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「あ!」
アパートへ向かう後ろ姿を見て、あなたは気づいた。
彼はあなたと同じ、茶色いブレザーを着ている。
どうして昨夜気づかなかったのだろう。黒いジャージには見覚えがあったのに。
「待って!」
夢中で追いかけて、あなたは彼の腕を掴んだ。
引き攣った顔で、少年が振り向く。
「夕べと逆だね」
昨日龍神の祠へ向かうあなたの腕をつかんだのは彼、河童の一平だった。
彼は無言で視線を逸らし、自分の頭に片手を当てる。
「同じ学校だったんだ。昨日は全然気づかなかった」
「……隣のクラス」
「え? ホント? ううん、ちょっと待って。わたし、あなたに会ったことある!」
「ああ。あんた、漫画研究部の友達と一緒に、練習風景をデッサンさせてくれって来たよな。あんた自身は帰宅部なんだっけ?」
一平はあなたに顔を向け、細い目をさらに細めて微笑んだ。
「バスケ部の……川瀬くん」
「そうだ。しかし驚いたな。あんた、自分で悪霊にとどめを刺したいって思ってたのか。随分好戦的なんだな」
「え、違う。わたしは……」
もう一度彼に会いたいと思っただけだ。
けれど、それを口には出せなかった。自分でもまだ、この気持ちがよくわからない。
「すまないな、俺は悪霊退治に来たんじゃない」
一平は腕を上げて、青い布で作られた腕輪を見せた。
退魔師協会から支給されたもので、能力の制御とGPSの機能を持つという。
「昨日ヤツと俺に因縁ができたのを利用して、結界の隙間を見つけて、中から退魔師たちを招き入れるために来たんだ」
一平はアパートを見上げた。
昔のドラマに出てきそうな古びた建物だ。錆びた鉄の階段が一階と二階をつないでいる。
何年も無人だったのには理由がある、と一平は語り始めた。
ずっとずっと昔、ここには自称・教祖が住んでいた。
彼は病気の子どもを案じる親の気持ちにつけ込み、神の力で病気を癒すと称して大金をせしめていた。彼が普通の治療を禁じたために、死んでしまった子もいたという。
罰が当たったのか、やがて彼自身も病気になり、死を待つだけになった。
彼は死後の復活を企み、治療を求めてやってきた子どもたちを殺して邪悪な儀式を行い、悪霊となった。
──そして今も、ここに、いる。
一平の表情は苦痛に満ちていた。幼い弟のいる彼には他人事ではないのだろう。
「……まあ、戦うわけじゃないから、一緒に来るか?」
「いいの?」
「いいもなにも。あんた、俺を追って結界に入り込んだんだ。どっちにしろ、隙間を見つけて退魔師たちを呼ぶか、悪霊を倒すまでは出られないぞ」
彼を追いかけたことで、あなたは悪霊の結界に入り込んでしまっていたようだ。
ここは現実とは違う幻の世界、簡単に出ることはできないし、製作者との因縁がなければ入ることも難しい。
そもそもあなたたちは実体ではなかった。霊力でできた幽体だ。
実は昨夜もそうだったと一平が教えてくれる。道理で起きたとき、借りたジャージがなかったはずだ。
(でも……)
あなたの手には、悪霊の爪痕が残っていた。
幻のようなものとはいえ、幽体は姿を真似た現実の存在と影響し合う。
なにかを食べると、その食べ物の持つ霊力が吸収されて実体に変化を起こす。
幽体が傷つくことで、現実の実体にも同じ傷ができることもある。
実体がない分霊力の割合が大きいため、見た目と違う真の姿を持つ場合もあるらしい。
「一階と二階、どっちから行く?」
あなたは一平の問いに答えた。
「一階から見てみよう」→99
「二階から見てみよう」→114