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(腕を切り落とすなんて怖い……)
あなたはべつの方法がないか思案した。
(水生木……わたしが土属性の人間で、河童くんが水属性の妖怪だから、あの手は彼を選んだって言ってた)
水を発生させれば、土気色の手を誘き寄せることができるかもしれない。
なにもわからない自分より、いろいろ知っていそうな彼が自由なほうがいい。
それに、今も辺りを包むこの霧は水からできている。
この霧を発生させているのがあなただというのなら、それを強めるほうが簡単な気がする。
(うん、やってみよう)
あなたは湖に沈んだ森をイメージした。
それくらい濃い霧だ。触れただけで濡れてしまうほど湿気が強い。
体の奥底から水の力が立ち上ってくる。
溢れた霧は白く、白く真っ白に世界を覆う。
「おい、待て。あんた、なにしてる」
叫ぶ彼に重なって、なにか邪悪なものが蠢くのがわかった。
五本の指を広げ、飛びかかってくる。
白い霧を纏った黒い影は、神話に出てくる複数の頭を持つ蛇のようだった。
「バカっ!」
河童少年の怒号と同時に、しゅっと鋭い音がした。
あなたの背後から衝撃が押し寄せて霧を払い、邪悪な手を地面に落とす。
「遅いから、ブッチされたかと思ったよ」
掠れた笑い声に、河童少年が唇を尖らせる。
「そうそう上手く行くかよ。ただでさえ地縛霊のせいで山の霊気が歪んでるのに」
「ですよね」
「ちょっと刃くん、河童くん。俺はね、傷ついて死を選び地縛霊となった彼女を力ずくで祓うような真似したくないんだ。だからゆっくり話をして、彼女の心を癒そうとしてるんだからね!」
「お師匠!」
「退魔師!」
河童少年と、彼とは違う涼やかな声が同時に叫んだのは、地面に落ちた手が干からびた指で地面を掘り、潜っていこうとしたときだった。
「はいはい」
蠢く霧の中から、白い紙片が現れる。
その紙片がヒラヒラと地面に落ちた瞬間、掠れた声が呟くように言った。
「土生金」
紙片は掘り起こされた土くれを纏い、白い蛇に姿を変えた。
小さな細い蛇が土気色の手に絡みつく。そして、大きく口を開けて飲み込んだ。
「金剋木」
ぱん、と音が響いて、白い蛇が紙片に戻る。
背後のだれかが手を打ち合わせたらしい。
邪悪な気配が消えて、あなたはその場に座り込んだ。
河童少年が駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
「うん。あなたは?」
「俺は全然。てか、俺がバカやったせいで怖い思いさせて悪かったな」
あなたの背後から無精髭の男が現れた。
コロンだろうか。彼からは柑橘系の香りがする。
「まあ、彼女は無事だったし、アイツもホームグラウンドを離れてたおかげで簡単に退治できたから結果オーライじゃん?」
「お師匠、そういう問題じゃありません」
もうひとり、今度は日本刀を持った学生服の少年が現れる。
日本刀は木の鞘に収められていたけれど、ほんのりと金属の香りがした。
さっき霧を払った衝撃は、この刀が生み出したに違いない。
「待っててもらったのに悪かったな。機転を利かせてくれて、ありがとう」
「結界の外で大きな霊力が動くのがわかりましたから。それに川瀬さんの行動は失敗ってわけでもなかったと思います。結界に入る前に引き止めたからこそ、悪霊に僕たちの存在を悟られずに済んだのかもしれませんよ」
三人がなにを話しているのかはさっぱりわからない。
わからないけれど、彼らに助けられたのだということは感じていた。
あなたは三人にお礼を言いたかった。
だけど口が動かない。体も痺れたように重い──あなたは眠かった。
まどろみに落ちていきながら、あなたは自分に恋人などいないことを思い出した。
あの土気色の手は、毎朝毎夕歩く通学路、何年も前から無人で不気味な雰囲気を漂わせるアパートの前の道で拾ったのだ。
そのとき、どこか遠くで子どもの泣き声が聞こえた気がする。
(そうよ。わたしに恋人なんていない。だけど、もしいつか恋人ができるなら……)
「なあ……なんだ、眠ったのか」
河童少年の声があなたに、おやすみと優しく囁いた。
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