機器のマニュアル。そして、英雄機関のヒーロー達が、中心となって世界は少しずつ立ち上がり、そして10年という時間をかけて、大きな発展を見せつつある地区も確かに存在する。
ー
しかし、ここバオアン自治区は、そうした都市の復興を尻目に、ただ眠るように滅びを待つ都市の残骸だった。ここに暮らす僅かな人々は日々を生きることに精一杯で、上を見るためには、ヴィラン活動に身をやつした方がずっと早く、利口に思えた。
大災厄前は人が行き交い、経済を動かしていたであろう街は、今は何も生み出せない都市の墓場のように、僅かにそこで生きる人々をその暮らしごと飲み込んでいた。
とうに外壁が崩れ落ち、鉄骨が露出したビルの天井を潜る。崩壊する鉄鎖の無機質な匂いと、不衛生な生活を贈る人々の据えた臭いが鼻につく。
天井を無造作に這う電源ケーブル。
赤茶けた錆に覆われた、腐りかけのドラム缶で、雨水を貯め、敗れかけのシートをテントがわりに、人々は暮らしているようだった。
「オレグ様。まさか、貴方ほどのランクの方が出動してくださるとは思いませんでした。」
杖に手をつきながら恐縮して頭を下げる老人は、バオアン自治区のリーダー、ユーリ・バオレン。この滅びかけた自治区で、住民からなけなしの金を集め、英雄機関にヒーローの出動依頼を出した、言わばお客様である。
第六支部管轄において、ネフログラード以外での出動依頼はほぼ前例が無い。だからこそ、営業活動の一環で、本来は単価の都合で出動すべきはもっと低ランクのヒーローが選ばれるはずであったのだが、俺に出動命令がかかったのだ。
とはいえ、俺にそれ自体への不満はない。
俺にとっては何処で戦い、自身にどれだけの価値が与えられるかはどうでも良いことだった。
ただ、戦うための場所を与えられ、戦う理由を与えられ、戦い、任務を達成すること。
それだけが、俺の全てだったのだから。
ー*ー
ユーリ老からの依頼は簡単に言えば、連続誘拐事件の解決だった。元々この自治区の若者は、一定の年齢になると、この地区を出ていくものがほとんどだ。単に他の地区に仕事を求めていくものもいれば、ヴィランになる者もいる。しかし、今彼らが直面していた問題は、一定年齢になる前の子供たちが、誰にも行方を知らせることなく姿を消すことであった。
都市部でそういったことが起これば、大抵は身代金目的であり、金さえあれば多くの場合は無事に戻ってくる。もっと金があればヒーローを雇用して解決することもできる。
だが、こういった金の無い人々の子どもが拐われる場合は、大抵はひどいことになる。戻ってこないことがほとんどだった。
だから彼らは無理をして金を集めた。
これ以上、貴重な労働力を失うわけにはいかなかったから。
ー*ー
墓標のようなビルの隙間を縫って通る風が泣き声をあげる。どんな悲鳴をも飲み込んでしまうような声だ。
俺は使われなくなって久しい廃工場の前に立っていた。拐われた子どもらはここに一旦集められ、そして何処かに出荷される。そして2度と戻って来ない。
廃工場内部には武装したヴィランの集団あり。数は最低でも30人以上。英雄因子の波長をも確認済。そこまでが第六支部の事前調査班が掴んだ情報だった。
戦闘になる。
第六支部に報告。接敵開始。
本部へ能力使用の承認を。
ー
ーー
承認受諾。10g級制限解除。1,000g級2発まで承認。1,000,000g以上の使用は禁ずる。
以上。
ーー
装着したヘッドモジュールから本部からの連絡を読み上げる支部職員の声が響く。
充分だ。
コートのポケットから小型のドローンを放つ。報告と監視の両方の役割を持つこのドローンは、あまりに強力な俺の因子が不必要に振るわれないように戦闘状況を常に本部に流すことになっている。
錆切った鉄門の前に立つ。
人が開くことを想定していない、機械仕掛けの巨大な扉。
人差し指で方向を定め、親指で距離を測る。
静かに、息を吸い込むと同時に、俺の足元から青い光が立ち上がる。
あぁ、いつも通りだ。
ーーー英雄因子。
何もないはずの背後で、空間が軋んだ。
空気が圧縮される低い悲鳴。
コートの裾が前方へ引かれる。
質量が、出現した。
曰く、それは金属製の杖のようであるらしい。
振り返ることは無い。俺はいつものように、構えを取りながら、背後で増大する質量を気配で感じ取っていた。
ーーーまだ。
ーーーーーーまだだ。
ーーーーーーーーー行け、ロッズ!
銃を撃つ振りをするように構えた右手を弾く。
次の瞬間、背後の質量は消えていた。
直後、空気の壁が背中を叩く。
遅れて、地面が震えた。
見えない何かが一直線に通過した瞬間、
鉄門の中央に円形の“欠落”が生まれた。
次の刹那。
遅れてきた衝撃が世界を叩く。
門が、消し飛んだ。
吹き飛んだのではない。
外側へ弾けたのでもない。
中心から、存在そのものを削り取られたように、
数十トンの鋼鉄が霧状に散った。
背後の廃ビル群の窓ガラスが同時に割れる。
錆びた鉄骨が悲鳴を上げ、
地面が波打つ。
直線上にあったものすべてが、
時間を置いて崩壊を始める。
工場の天井が一拍遅れて落ちた。
支柱が、上半分だけ失われている。
重力に耐える理由を失った構造物が、
ゆっくりと、そして一気に潰れた。
瓦礫の雨。
粉塵が壁のように押し寄せる。
背中を叩いた衝撃波がコートを身体に貼り付かせ、
足元の砂礫が前方へ滑っていく。
「突入する」
マイクにそう呟くと、騒然とする工場内部に向かって歩き出した。
ー*ー
鉄門の残骸を踏み越えると、爆ぜ飛んだ鋼材の断面から立ちのぼる焼けた鉄の匂いがまだ熱を帯びたまま空気に張り付き、粉塵に濁った視界の奥で敵の配置だけがやけに鮮明に浮かび上がっていた。
右、二階の足場。
正面、クレーンの陰。
左奥、コンテナ列。
「入口付近!能力者だ!!!」
怒号とともに、油の切れた機械のように慌ただしく銃が操作される音が重なり、次の瞬間には幾本もの銃口がこちらへ向けられるが、その動きはあまりにも遅く、照準が収束する頃にはすでに次の手順へ意識が移っている。
背後の空間が、質量の発生に耐えきれず低く軋む。
生成位置も、姿勢も、発射に伴う慣性も、すべてが身体の一部として同期しており、振り向く必要すらないまま、空気が一瞬だけ抜け落ちるような感覚とともにトリガーを弾く。
次の瞬間、二階の足場に立っていた男の上半身が、音もなく世界から削り取られていた。
遅れて鉄骨が悲鳴を上げ、足場そのものが崩れ落ちる。
銃声が重なる。
だが弾道は、煙の層を裂く細い線としてはっきり見える。
俺は真横へ滑るように駆け、飛来する弾丸の通過点から身体を外しながら、銃口の位置を一つずつ記憶していく。
遅い。
何より、位置が丸見えだ。
背後で再び空間が圧縮される。
二発目。
三発目。
四発目。
質量が発生するたび、空気そのものが歪み、不可視の柱が空間を貫通するように走り抜け、その直線上にいたヴィランたちの身体は抵抗する間もなく弾け飛び、背後のコンクリートや鉄板ごと世界の一部として抉り取られて消えていく。
英雄因子で生成された弾体に弾切れは存在せず、高速で撃ち出される数十グラムの質量はそれだけで十分すぎる運動エネルギーを持ち、着弾点の物質構造を保持したまま空間ごと破壊する。
工場内の空気が、連続する衝撃波にかき混ぜられて嵐のように唸り、至近距離で発生する圧力差が敵の照準を狂わせ、足場を奪い、引き金にかかった指を空転させる。
「クソったれ!ただの能力者じゃねぇ、散――」
言い終える前に首から上が消え、残された身体だけがその場に崩れ落ちる。
背後で金属棒が生成されるたび、質量の発生に引かれてコートの裾が前方へ持ち上がる――それがそのまま発射の合図になり、俺は歩みを止めることなく次の照準へと移行する。
一歩進むごとに敵が一人減るこの工程は、戦闘というよりも決められた手順を繰り返す作業に近く、思考の大半は次の位置取りと角度の計算に費やされていた。
コンテナの陰から飛び出してきた改造体が、異様に肥大した腕を振り上げる。
強化骨格。
外装プレート。
だが関係ない。
胸部中心。
発射。
着弾と同時に上半身が消失し、背後の壁に完全な円形の貫通孔が穿たれ、その向こう側で何か巨大なものが崩れ落ちる鈍い振動が足元から伝わってくる。
「バケモノかよ……!」
違う。
俺はヒーローだ。
最後に残った集団が、距離を詰め、数で押し潰せば発射動作を封じられると判断したのだろう、怒号を上げながら一斉に突撃してくる。
無駄だ。
背後の空間が連続して軋み、敵の数と同じだけのロッズが生成されると同時に、世界に並行して走る複数の破壊線が交差し、突進していた集団は前進の勢いを保ったまま途中から存在を失って崩れ落ちた。
沈黙が落ちる。
崩れた鉄骨が遅れて床を叩き、どこかで外れたボルトが転がり続ける音だけが、戦闘の終わりを機械的に告げていた。
視線を奥へ送る。
大型コンテナ。
開け放たれた扉の内側に檻。
子どもたち。
痩せた肩。拘束具。怯えた目。
生存。
それだけを確認し、意識を切り替える。
その瞬間、低く唸るエンジン音が工場の外壁越しに響いた。
振り向く。
裏口のシャッターが内側から弾け飛び、歪んだ鉄板とコンクリート片を撒き散らしながら、重装甲の車両が強引に外へ躍り出る。
シェルター級。
対因子装甲。
逃走用に用意されていた指揮車両だろう。
判断は正しい。
通常火器では止まらない。
並の英雄因子でも貫通は困難。
だが――
俺は再び構えを取る。
人差し指で方向を定め、親指で距離を測るその動作は、戦場における思考の代替であり、照準と同時に呼吸と心拍を同期させるための儀式でもある。
背後の空間が歪む。
質量が増えていく。
コートが前方へ引かれ、床に散った粉塵が逆巻いて浮き上がる。
本部に許可された、たった2発のロッズ。
これは10gのそれじゃない。
――自然と、独り言が漏れる。
「俺の英雄因子、ロッズは俺の背後に金属棒を生成し、マッハ8以上で撃ち出す能力。」
装甲車が瓦礫を跳ね上げながら加速し、工場の出口へ向けて一直線に走る。
「生成した質量は、俺のチャージ時間と共に増大していく。10g級で人間の身体は消し飛ぶ。仮に英雄因子の防御があっても質量を少し増やすだけで無意味となる。」
背後の空気が、耐えきれず悲鳴のような圧縮音を上げる。
「そしてーーー。もう一度見せてやる。これが1,000g級のロッズ。」
発射前から衝撃波が周囲の壁面を震わせ、吊り下がっていた照明が一斉に砕け散る。
「装甲など、もはや何の意味もない」
右手を弾く。
銃声はない。
ただ、装甲車両の中央部に――
欠落が生まれる。
物質が破壊されたのではない。
そこに存在していたはずの構造が、因果ごと切り取られて消失した。
一瞬の遅延。
次の瞬間、
世界が爆ぜた。
前後を繋いでいた慣性が断ち切られ、質量の行き場を失った車体が内側から破裂し、複合装甲もフレームも関係なく内部構造を撒き散らしながら宙に浮き上がる。
地面が波打つ。
外壁が内側から剥がれ、工場そのものが衝撃に耐えきれず軋む。
遅れて到達した圧力の壁が俺の身体を叩き、コートを肌に張り付かせる。
炎が上がる。
空中で分解された残骸が回転しながら落下し、もはや車両だった形状を保っている部位はどこにもない。
「だから、無駄だ。全てーーー。」
任務完了。
未搬送の子どもらの回収に成功した。
敵の完全な殲滅を確認。
了解。
依頼者への簡易報告後、支部に帰投する。
ー*ー
そうして俺は今日も何一つ変わらず、戦場に立ち、使命を果たした。
あぁ、いつも通りだ。
俺はまだーーーブレていない。
次のお話は小話07 :他我合一(後編)です。小話08 後編はその後に掲載予定です。




