17
「天狗さんがいいです」
夜の山でスケベな鬼と会いたくはない。
河童の口角が上がる。
「だろうな。じゃあ……」
彼は西に向かって歩き始めた。
目指す方角の樹上では、白い月が輝いている。
今は何時くらいなんだろうと、ふと思った。
東からの風に後ろ髪を引かれながら、麓の北から頂上の南へ伸びる急な傾斜を横切る。
枝葉を避けて、少し開けた空間に入った。
河童が夜空を見上げる。
あなたも彼の真似をした。月が眩しい。
「雪!」
河童の声が響いて、あなたは白い月に溶けていた白い影に気がついた。
太い枝の上、高下駄を履いた足で踏ん張って、宙に伸ばした手を振っている。
揺れる手が握っているのは四角いなにか──
(スマホ?)
「おお、一の字か」
神社の神主を思わせる古風な和装に身を包んだ少年が、白い翼を広げて降りてくる。
真っ白な髪に真っ白な肌、陶器の人形のように整った顔だ。
長いまつ毛の下の瞳は黒かと思ったが、よく見ると赤だとわかった。
濃く深い、吸い込まれそうな赤い色。
「全然電波が入らぬ! このままでは魔獣園が終わってしまう!」
「え」
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
「ん? もしやそなた……」
魔術師の魔獣園はカードから召喚したモンスターを戦わせて、召喚魔術師の頂点に立つことを目的としたゲームだ。オンライン対戦で、全国各地の同好の士と戦える。どちらかといえば男性向けのゲームだが、最近深夜アニメ化されて女性のファンも急増中だ。
あなたはゲーム派で、友達はアニメ派──ということを、あなたは今の天狗の言葉で思い出していた。
しかし、あなたは期待に満ちた目で見つめてくる天狗から顔を逸らした。
この状況で話題にすることではないし、彼がアニメだけでなくゲームにも詳しく、先日狭霧町で行われた大会に参加でもしていたら、中学二年生のときにつけたプレイヤーネームに気づかれてしまうかもしれない。
「雪、暇か?」
河童に言われ、天狗はあなたからスマホへと視線を移動させた。
「今、暇になった。……はああ、今回の話は円盤が発売されてから観るとするか」
「だったら手伝ってくれ。彼女がウサギを探している」
「一の字のカノジョか?」
「違う」
「では丸に紹介してやったらどうじゃ? アイツは24時間カノジョ募集中とほざいておったぞ」
「そんな気の毒なことはできない」
「そうじゃな。……おっと、ウサギ探しじゃったな。協力しよう。善行を積むことで、チョコウェハースのシークレットカードをゲットできるかもしれぬしのう」
実はあなたは、そのチョコウェハースの前のキャンペーンで、シークレットのカードを二枚当てていた。ダブっているので1枚譲ってもいいのだが、
(まあ、そんな場合じゃないわよね)
ウサギが見つかって、目的を果たしてから考えればいいことだ。
──目的。
あなたは不意に不安になった。
好きなゲームや友達の趣味まで思い出したのに、あなたはまだ、復活させたいと望んでいるはずの恋人の、顔も名前も思い出せていない。
「ああ、すまない。俺たちだけでしゃべってたな」
「ううん。ふたりともありがとう」
「雪、ウサギがいそうな場所に心当たりはないか?」
「そういえばこの前、ニッキーがリスを見たと言うておったな」
「ああ、俺も聞いた。ここからだと東だな」
どうやらさっきいた辺りのようだ。あなたも梢に動く影を見た。
リスがいたのなら、同じ小動物のウサギもいるかもしれない。
あなたと河童と天狗は、東に向かって歩き始めた。
数歩進んだところで、天狗が動かなくなる。
「ウサギがいたのか?」
「……疲れた。一の字、おぶってくれ」
河童が無言で歩き出したので、あなたは慌てて天狗に駆け寄った。
「か、肩貸しましょうか? あの、お疲れだったら、わたしひとりで探すので……」
「いやいや、いくら吾でも女子に肩を借りようとは思わぬよ」
「カードのために善行積むんだろ?」
「そうであった」
歩き始めた天狗だったが、その後も数歩歩くごとに疲れたを連発した。
どうやら、かなりものぐさなようだ。
→97へ進む