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「ちょっと待ってください」
「わかった。確かに怪しいもんな。わざわざお前を招いたくらいなんだから、俺っていう異分子の存在にももう気づいてるだろうし……このアパート、見て回る?」
照原の提案に、あなたは頷いた。
二階建てのアパートだ。
一階に部屋はみっつ、西の角部屋、真ん中の部屋、東の角部屋。照原には東の角部屋の扉は見えない。
キィキィと啼くように軋む錆びた階段を上がって、あなたたちは二階へ進んだ。
鉄の扉がふたつ並んでいる。
真ん中と東の角部屋。西には部屋がなく、不自然に壁が続いている。
「ここに一部屋ありそうだな。お前には扉見えてんの?」
「いいえ」
「じゃあここに、なにか隠したいものがあるのかもな」
あなたは壁を見つめた。ここには扉があるはずだ。
悪霊の結界の中、実体のない幻は姿を真似た現実と影響し合っている。
毎朝毎夕前を通った古いアパートは、一階にも二階にも三室ずつあった。
あなたの記憶が古びた鉄の扉を浮かび上がらせる。
完全な形ではなく、半分透き通って壁に埋もれていた。
実体のない手を伸ばし、さらに希薄な存在のドアノブを握る。
開いたとたん、ぐにゃりと世界が歪んだ。
アパートが消えて、あなたと照原は暗闇に放り出される。
視線を感じて見回すと、憎悪で顔を歪めた男と目が合った。
腕組みをした男は、片腕の手首から先がない。
おおおぉぉぉぉぉっ!!
男が吠えた。
吠えたとしか言いようがない。
憤怒に満ちた叫びは青い蛇の姿になって、あなたに襲いかかった。
あなたは思わず、照原の腕にしがみついた。
「破ぁっ!」
彼は叫びと同時に、衝撃波を放つ。
青い蛇は、白い光に包まれて消え去った。
最後に男の断末魔が聞こえた。
「すごい! 寺生まれってすごいんですね!」
あなたの賞賛に、照原は首を横に振る。
「なに言ってんの。今のはお前の力だよ」
「え?」
「俺だけだったら、あんな悪霊倒せない。お前が俺の腕を掴んで霊力を送ってくれたから、いつもより強い攻撃ができたんだ。てか、お前すごいなー」
あなたは首を傾げた。
「そうなんで、す、か?」
言葉の終わりがおかしくなったのは、そのときまた世界が歪んだからだった。
真っ暗でなにも見えない。
(どういうこと? 今のは悪霊の罠だったの?)
扉が開く音がした。
辺りが光に包まれる。
「なにやってるの? 電気くらい点けなさい。夕食よ。今日は食べるでしょ?」
部屋に入ってきた母が、電気のスイッチを点けたのだった。
あなたは自分の部屋でベッドに腰かけ、ぼんやりと手の平を見ていたらしい。
そこにはもう、爪痕はなかった。
「……うん、ご飯食べる。でも美鳥ちゃんに電話してからにする」
「食事の後にしなさいよ。あなたたち長電話なんだから」
「ううん! 絶対電話しなきゃいけないの」
「どうせ漫画の話なんでしょ」
「ご想像にお任せします」
あなたは笑って、母を押して部屋から追い出した。
ただでさえ昨夜夕飯を食べなかったことを心配されているのに、今日もおかしな言動だったのだろう。この上、友達との電話で悪霊がどうこう言ってるのを聞かれるわけにはいかない。
あなたは携帯の短縮ボタンを押して、美鳥に照原とのことを話した。
あれは現実だったと、あなたは確信している。
──その後、あなたが妙な事件に巻き込まれることはなかった。
あなたは霊力で無意識に、寄ってくる邪悪を浄化しているのだと、照原はいう。
彼が不思議な力を持っていることは認めるが、あなた自身に強い霊力があるという話は今も信じられないでいる。
美鳥の恋人の漫画研究部部長が照原の親友なので、最近はあなたを交えた四人で遊びに行くことがよくある。
この前映画を見に行った後で、次はふたりきりで会いたいと照原に言われて、あなたはどうしようかと悩んでいた。
(寺生まれはすごいけど、先輩自身はなんかチャラいからなー)
狭霧町でのあなたの日々は、いろいろあるけど続いていく。
<寺生まれの照原先輩END>




