オープニングセレモニー
街路灯に彩られた都市の薄闇を引き裂いて、二つの光が疾駆する。
絡み合い、縺れ、交差しては激しい火花を散らす二つの光は、彼らが爆発させた”正義”そのものだった。
鉛丹の光が激しく、貪欲にその顎を振りかざせば
群青の光が冷たく、軽やかにそれをいなしながら、刃を敵の喉下に滑り込ませんとする。
それらの一撃は、もはや尋常ではなく、一つ一つが真実必殺。攻撃の余波ですらコンクリートをめくり上げ、宙空で方向転換するために蹴り込んだ鋳鉄の照明は折れて倒れる。人に振るう力ではない。人が振るう能力ではない。それでもそれは、当然のように。ただ一つの目的のために振るわれる。
「「俺はお前の存在を許さない」」と。
「クロスゥゥゥ!!」
幾号もの打ち合いの末、ボロボロになった身体を気迫だけで動かしながら、鉛丹の光が咆哮する。それは身体を無理矢理に動かし、自分がここで終わるとしても眼前の敵を食い殺すという意思表示。己の欲望のままに悪であるものの矜持である。
―――脆いから踏み潰した。愉しいから殺した。自分の存在を証明するために、ありのままを生きてきた。これからも、潰す。これからも殺す。これからも、俺は俺のままに生きるのだ。―――
爆発する利己主義が”扉”の正義となって発現する。いつの間にかその両手から生み出された無数の凶器が、迫る善に向かって投擲された。
「殺人鬼、スマイル!!!」
一方の群青の光も静かな闘志を燃やして相対す。超速で飛来する凶器のほとんどは、刀の一振りで砕け散ったが、すり抜けた武器がいくつか体をかすめ、爆撃のごとく背後の壁を貫き抉った。彼我の間には、絶対的な物量差があり、手数があまりにも違いすぎる。だが、それは、善が引く理由にはならない。
理不尽を許さぬ善であろうと思った。眼前の敵はまさに理不尽の権化。無辜の民を次々と手に掛け、そこに悦びを見出す外道。許されてはならない。裁かれねばならない。それが、ヒーローとして生きる自らの仕事であると。
―――自らが振るう刃は、世界の秩序を守るための司法の剣でなくてはならない。感情などなく、慈悲などなく、外道を断つための断頭の剣でなくてはならない―――
己を律し、人間性すら彼方に追いやって幾星霜、冷たく研ぎ澄まされた”刀”の正義が、眼前の悪を食い殺さんと呪詛のような音で軋みをあげる。
「アヒャヒャヒャハ!!殺せ!殺せ!殺せ!ってな!!声がするンだ、頭の中で!!!俺は始まった。俺の存在理由を思い出した。だから、それを邪魔するテメェを殺さねぇと、俺ぁ終われねぇだろうがよ!」
殺人鬼は、その名の由来どおり口角を三日月のように歪め、笑う。狂して、叫して。言葉は意味を成さぬまま響き渡る。相手に伝わることを目標としていないそれは、もはや己が戦闘欲求を高めるための起爆剤でしかない。利己主義は際限なく拡大し、次は百の銃口を己が背後に形成する。武器庫と呼ばれた大悪人の本領を存分に示さんと、全ての銃口が一斉に火煙を上げた。
しかし、相対するのは降魔の英雄。これもまた人の業を超えるのは道理である。何の予備動作もなしに放たれたそれを、地面が抉れるほどの脚力で飛び上がり回避する。それだけではない。空中で体を捻りながら刀を振ると、殺人鬼の右腕を斬り飛ばす。茫然とする紫藤の背後に背中合わせに着地するや、再度身体を捻って、その回転をもって敵の首をはねた。本来であればこれで終わり。しかし、はねられた首は狂笑の表情を張り付けたまま空中で静止する。
「ごぼっ!まだ……だぁ。死なねぇ。死なねぇんだよ、この程度じゃあ!!ヒヒヒ!!!」
吐血した口で殺人鬼が無理矢理に叫ぶと、時間が巻き戻るように飛んだ腕と首が元の位置に収まっていく。つまりはこれが、扉の正義。際限ない利己主義と現実の否定。”自由”と名付けられた祈りである。
「戯言は終いだ。殺人鬼スマイル。何度殺せば死ぬ?今日こそは討ち取ってみせる!」
「安心しろ!今日こそ終わりだ!!声がするンだよ!!頭の中で!!!!」
二つの閃光が衝撃波となって戦闘空間を蹂躙した。
・・・・・・。
同時刻、市街地を一望できる高層ビル。世界のヒーローを束ねる英雄機関の本拠地屋上。
強いビル風にはためく英雄機関の旗が、ビルに備え付けられた非常灯の紅蓮と、夜の街の無秩序な光に濡れ、複雑な陰影を表している。
旗の下には二つの影。
一つは薄闇に溶ける漆黒の僧衣。胸の歪な十字だけが黄金に光っている。
髭を蓄えた30代後半といった男だが、目は黒く淀んでおり、まるで救いを求める子羊のように儚げだ。しかし一方で、その口元の笑顔は自信と安堵に満ちた達成者のような余裕がある。その二律背反が男に神性にも似た威容をもたらしていた。
僧衣の男は、もう一つの影に対し、父親のように優しく呟く。
「正義と悪が出会えば殺し合い、そして正義は傷つきながらも悪を倒して世界を護る。しかし、悪はいつまでも滅びず、新たな力を得て世界を脅かす。この世界では予定調和に過ぎぬ当たり前。白と黒の陣取り合戦はいつまでも終わらない。」
対するもう一つの影は年のころ10代前半から中頃の少年。少年は、背伸びしたかのようなサイズの少し大きな黒のレザージャケットを身にまとい、端正な顔を怒りとも悲哀とも取れる複雑な表情に歪めながら、無言で僧衣の男をねめつける。
「神はかつて、殺し合う二つの種に正義と悪と名前を付けた――それが、この世界の真実だ。それ故に、この世界には本当の意味で“善”と“悪”が存在しない。それはよくない。善悪の価値観が無い生は真摯ではない。真摯でない生が蔓延するこの世界はひどく歪だ。正さねばならない。救うのだ、世界を」
僧衣の男は、罪人が救いを求め、祈るときのように両手を弱く天に掲げる。手にした聖書は主人の言葉を支持するように淡い光で賛美歌を唄う。
聖書から漏れる光が解け、夜闇に溶けていく様が少年にはひどく不気味に見えた。色のついた水に、別の色の絵の具を溶かしていくような感覚。現実を侵しているような恐ろしさに身体の震えが止まらない。
「世界を救うだと?あなたが何をしようとしているか分からない。なんで、殺人鬼をけしかけたんだ!?あなたは善側の人間だろ!!」
僧衣の男は柔和な笑みを崩さないまま、静かに首を振る。
「あなたは知らない。疑ってすらいない。その価値観が破綻していることを。しかし、だからこそ、扉を開く意味がある。種は既に蒔かれた。大英雄クロスと殺人鬼スマイル―――。彼らの戦いももはや、終幕。止めることは出来ません。而して、狂った世界の予定調和はここで崩れ、最強無敵の大英雄の死を持って、人々の真の救済が始まるのです。」
僧衣の男の言葉は狂人の戯言のようで、それでいて無視できない圧力を感じる。何より、この僧衣の男は狂していないのだ。それがたまらなく恐ろしい。
少年は震える腕を必死に押さえつけた。自分は自分としてできることをやる。自分はもう、ヒーローなのだ。あとはそれに恥じぬように戦うだけ――。そうして迷いや不安を無理矢理振り切ると、黒のジャケットを脱ぎ捨てた。ジャケットが風にはためいて舞う。
「あなたはここで止める。覚えておけ、僕の正義の名は――」