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「おいっ!」
大きな手があなたの肩をつかみ、耳元であなたの名前を呼びかけた。
低い声の優しさに、あなたを追い立てるなにかが消えていく。
「どうしたんだ?」
「わたし……」
自分でもわからない。
あなたは周りを見回した。
霧が晴れ、頭上から星の光が降り注いでいる。
木の生えていない丸い空間の中心に、小さな石の祠があった。
「龍神さまの祠だ」
鬼の言葉を聞いた瞬間、あなたの手の中で、しずく型の石が蠢いたような気がした。
それが、なぜかひどく怖かった。
眼前の鬼よりも、霧に覆われた暗い夜の森よりも、手の中の小さな石が怖い。
祠の前で跪き、鬼は両手を合わせてなにかを祈った。
「まあ龍神さまはもういないんだがな。残っているのは霊気だけだ」
背筋を悪寒が駆け上る。あなたの体が震え出した。
「お前、五行って知ってるか?」
「五行?」
「ゲームや漫画に出てくる魔法属性の東洋版みてぇなもんだ。火は金属を溶かし、金属製の斧は木を切り倒し、木の根は大地を割り、大地は水の流れを堰き止め、水は炎を消し去る……害し合う関係が『相剋』、逆に木が擦れて火を生み、燃え盛る火から土ってか炭が生まれ、土の中に金属が育ち、金属が冷えると水滴を生じ、水が木を育む……生かし合う関係を『相生』っていうんだ」
どうしていきなりそんな話を始めたのだろう。
あなたはしずく型の石を握った指を広げ、腕を伸ばした。
それに触れている場所を、少しでも減らしたかったのだ。
星明りの下、それはもう石には見えなかった。
しずく型というよりは卵、石というよりは土の塊。
いや、土ではない。
絡み合った木の根っこ──近いけれど違う。
手首から上のない土気色の手が丸まって、あなたの手の平に爪を立てている。
普通の手よりも小さいのは、水分を失って乾ききっているからだ。
「ひぃっ!」
振り払おうとしたあなたの手に、土気色の手はさらに爪を突きたてる。
救いを求めて鬼を見れば、彼は落ち着いた口調で聞いてきた。
「なあお前、それ、どこで手に入れたんだ?」
「どこでって、これ、これは……」
あなたの頭に見慣れた光景が浮かんでくる。
毎朝毎夕歩く通学路、何年も前から無人で不気味な雰囲気を漂わせるアパートの前の道。
あなたはそこで、これを拾ったのだ。
どこか遠くで子どもの泣き声が聞こえた気がする。
一気に蘇った記憶が脳内で渦巻く。
あなたはその場に座り込んだ。
「そうよ、わたし……恋人なんていない」
あなたが復活させようとしていたのはだれなのだろう。
「おい!」
鬼がまた、あなたの名前を呼んだ。
驚愕と混乱に飲み込まれそうだった頭の霧が晴れて、あなたは自分の状況に気づいた。
「痛……っ!」
土気色の手の爪は、あなたの体の中へ伸び続けていた。
地面に座り込んだあなたの周りに渦巻く強風は静電気を発していて、ときおり火花を光らせる。
「獣と人間以外の動くものは『木』に属する。風も雷も……幽霊もだ。だから幽霊は水場に出る。『木』は『水』から生じるからだ。そして『木』は……」
吹きすさぶ風の音で、鬼の声が聞こえなくなった。
すぐ近くにいるはずなのに、荒れ狂う風と雷の瞬きで姿も見えない。
彼はさっき、なんの話をしていただろう。
いつの間にか手の平が血で赤く染まっていた。自分の血だ。
あなたの手に爪を立てた土気色の手は、あなたの血を啜ったのか、少し生気を帯びた色に変わっていた。なんだか手首から上が生え始めたように見える。
痛みが激し過ぎて、頭が麻痺してきた。
どんどん意識が薄れていく。このままでは危険だ、それだけはわかる。
(五行……彼は五行のことを教えてくれた。動くものは『木』。『木』は……)
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