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(あわわわわ……)
あなたと一平は、夕暮れの公園を歩いていた。
芳しい香りの漂う、薔薇園の中だ。この薔薇園では、一年中花が咲いている。
「……なあ」
「な、なぁに?」
「薔薇の香りって好きか?」
「うん、嫌いじゃないけど」
「そうか。それじゃ今度、薔薇から酵母作ってみるかな」
留守がちな上に世間知らずの人魚の母親を持つ一平は、家事全般を任されている。
特に料理の腕前はプロ級で、パンも酵母から作っているのだった。
「いいね。初対面のときくれたサンドイッチのパンは、桜の酵母だった?」
「よくわかったな」
「うん、香りがした」
「……くくっ。アイツら、すごく怒ってたな」
さっきのことを思い出したのか、一平は吹き出した。
これまで一緒だった彼の弟たちは、父河童の運転するトラックで先に家に戻った。
一平だけ電車で帰り、電車の時間まであなたとふたりっきりで過ごすと聞いて、あなたに懐いている弟河童たちは、かなりおカンムリだった。真っ赤な頬を膨らませたタコのような顔は、笑っちゃいけないと思いつつも、笑いを誘う。
「そ、そうだね」
あなたは笑いを噛み殺した。
「でも、ふたりっきりだと……ちょっと困るな。俺、話すの得意じゃないから」
一平は無口だ。普段も弟たちのおしゃべりに注意したり、つけ足したりするくらいだ。
「べつに……無理に話さなくてもいいよ?」
「そうか」
辺りが飴色に染まっていく。
なんでもない時間なのに、なんだかとても特別な気がする。
これからもあなたは一平と、なんでもない特別な時間を積み重ねていくのだろう。
今日の狭霧町は、胸が痛くなるほど美しかった。
<エピローグ 一平六郎太>




