英雄小話06 : 正義の剣(後編)
改めて、鉄爪を持つ異形をまじまじと捉える。
人型ではある。
だが――人ではない。
武器として異常な進化を遂げた右腕。
その鉄爪を支える腕は、常識外れに長く、太く、筋肉と装甲が歪に盛り上がっている。
対して、武器として使われないであろう左腕は、極端に退化し、肩口に縮こまるように貼り付いていた。
濁った硫黄のような色をした肌。
そこにはいくつもの機械部品や装甲板が、まるで子供の悪戯のように無理やり縫い付けられている。
顔面は薬品で溶かされたかのように歪み、
喉の奥から、怨嗟とも苦鳴ともつかぬ声を漏らしていた。
――なんだ、これは。
魂そのものを冒涜したかのようなその姿に、
マエルの心の奥が、ざわりと波立つ。
だが――目は逸らさない。
銀の剣を払う。
止められていた鉄爪は行き場を失い、
そのまま地面へ叩きつけられた。
轟音。
アスファルトが砕け、爪が深々とめり込む。
その瞬間、マエルの姿勢が低く沈んだ。
次の刹那――高速の刺突。
銀の閃きが異形の胸部を貫こうとする。
だが。
激しい金属音。
剣先は弾かれ、火花だけが散った。
「……肌の部分なら通るかと思ったが」
わずかに眉を寄せる。
「そこすら、この硬さか」
舌打ちと同時に身体を捻り、連続の斬撃を浴びせる。
だが結果は同じ。
刃は滑り、火花を散らすだけだった。
おそらく、大口径の銃でも貫けないだろう。
そして何より――
獣じみた反応速度。
それに完全に追随する身体能力。
大振りなはずの鉄爪が、
不釣り合いな長さの腕によってさらにリーチを伸ばし、襲いかかる。
風を裂く重い軌道。
頬を掠める寸前で身を捻る。
回避動作の最中、マエルは静かに呼吸を整えた。
間合いの情報を修正する。
――長い。だが、単調だ。
爪の動きにも慣れてきた。
基本的には、回避可能。
織り交ぜられるフェイント。
回避行動の隙を狙う変則的な爪撃。
それらも、すべて剣で受け流す。
金属音が連続する。
火花が夜を裂く。
戦いの主導権は、少しずつこちらに傾き始めていた。
――その時。
幾度目かの剣戟。
剣と爪が交差し、火花が弾ける。
その一瞬だけは、いかに速いマエルとて動きが止まる。
その刹那。
異形が大きく身体をのけぞらせた。
深く息を吸い込むような動作。
――来る。
次の瞬間。
辺り一面を巻き込むような、
深く、厚い火焔が吐き出された。
濁流のように溢れ出る炎。
マエルは息を呑む。
だが、動きは止まらない。
地面を激しく蹴る。
身体を回転させながら、
致命的な瀑布のような焔の流れから身をかわす。
ほんの、紙一重。
チリ、と布が焼ける音。
軍服の裾の一部が焦げ、
熱が肌を舐める。
次の瞬間には、街路の可燃物が一斉に炎へと変わり、
橙の光が夜の世界を塗り替え始めていた。
ーー
ーーー強い。
交差した剣戟の余韻が、まだ腕に残っている。
なるほど。
部下を何人も手に掛けたのはこれか。
一体誰が、何のために?
何よりどうやって、こんな化け物を作った?
思考は流れ、やがて澱のように胸の奥へ沈んでいく。
……今、そこを考えるべきではない。
短く、息を吐く。
肺の奥まで入れ替えた空気が、鈍った思考を研ぎ澄ます。
視界が、音が、時間の流れが、澄んでいく。
持っていた直刀を、滑らかな動作で鞘へと納める。
庶務官を振り切るほど急いだおかげで、巻き込まずに済んだ。
だがもうすぐ追いつく。
この炎、この衝撃。遠くまで響いているはずだ。
ーーーだから。
「遊びは終わりだ。」
夜気が、ひやりと震えた。
マエルは常に二振りの刀を帯びている。
一本は、美しい銀の直刀。
その冷光は彼女の銀髪と同じ色をしている。
“氷の女傑”と呼ばれる所以。
そして。
もう一振りの柄に、静かに手をかける。
その瞬間。
淡い青の光が、彼女の足元から立ち上った。
幽かな光。
しかし、それは瞬時に、炎に塗りつぶされていた街路の橙を押し返していく。
夜が、青に染まる。
マエルの唇が静かに動く。
ーーー許されよ。許されよ。
誰に聞かせるわけでもない。
これは宣言であり、祈りであり、儀式。
柄だけの刀を、額の前に直角に構える。
そこに刀身は無い。
ただの柄。
刃の存在しない日本刀。
彼女は紡ぐ。
ーーー其は、我が心に立てかけられし司法の剣。
異形が咆哮する。
鉄爪を振り上げ、地を砕きながら突進。
ーーー其は肉を斬らず、骨を断たず。
爪撃を紙一重で躱す。
ーーーただ罪を裁く、赦しの証。
炎が再び吐き出される。
灼熱の奔流が、空間を焼き尽くそうと迫る。
だがそのとき。
柄に、青い光が収束する。
彼女の魂から溢れ出たオーラが、形を成す。
刀身が、像を結ぶ。
冷たい。
透明な。
実体を持たぬ刃。
『英雄因子――正義の剣』
横一閃。
幽霊のような刃が、空間を裂く。
青い軌跡が夜を染める。
異形の吐いた炎が、逆再生された映像のように巻き戻り、溶け、消えた。
刃はそのまま、異形の巨躯を通過する。
当然だ。
その刀に実体は無い。
鋼も装甲も、筋肉も、意味を持たない。
斬るのは肉体ではない。
斬るのは――罪。
マエルは静かに言葉を結ぶ。
ーーーもはや汝に罪は無い。
柄を納める。
音もなく。
異形は、ぴたりと止まった。
糸を断たれた操り人形のように。
次の瞬間。
その巨躯は、力を失い、崩れ落ちる。
金属が地面を打つ鈍い音だけが、夜に残った。
炎は消えている。
ただ、青い光の残滓が、ゆらりと空気に溶けていった。
ーー
パチ、パチ、パチ。
乾いた拍手が、夜の奥から滲み出た。
マエルは即座に振り向く。
闇が、ぬるりと割れる。
ターバンを巻いた男が、そこに立っていた。
笑っている。
「見事。実に見事だ、第二支部長マエル・シュヴァリエ。」
その声は、楽しげで、軽い。
「私が心を込めて作った作品も、あなたの前では木偶だったな。」
マエルは一歩も動かない。
「……貴方は何?
コレを作ったのは、貴方なのね。」
「そうだとも。」
男は優雅に一礼する。
「私の名はグラザス。
故あって、英雄機関のことをあまり知らなくてね。」
笑みが深まる。
「併せて就職活動中なんだ。
ヴィラン組織への売り込みと、君らの実力測定。
その両方を兼ねて、少し作品を作ってみたのさ。」
「……そう。
貴方もヴィランね。」
ザッ。
踏み込み。
銀の直刀が三段突きで閃く。
一撃目、二撃目、三撃目。
見た目に隙の無い連撃。
しかも全てが致命の軌道。
グラザスの身体が三度貫かれ、血が散る。
男はよろめき、後方へ跳ねる。
だが。
「クク……勘弁してくれ。」
血を吐きながら、笑う。
「私は弱いんだ。」
立ち上がる。
刺突の傷が、じわりと歪み、形を変え、塞がっていく。
「それに言ったろう?
今はきみらを知りたいだけだ。
就職活動中なんだよ。」
パチリ。
指を鳴らす。
闇が動いた。
四つの影。
呻き声。
「……!」
マエルが跳び退く。
灯りが照らす。
揺れる身体。
焦点の合わない目。
「ニコラ……レオ……ノア……ユゴ……?」
第二支部所属ヒーロー。
襲撃を受け、治療中だったはずの部下。
正気を失い、獣のような声を上げている。
グラザスは楽しそうに言う。
「そうとも。
最初の作品も元ヒーローだった。
だが少し弄りすぎた。」
肩をすくめる。
「今回はまだ軽度だ。
これから本格的に歪める予定だったんだがね。」
「さあ、どうする?
ヒーロー?」
その瞬間。
ヒュン。
青い光が走る。
四つの身体を、ただ通過する。
足の力が抜ける。
一人。
二人。
三人。
四人。
音もなく崩れ落ちた。
静寂。
焦げた匂いと血の匂いだけが残る。
グラザスの笑みが、わずかに止まる。
「……なんだと?」
マエルは何事もなかったように歩き出す。
部下だった肉体を、踏み越える。
「貴様。何故だ?
当たり前のように切るじゃないか。」
その声には、ほんの僅かな違和。
「何故?」
マエルの瞳は冷たい。
「彼らはもはやヴィランだ。ならば迷いなく差別なく、我が剣は平等に赦しを与える。」
「赦しだと?」
グラザスの口元が、ゆっくりと歪む。
その瞬間。
ヒュン。
「赦しだ。」
青が 冷たく。
グラザスの身体を通過する。
ー*ー
焦げた匂いがまだ夜気に残っている。
アスファルトは黒く溶け、
青の残光がゆらゆらと消えかけていた。
「お疲れ様です、支部長。」
息を少しだけ切らしながら、庶務官が駆け寄る。
戦闘の終わりを確認してから、ようやく追いついたのだ。
「あぁ。」
短い返答。
視線は既に別の方向を向いている。
庶務官は、足元の四体を見下ろした。
かつて第二支部に所属していたヒーロー達。
呻き声も、暴走も、もう無い。
ただ、静かだ。
「残念ですね。」
額を押さえ、小さく息を吐く。
「我らの所属ヒーローが四人も連続して襲撃を受け、
結果としてヴィランの手先となってしまうとは。」
「第二支部の戦力低下も深刻になりますねー。」
本当に困っているのは、戦力の数値だ。
憐憫も悲哀もそこにはない。
マエルは視線を落とさずに言う。
「第一支部から一人貰おうか。」
あまりに自然な口調だった。
庶務官が顔を上げる。
「えー、第一支部こそ慢性的に不足じゃないですか?
大人しく譲ってくれますかね?」
「応じさせるさ。」
わずかに口元が緩む。
「アイツらには貸しがある。」
その言い方は軽い。
冗談のようですらある。
二人は歩き出す。
焦げた路面を踏み越え、
倒れた身体の間を縫うように。
すでに話題は次の人事配置だ。
「支部長。」
医務官の声。
足が止まる。
振り返る。
「この四名は、どのように扱いますか。」
その問いは、形式上のものだ。
マエルは数秒だけ視線を向ける。
冷たい銀色の瞳。
感傷はない。
「もう死んでいる。」
それだけ。
声に揺らぎはない。
医務官は、ほんの一瞬だけ沈黙した。
だがすぐに頷く。
「承知しました。」
それ以上は聞かない。
聞く必要が無い。
走り去る第二支部の護送車。
街路には冷たい静寂が訪れ、そして深い夜に溶けていった。
次回予告。
ヒーローたちの謀反により占拠された第六支部に
第四支部長、ンジンガ・アム・トゥワナが出撃する。
高ランクの英雄因子をも保有する名うての戦士を相手に、いかにして彼女は戦うのか。
英雄小話07 : 他我合一




