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アヌビスはエジプト神話に登場する犬の頭を持つ神だ。
バラバラになったオシリスを復活させたことから、ミイラ作りの神とされている。
ゲームやファンタジーでも活躍していて、最近は乙女の恋愛対象になったりもしていた。
魔術師の魔獣園では、バトルで行動不能になった仲間を復活させるキャラクターとされている。
「アヌビス……さま?」
「はい」
辺りは霧に覆われたままだったけれど、あなたには光り輝くアヌビスの姿が見えた。
「……」
「どうかしましたか、マイマスター」
「え、あ、神さまが人間をマスターとか言っちゃダメなんじゃないですか?」
「そうでしょうか? 私は本当の神ではなく、ゲームの中に創造されたモンスターの一種ですよ」
あなたは首を傾げた。
アヌビスかと聞いて、はいと答えたから、たぶん彼はアヌビスなのだろう。
確かに、あなたが持っているノーマルカードと同じ服装──同じデザインの腰布やアクセサリー──を身に纏っている。
(でも……)
彼は犬の耳を持つ美青年だった。
あなたの視線に気づいた彼は、ぼん、と頭を犬に変えた。
「こちらのほうが良かったですか? せっかく呼び出していただいたので、おしゃれしてきたのですけれど」
「おしゃれだったんだ」
「はい。ところでマイマスター、その手をお借りしてよろしいですか」
「え、あ、うん!」
あなたは土気色の手を載せた手をアヌビスに預けた。
「お前が本来属する場所へ戻るのです」
そのひと言で、土気色の手は消えた。
信じられないほどの呆気なさだ。
「あ、ありがとう。さすが神さまね」
「マイマスターの結界の中でしたから。私の力も高められているのです」
「結界って、もしかしてこの霧のこと?」
あなたは辺りを見回した。
土気色の手が消えたせいか、白い霧がだんだんと薄れていく。
「本当はその手の傷も癒して差し上げたいのですが……」
言われて見ると、手の平には爪痕が残り黒ずんだ血がこびりついていた。
「いいのよ、気にしないで」
魔獣園のアヌビスは行動不能になった仲間を復活できるが、減った体力を回復することはできない。
薄れた霧の向こうで、小さな影があなたに気づいた。
「おねーちゃん!」
「おえーちゃ!」
駆け寄ってくる子どもたちを見て、あなたは目を丸くした。
ふたりの頭が犬に変わっていたからだ。
もしかして、さっきの咆哮は彼らのものだったのだろうか。
天狗もスマホをしまって、心配そうな顔で近づいてくる。
「大丈夫か?」
「うん、たぶん……」
「あ!」
子どもたちが歓声を上げて、あなたに飛びついてきた。
視線を辿ると、肩に人形サイズになったアヌビスが座っている。
「どうしたの?」
「結界が解けましたので、先ほどの大きな体は維持できなくなりました。勝手に肩に乗らせていただいたこと、謹んでお詫びいたします。ですが、マイマスターから霊力を供給していただかないと、消えてしまいそうなのです」
「そうだったんだ。いいよ、座ってて」
魔獣園のカードゲーマーであるあなたは知っていた。
大きな力にはリスクが伴うし、いくつもの条件が揃わなければ発揮されないことも多い。
今回はきっと運が良かったのだ。
「わんわ!」
「違うぞ、三太。これはアヌビスだ。神さまで、ノーマルだけど育てると強くなるし、ジャンクションで超進化もするんだぞ?」
「かみしゃま?」
「こ、これは?」
「犬の鳴き声が聞こえたから、あなたたちが心配で、なんか……呼び出しちゃったの」
あなたの言葉を聞いて、仁季が自慢げに胸を張る。
「俺と三太が吠えてたんだ。犬の声には退魔の力があるからね!」
「ね!」
それから彼は、あることに気づいて嬉しそうな声を上げた。
「あ、おねーちゃんの影、オッサンじゃない」
「ないっ」
あなたは自分の影を確かめた。
実体と同じ姿、あなたが右手を上げれば右手を上げる、あなた自身の影だ。
「アヌビスさまが手を戻してくれたの」
「手?」
「わんわ、いい子?」
「そうですね、あなたたちがいい子なら、私もいい神でいますよ」
アヌビスは、子どもたちに優しく答えている。
「……あの悪霊をひとりで?」
「だ、だれですかっ?」
聞き覚えのない掠れた声に振り向くと、そこにいるのは子どもたちと天狗だけではなかった。
頭に角を持つ──たぶん鬼だろう──赤いジャージの少年と、子どもたちによく似た黒いジャージの少年──こちらは河童に違いない──、日本刀を持った学生服の少年と無精髭を生やした男が増えている。無精髭は破れたデニムを穿いていた。
「俺は退魔師の珠樹」
「僕はその弟子の各務刃です」
「俺は雪に呼ばれてきた鬼だ」
「俺も雪に呼ばれてきた。ソイツらの兄の河童だ」
わけがわからない。
説明を求めて天狗を見ると、彼は瞳を輝かせて口を開いた。
「頼む、バステトも召喚してくれぬか? そのサイズで良い……いや、むしろそのサイズが良い!」
KY天狗の申し出を丁重にお断りした後で、あなたは事情を聞かされた。
あなたは土気色の手に宿った悪霊に操られていたのだという。
悪霊はあなたの強い霊力を利用して穢れた自分には入れない清浄な結界を破り、昔この山にいた龍神が遺した霊力を奪って復活しようとしていたのだ。
もちろんあなた自身の霊力も奪い尽くすつもりだったのだろう。
「思ったより君の霊力が強かったのと、木気の悪霊には最高のエサになる水気の河童が現れたことで、ここで復活しようとしたんだね。金気の天狗くんの存在に怯えて焦ったのもあるんじゃないかな」
「はあ……」
無精髭の自称退魔師の言葉はさっぱりわからなかったけれど、あなたは適当に頷いた。
(霊力が強いとか言われても、ねえ……)
もうすっかり名前も住所も電話番号も思い出しているが、霊感少女だった記憶はない。
「しかしすごいよ。霊紙もないのに式神を作り出すなんて」
「えー?」
無精髭の男の感嘆を、仁季が否定する。
「違うよ。おねーちゃんはホントに冥界からアヌビスをショーカンしたんだよ。だってダークドッグさまだもん」
「ショーカン!」
「「「「ダークドッグ?」」」」
天狗を除く四人の問いが重なって、あなたはそっと視線を逸らした。
そして──
いろいろあって、あなたは退魔師の修行を始めることになった。
犬の頭を持つ人形を肩に載せた少女退魔師ダークドッグが狭霧町の都市伝説となるのは、まだ少し先の話だ。
<ダークドッグ(アヌビス)END>
*あなたがダークドッグENDを迎えたのは何回目ですか? ダークドッグENDの章番号をすべて足して2で割った数字が、ダークドッグENDのエピローグ章です。