31
木が生えていない丸い空間に、頭上から星の光が降り注ぐ。
小さな石の祠が土地の中心に鎮座している。
その傍らに、ふたりの男が立っていた。
無精髭の生えた年かさの男がアクビをして、掠れた声で呟く。
彼は破れたデニムを穿いていた。どことなく貧乏そうで、デニムの破れがおしゃれなのか買い換えるお金不足なのかは判断しかねる。
「はあ、やっと来た。寅さんの約束ブッチしてまで待ってたのに、すっぽかされたらどうしようかと思ったよ」
「川瀬さんからメールが来たときはもう、寅姫との約束の時間は過ぎてましたよ。だれかさんが寄り道してたからですけど」
「俺はね、傷ついて死を選び地縛霊となった彼女を力ずくで祓うような真似したくないんだ。だからゆっくり話をして、彼女の心を癒そうとしてるんだよ!」
「はいはい」
涼やかな声で同行者の言葉を受け流し、学生服の少年があなたに目を向けた。
彼の手には長い日本刀がある。
思わず後ずさったあなたに、少年は問いを投げかけてきた。
「どうして腕を伸ばしているんですか?」
「え?」
無意識だった。
あなたはしずく型の石を握ったほうの腕を前に突き出していた。
いや、握ってすらいない。
少しでも自分から離したくて、あなたは腕を伸ばし手を開いていた。
この空間から溢れてくる風を感じたとき、この石が蠢いたような気がして、それからずっと悪寒を感じ続けていたのだ。
今はもう、石にも見えなかった。
石というよりは土の塊、しずく型というよりは卵。
卵ですらない、絡み合った木の根っこ──それも違う。
手首から上のない土気色の手が丸まって、あなたの手の平に爪を立てている。
普通の手よりも小さいのは、水分を失って乾ききっているからだ。
あなたが答える前に、少年は新たな問いを放つ。
「それをどこで手に入れたんですか?」
「どこでって、これ、これは……」
あなたの頭に見慣れた光景が浮かんでくる。
毎朝毎夕歩く通学路、不気味な雰囲気を漂わせる何年も無人のアパートの前の道。
あなたはそこで、これを拾ったのだ。
どこか遠くで子どもの泣き声が聞こえた気がする。
一気に蘇った記憶が脳内で渦巻く。
あなたはその場に座り込んだ。
「そうよ、わたし……恋人なんていない」
あなたが復活させようとしていたのはだれなのだろう。
「ひっ!」
土気色の手が動いたような気がして、あなたは縮み上がった。
無精髭の男が優しく微笑む。
「大丈夫。ここには結界が張ってあるから、ソイツはこれ以上君の霊力を吸えない」
「わたしの……霊力?」
手を拾ったときの記憶とともに、あなたは自分の過去も思い出していた。
しかし霊感少女だった記憶はなかった。
「そう。ほら、ここに入ってから霧も風も消えてるだろ? あれはソイツが龍神さまの力を奪うために、君の霊力を利用して起こしていたものなんだ。最終的には君自身の霊力も全部吸って、復活するつもりだったんだろうねえ」
少年が日本刀を鞘から抜いた。銀色の刃が月光を反射する。
「手を上げて」
あなたは涼やかな声に従った。
白い光が閃いて、あなたの手から土気色の手が落ちる。
それは干からびた指で、必死に地面を掘り始めた。
地面を掘る指に爪はない。爪先は今もあなたの手の平に突き刺さっていた。
血こそ出ていないものの、かなり深くまで刺さっている。
恐怖で頭が麻痺しているのか、あなたは痛みを感じない。
「土生金」
掠れた声が呟いた瞬間、掘られた地面から白い蛇が飛び出してきた。
小さな細い蛇が土気色の手に絡みつく。そして、大きく口を開けて飲み込んだ。
「金剋木」
ぱん、と音を立てて無精髭の男は両手を打ち合わせた。
白い蛇が紙片に変じる。
「逆に良かったんじゃない? ホームグラウンドを出てる状態で戦えて」
「なに言ってるんですか。彼女が危険だったんですよ」
「おっと、そうだったね」
無精髭の男が近寄ってきて、座り込んだままだったあなたに手を差し伸べてきた。
「大丈夫、ウサギちゃん」
「ウサギ? どうしてそれを……あ」
あなたは今になってようやく、自分のパジャマがウサギ柄だったことに気がついた。
ウサギとは、あなた自身のことだったのだ。
「怖かったね。あやうく生け贄にされるところだった。でも大丈夫。君ほどの霊力があれば、これからは巻き込まれることもないよ」
「だから気軽に言うのはやめてください。見鬼の力が必要ないほど強くても、だれかを案じる心につけ込まれたら、どうしようもないでしょう?」
「そっかー。今回も犠牲にされた子どもたちが助けを求める声に反応して、ヤツの術を完成させちゃったわけだしね」
彼らの会話は、さっぱり意味がわからない。
わからないけれどあなたは、なにかが終わったことを感じていた。
安堵が全身を包み、とめどなく涙が流れ落ちる。
やがて──
「……あれ? ウサギちゃん眠っちゃった?」
「そりゃ悪霊に操られて夜の森を歩き回ってたら疲れ果てますよ」
「だね」
「安心していいですよ。向こうに残ったヤツの本体は、これから僕たちが退治しますからね」
「これから? 明日にしようよ」
「お師匠がビンテージのジーンズを売ってくれれば、今月の家賃は払えますけど」
「さあ刃くん、深夜手当てをもらいに行こう!」
どこか楽しげな会話を聞きながら、あなたの意識は眠りの底に沈んでいった。
──いつもの時間にあなたは目覚めた。
妙な夢を見ていたような気がしたけれど、思い出すことはできなかった。
思い出さなくてもいいと、だれかに囁かれたような気もした。
いつものように制服に着替え、いつもの通学路の不気味なアパートの前を通りかかったあなたは、その建物が取り壊されることを知った。
(なんだか今日は、あんまり怖く感じないな。まあ、わたしは霊感なんかないから、最初からただの気のせいなんだろうけど)
思いながらアパートを通り過ぎて、あなたはふと、自分の手の平に目をやった。
そこにはなにもない。あなたは石も土の塊も握り締めてはいなかった。
ただ──
だれかに強く爪を突き刺されたような痕があった。
(え? どうして、いつからこんな傷……)
いくら考えても思い出せなかった。昨夜寝ぼけて自分で引っ掻いたのだろうか。
わからないけれど、なんだか嫌な気分だ。この傷が癒える日は来ない気がする。
そのとき、後ろから子どもが幸せそうに笑う声がした。
あなたは振り返ったが、だれもいない。気のせいだったのだろう。
なぜか急に気持ちが軽くなったあなたは、学校へと歩き始めた。
手の平の傷痕のことは、やがて頭から消えていった。
<NORMAL END>




