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(違う……っ!)
あなたは首を横に振った。
『木』は『火』に弱いのではない。
それどころか『火』は『木』から生じると、目の前の鬼が言っていたではないか。
けれど気づいたときには遅かった。
あなたが『火』を思ったとき、熱い炎が体の奥底から湧き上がった。
それはあなたの手の平に爪を立てた土気色の手を通り過ぎて、花火のように吹き上がった。
「もらうぜ!」
鬼が叫んで、こちらに手を伸ばしてくる。
彼の指の動きに合わせて、手首から吹き出した炎が逆流して土気色の手を包む。
「あ」
焦げ臭い匂いがして、土気色の手が地面に落ちた。
爪のない干からびた指で土を掘って潜っていく。
全身を赤く染めた鬼が自分自身の手から炎を放ったが、当たる前に手は土の中へ消えていった。
あなたの手の平に爪を残して──
「悪ぃ。……逃げられちまった」
「ううん。あの……あれ、なに?」
鬼は眉間に皺を寄せて、頭を横に振る。
「わかんねぇ。簡単に言えば、悪いもの、だ。たぶん悪霊だと思う。お前の霊力を利用して蘇ろうとしていやがったんだ」
「どうして、わたしの?」
あなたは首を傾げた。
さっき体の奥から炎が湧き上がったとき、同時に記憶も呼び起こされていたけれど、霊感少女だった記憶はない。
「オバケを見たこともないのに」
(……鬼なら今見てるけど)
「そういうもんだ」
鬼は笑った。
「霊力が強くて、無意識に邪気から身を守れる人間に見鬼の力は必要ない。必要なのは自分で身を守れない、察知して避けなくちゃいけない人間のほうだ」
あの悪霊は存在を悟られないよう、毎日少しずつあなたの霊力に穴を開けて術をかけていったのだろうと鬼は言う。
通学路のアパートの前で手首を拾ったとき、悪霊の術は完成した。
あなたの霊力に加えて、山に残る龍神の霊気をも利用しようと、悪霊はあなたをここに導いたのだ。
「悪かったな」
「え?」
「俺、ちゃんと退魔の修行してねぇから、五行の話とかしてお前自身の力でヤツを引き離してもらうことしかできなかった。俺が攻撃したら、お前まで傷つけちまうから。ダチに会えてりゃ、ほかの方法もあったんだが……痛かったろ?」
「大丈夫」
あなたが手を振ると、皮膚に食い込んでいた焦げた爪先が、地面に落ちて霧散した。
「逃げた悪霊は、きっとまたお前を狙う。ちょうど今、姉貴が退魔師と会ってるから、護衛を頼みに行くぞ」
そう言った後で、鬼はがっくりと肩を落として溜息をついた。
「どうしたの?」
「姉貴、その退魔師に気があんだよ。表向きは俺やダチの修行についての相談っつってるけど、実際は口説く気満々で……邪魔したら殺される」
「ご、ごめんね」
「お前が謝ることじゃねぇよ。最初からソイツに言えば良かったのに、姉貴が怖くて自力でなんとかしようとした俺が悪ぃんだ」
「……きゃ?」
鬼はいきなりあなたの手を取って、爪痕の残る皮膚に口づけた。
一瞬熱さが通り過ぎて、傷が癒える。
「あ、ありがとう」
「俺は赤鬼で、『火』の霊力が一番強い。『火』は邪悪を浄化して『土』を生む。お前ら人間は『土』に属するから、俺らは相性がいいんだ」
彼の頬がほんのり赤くなったように見えるのは、赤鬼だからではないだろう。
あなたの心臓が早鐘を打ち始める。
歩き出した大きな背中を追いかけて、あなたも夜の森を歩き始める。
胸がドキドキしていたけれど、なにも怖くはなかった。
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