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「ダークドッグ殿!」
背後からの呼びかけで、あなたは我に返った。
いくら人目のない夜の森とはいえ、大声で中二ネームを叫ばれるのは照れくさい。
あなたは周りを見回した。
霧が晴れ、西の空で煌く真白い月が見える。
木の生えていない丸い空間の中心に、小さな石の祠があった。
「いきなり走り出すとは驚いたぞ」
「ごめんなさい。わたし、どうしちゃったんだろう……」
天狗はふっと、真面目な顔になった。
「……のう」
「なぁに?」
「ウサギを見つけてからじゃとわかっておるのだが、どうしても気になってならぬ。くのいちバージョンのバステトのポーズだけでも教えてくれぬか?」
一瞬、あなたは無になった。
深い夜の森、自分がどうしてここにいるのかもわからない状況で、出会った天狗の少年にカードイラストの構図について聞かれている。
(なに、これ……)
さすがに場違いだったと気づいたのだろう。
天狗は背中を丸め、申し訳なさそうな顔をして、あなたを下から見上げてくる。
「ダメかのう?」
彼にはチョコウェハースをもらった恩がある。
それに、本当はこうして一緒にいてくれることが、とても嬉しかった。
自分の心に蓋をして気づかない振りをしていたけれど、あなたはとても心細かったのだ。
「ううん、いいよ。えっとね、体の前で両手を合わせて……こう、チューリップみたいに手の先を開いて、ハートを作るみたいなんだけどちょっと違ってて」
「そうか、うむ」
頷いて、天狗少年はきっぱりと言った。
「わからぬ」
「ゴ、ゴメン。説明が悪かったかな。えーっとね……」
「そなた、実際にそのポーズを取ってみてくれぬか?」
「えー?」
思わず口を出た嫌悪の声に、天狗がしょぼんと頭を落とす。
あなたの心に罪悪感が沸く。
魔術師の魔獣園のプレイヤーは男性が多く、カードのキャラクターも可愛い女の子が主流だ。中には恥ずかしくなるほどセクシーな衣装やポーズのイラストもある。
(くのいちバステトの衣装はセクシーだけど、ポーズはそうでもないし)
この天狗がイヤラシイことを考えているとは思えない。
「……ん、じゃあしてみるね。一回だけよ?」
「おう。すまぬのう」
あなたは両腕を前に出し、ゆっくりと両手を左右に開いた。
なんだか辺りが白い。また霧が出てきたのだろうか。
花が咲くように開いたあなたの手の中には、しずく型の石がある。
降り注ぐ月光に照らし出されたそれは、石には見えなかった。
しずく型というよりは卵、石というよりは土の塊。
土というのも違う。
絡み合った木の根っこ──近いけれどそうではない。
手首から上のない土気色の手が丸まって、あなたの手の平に爪を立てている。
普通の手よりも小さいのは、水分を失って乾ききっているからだ。
不意に記憶が甦る。
(わたし、恋人なんていない!)
思い出したとたん、視界から土気色の手が消える。
辺りを覆う白いものは羽根だった。
天狗少年の翼から落ちた羽根が漂っていたのだ。
その羽根がいっせいに動き、鋭い刃となってあなたから土気色の手を切り離した。
地面に転がった土気色の手が、いきなり火柱を上げる。
宙に舞っていた羽根に火がついて、黒い灰となって落ちていく。
あなたは天狗少年を見た。なんだか苦しそうな顔をしている。
なにが起こっているのかはさっぱりわからない。
でもあなたは、彼を救いたいと願った。
その願いが呼び起こしたのか、辺りが霧に包まれた。
霧は水だ。火柱が勢いを失っていく。
「やれやれ、助けるつもりが助けられてしまったのう」
月光を浴びて、濡れた翼が冷たく輝いた。
翼の先は刃に変わり、地面に潜ろうとしていた土気色の手を切り裂いた。
「そなたから奪った力はさっきの炎で使い果たしておるし、ここは龍神さまの祠じゃ。逃げることはできまいぞ。念のため退魔師に連絡して、浄化してもらおうかの」
天狗少年がスマホを取り出す。
あなたはバラバラになっても蠢く土気色の手から、視線を逸らして彼に尋ねた。
「あの……あれは、なんだったの?」
「さあ?」
「……え?」
「悪霊で、そなたを利用して龍神さまの霊力を奪って復活しようとしていたことはわかるが、それ以上のことはさっぱりじゃ」
「もしかして、最初から助けてくれようとしていたの?」
「うむ。この山に入り込んだ邪悪を祓うのが、吾らの役目じゃからの。退魔師も妙な騎士道精神を発揮せず、アレも吾らに任せてくれれば良いのじゃが。……ま、めんどくさいから、べつにかまわぬが」
「アレ?」
「この山で首を……ようし、送信終了じゃ。そなたもすっかり落ち着いたようじゃの」
「そうなのかな」
自分ではよくわからなかった。
天狗が微笑んで、踊るかのように腕を回した。
「ほら、霧が消えておる。あの霧はそなたの不安が生み出しておったのじゃ。ここに入るなり消えたのは、悪霊が吾の金気を剋する火気を作り出そうと、そなたの霊気を吸い取ったからじゃろう」
「そうなの?」
あなたの頭にはいろいろな記憶が蘇っていたが、霊感少女だった覚えはなかった。
月光の下、天狗少年は真っ白な翼を広げ、あなたに手を伸ばしてきた。
「さあ、バステトと犬神を交換に行こうぞ。吾はカードアルバムを持ち歩いておるので、案ずる必要はない」
「……ぷっ」
あなたは吹き出してしまった。
とことんKYな天狗だ。
けれど、そのマイペースさが不安を消してくれる。
(とりあえず変なものは体から離れたし、後のことは後で考えようっと。詳しいことが知りたければ、退魔師さん? を紹介してもらえばいいんだしね)
あなたは天狗の手を取った。
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